光差す未来へ
メイナードの呪いが解けた後、研究所を訪れたフィリアは、イアンのいっぱいの笑顔に出迎えられていた。
「フィリア、よくやりましたね。魔術師団長のダグラス様から、話は聞いていますよ」
漆黒の竜を焼いた炎からメイナードの魔力を感じ取ったダグラスは、すぐさまメイナードとフィリアの元を訪れて、当時彼らの元で何が起きていたのかを確かめていた。
状況を一通り確認したダグラスから、既に主要な機関には情報が回っているようだった。
「これも、イアン様のお力添えがあったからこそです。メイナード様の呪いを解くために助けてくださって、本当にありがとうございました」
丁寧に頭を下げたフィリアに、イアンは微笑みながら首を横に振った。
「謙遜しなくてもいいのですよ、フィリア。あなたがいなければメイナード様の呪いは解けなかったでしょうし、竜も元の姿を取り戻すことはできなかったでしょう」
フィリアはやや眉を下げてイアンに尋ねた。
「……あの後、渓谷の辺りから湧き出ていたという瘴気はどうなったのでしょうか?」
「もう収まったと聞いていますよ」
「それを伺って安心しました」
ほっと表情を緩めたフィリアに、彼は続けた。
「竜が目覚めてから瘴気が止まったそうですので、やはりあの竜は、瘴気を抑えるために一役買っているようですね」
フィリアは思案気にイアンを見つめた。
「……イアン様も、ダグラス様からお聞き及びかと思いますが、メイナード様の呪詛の部分から、ちょうど正反対の、清らかな白い竜と禍々しい黒い竜が現れ出たのです。メイナード様が、炎魔法で黒い竜を焼き払ってくださったお蔭で事無きを得ましたが、イアン様は、いったいあの竜に何が起きていたのだと思われますか?」
「そうですねえ……」
イアンはフィリアを見つめ返すと、ゆっくりと口を開いた。
「今回と類似する件は過去の記録にもないようですし、これは私の推測に過ぎませんが。瘴気が漂い始めてから、あの辺りの動物や魔物たちに、異常とも言える狂暴化が見られたことを考えると、竜も、長期間にわたって瘴気を浴び続けるうちに、その影響を受けて毒されてしまったのではないでしょうか」
「狂暴化した竜も、そう考えると説明がつきますね」
「ただ、恐らくは、本来の聖なる竜としての部分も、瘴気に侵され切らずに辛うじて残っていたのでしょう。狂暴化した自らに飲み込まれそうになりながらも、必死に抵抗していたその部分が、何らかの形でそこから分離するに至ったのではないかと、私はそう考えています」
フィリアが静かに頷くと、イアンは再び口を開いた。
「メイナード様に呪いが掛けられた時、あの毒された竜も、恐らく彼との戦いでかなりの深手を負っていたのでしょう。だからこそ、その本質に当たる部分を呪いの形に変え、彼から力を奪おうとしたのでしょうね。けれどそこには、まだ消滅しきっていなかった、清らかな本質が微かに残っていたのだろうと、それが、フィリア、貴女に助けを求めたのではないかと、私にはそんな気がしています」
イアンは温かな眼差しでフィリアを見つめた。
「貴女は賢いだけでなく、とても優しい方です。今までも、研究所に相談に見えた方に、貴女が真摯に対応し協力する様子を見てきましたが、貴女は人の痛みがよくわかっている。だから、苦痛を抱える者に寄り添い、そっと手を差し伸べることができるのでしょうね。そんな貴女だからこそ、あの本来の聖なる竜を助けることができたのだと思いますよ。素晴らしいことですね」
フィリアは頬を薄く染めると、恥ずかしそうにイアンを見つめ返した。
「そんなお褒めの言葉をいただけるほど、私はできた人間ではありませんが、ありがとうございます」
「まあ、フィリアならきっと何とかしてくれるだろうと、貴女にあの呪いの解決を任せた私の判断も、なかなかに冴えたものだったのではないかと、我ながら思いますよ」
そう楽しげに笑ったイアンに、フィリアもくすりと笑みを零した。
「ふふ、イアン様が私に任せてくださったお蔭ですね」
二人の間には和やかな空気が流れていたけれど、イアンは少し目を伏せると、ふっと息を吐いた。
「……ただ、一つだけ残念なお知らせがあります」
眉を下げたイアンに、フィリアの顔にやや緊張が滲んだ。
「それは、何でしょうか?」
「ダグラス様も、貴女たちの元を訪ねた際には、詳細を伝えあぐねていたようですが。貴女の姉上が、あの黒い竜によって瀕死の重傷を負ったそうなのです」
「……お姉様が?」
ダグラスから、アンジェリカもその場にいたこと、彼女が黒い竜に襲われて怪我をしたことまでは聞いてはいたものの、それほどの重傷を負っていたとは知らなかったフィリアは、驚きに目を瞬いた。
「回復魔法によって辛うじて一命は取り留めたものの、もう聖女としては、いえ、回復魔法の使い手としてですら、魔物と戦うことは難しい身体になってしまったようです。……運の悪いことに、竜の鱗の毒によって、爛れたような跡が、顔にも大きく残ってしまったと聞いています」
「……そうだったのですね」
フィリアは口を噤むと、聖女としての強大な力と、自らの美貌に大きな自信を持っていた姉を思い出し、その表情を翳らせた。
ダグラスにアンジェリカの怪我を聞いてから、フィリアが実家に手紙を送って姉の様子を尋ねた際にも、両親ですらその容態には固く口を閉ざしていた。
アンジェリカは誰にも会いたくないとの一点張りだから見舞いは不要だと、そう両親からの返信を受けて、不思議に思っていた彼女だったけれど、その疑問がようやく解けたように感じていた。
イアンは気遣わしげに彼女に続けた。
「貴女とは対照的に、噂に聞く限り、貴女の姉上が人格的に優れているようには思えないのですが、それでも貴女は優しいですからね。……彼女とダグラス様との婚約も、王命により解消されたそうです。ダグラス様は、次期聖女に任命される方と、新たに婚約を結び直すそうですよ。代わりに、一定の見舞金が王家から姉上に支払われると、そのような話を耳にしています」
「そう……ですか」
(メイナード様が大怪我を負って、お姉様が彼との婚約を解消した時と、お姉様はちょうど真逆の立場になってしまったようね。お父様とお母様も、さぞかし落胆していらっしゃることでしょうね……)
このようなことが起きるものなのかと、不思議な因果を感じながら、フィリアは小さく溜息を吐いた。
「ところで、フィリア。話は変わりますが」
イアンはじっとフィリアを見つめると、彼女に尋ねた。
「ダグラス様に、魔術師団への入団に興味はないかと誘われたようですが、貴女は断ったそうですね?」
「ええ、イアン様」
フィリアはこくりと彼の言葉に頷いた。
「私の魔力は、以前に比べれば大分改善しましたが……それでも、今回のような回復魔法が使えたのは、メイナード様の呪いを解きたいという強い気持ちがあったからこそだと、私自身もそう自覚しておりますし」
「それで本当にいいのですか? 魔術師団に加わるとなれば、栄転と言えるでしょうが……」
イアンに向かって、フィリアは強く瞳を輝かせた。
「はい。私はここで、イアン様の元で、この研究の仕事が続けたいのです」
「……そうですか」
彼女の言葉に、イアンはふっと嬉しそうに笑った。
「貴女にそう言っていただけると、私もとても嬉しいですよ。頼りにしていますので、これからもよろしくお願いしますね、フィリア」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
素晴らしい上司と職場に恵まれたことに改めて感謝を覚えながら、フィリアは明るい表情で微笑んだ。
***
研究所から帰宅して自室に戻ったフィリアは、屋敷の外から聞こえてきた馬の蹄と馬車の車輪の音に、窓に一歩近付くと外を眺めた。
門の前にはちょうど一台の馬車が到着し、中からメイナードが降りて来るところだった。
(……メイナード様だわ)
ふわりと微笑みを浮かべたフィリアは、軽い足取りで玄関まで向かった。玄関を開けたメイナードは、フィリアの姿を認めると、すぐに駆け寄って彼女を抱き締めた。
「ただいま、フィリア。会いたかった」
「お帰りなさい、メイナード様」
嬉しそうに瞳を輝かせて、フィリアを抱き締める腕に力を込めたメイナードに、彼女の頬はふわりと染まっていた。
「爵位の授与式は、いかがでしたか?」
ここ数日は、王都の中心で式典が開催され、王家への貢献が認められた者に対する爵位の授与も行われていた。
メイナードは、今までの魔物討伐の実績と、黒竜を倒した功績が認められて、伯爵位を授かっていた。
「ああ、つつがなく終わったよ。……貴族なのに平民の僕に嫁いで来てくれた君に、今まで申し訳なく思っていたから、ようやくほっとした部分はあるかな」
「ふふ。私は、メイナード様のお側にずっといられるのなら、地位なんて構いませんけれど」
「まあ、君がそう思ってくれていることも、よくわかってはいたけれどね」
フィリアはメイナードを見上げるとにっこりと笑った。
「でも、今までのメイナード様の功績が認められて、素晴らしいことですね。この前のメイナード様の炎魔法も、あまりに圧倒的で、私、間近で見て感動しましたもの。……本当におめでとうございます」
メイナードはフィリアを愛しげに見つめると、そのまま彼女を横抱きに抱き上げた。
「あっ、メイナード様!?」
驚いたフィリアを横抱きにしたまま、彼はくるりと一回転すると、彼女の唇にそっと優しく唇を重ねた。
(……!)
フィリアの頬には、みるみるうちにかあっと熱が集まっていた。そんな彼女の姿に、メイナードは瞳を細めた。
「僕も、爵位を授かることよりも、君が一言褒めてくれることの方が、よっぽど嬉しいというのが本音だよ」
爵位授与式のために正装をしていたメイナードは、すっかり元の美貌を取り戻していたことも相まって、まるで御伽噺から抜け出して来た王子のように、目を瞠るほど美しかった。
そんなメイナードに横抱きにされて、ほうっと息を呑んでいたフィリアの唇に、彼はもう一度キスを落とすと、名残惜しそうにそっと彼女の身体を下ろした。
その時、ちょうど廊下を走って来る軽快な足音が二人の耳に届いた。
「お帰りなさい、兄さん!」
笑顔で飛んで来たルディを、メイナードは温かく抱き締めた。
「ただいま、ルディ。いい子にしていたかい?」
「うん! 新しい家庭教師の先生に、勉強を教わっていたんだよ。僕も、フィリア姉さんみたいに、将来は研究所で働くことが夢なんだ」
「ほう、それは頼もしいな」
「ルディなら、きっと立派な研究者になれると思うわ」
メイナードもフィリアも、ルディに向かって明るい笑みを浮かべていた。
ルディの頭を柔らかく撫でたメイナードは、彼に尋ねた。
「ルディ。僕が呪いを受けてからは、今までほとんど外出もしていなかっただろう? それに、新しいおもちゃも何も買ってやれなかったからね。近いうちに、フィリアと三人でどこかに出掛けないか?」
「えっ、いいの!? お出掛けするの、久し振りだなあ」
ぱっと顔を輝かせたルディに、メイナードとフィリアも目を見合わせて微笑んだ。
「どこか行きたい所や、何か欲しいものはあるかい?」
ルディは神妙な面持ちで首を捻った。
「うーん、そうだなあ。もう、一番に欲しかったものは叶ったしなあ……」
「そうなの? それは何だったのかしら」
フィリアの問い掛けに、ルディはにっこりと答えた。
「元気になった兄さんの笑顔だよ! 呪いが解けて、兄さん、もうすっかり元気に笑うようになったでしょう? だから僕、とっても嬉しいんだ」
(ルディったら、何て可愛いことを言うのかしら……!)
胸がぎゅっと掴まれるような感覚を覚えたフィリアは、思わずルディを抱き締めていた。
「あなたは本当にメイナード様思いの、優しい弟ね」
「へへっ」
二人の様子を眺めながら、感慨深げに微かに瞳を潤ませたメイナードは、ルディを見つめた。
「ありがとう、ルディ。君は僕の自慢の弟だよ」
フィリアの腕の中で、少し考えを巡らせた様子のルディは、遠慮がちにメイナードに向かって尋ねた。
「ねえ、兄さん。本当に、何でもお願いしていいの?」
「ああ、もちろんだ」
彼は大きな瞳で、メイナードをじっと見上げた。
「それなら、兄さんが前に魔術師団長だった時よりも、もっと兄さんと一緒にいられる時間が増えたらいいな。もう、兄さんも魔術師のお仕事に戻ると思うけど……」
「それなら、安心して欲しい」
メイナードは穏やかな笑みを浮かべてルディを見つめた。
「それは、僕も、呪いを受けて寝たきりだった時から考えていたんだがね。……魔術師団長への復帰も含めて、いくつかの職の打診を受けたのだが、この付近で魔物が現れたことのある場所を監視しながら、重点的に守るポジションに就くことにしたんだ。それなら、ある程度柔軟に動けるし、比較的時間の余裕もある。それに、君たちの安全を守ることにも繋がるからね」
「ありがとう、兄さん!」
フィリアも、彼の言葉を聞いてほっと安堵している自分に気付いた。
嬉しそうに笑ったルディは、ふと何かを思いついたように瞳を輝かせた。
「ねえ、兄さん。それに、フィリア姉さん。もう一つ、お願いしてもいいかな?」
少し上目遣いにルディに見上げられて、二人は揃って頷いた。
「ああ、構わないよ」
「もちろんよ」
ルディはにっこりと笑った。
「……じゃあ、新しい家族が増えたら嬉しいな」
予想外のルディの言葉に、メイナードが驚いたように瞳を瞬いた。
「それって……?」
「うん。甥っ子か姪っ子が欲しい!」
「「……!?」」
彼の無邪気な言葉に、メイナードとフィリアは思わず目を見交わすと、互いにかあっと頬を染めていた。
「だってさ、この家がもっと賑やかになったら、楽しいと思わない?」
「……ああ、その通りだな」
「そうですね……」
はにかむように笑った二人を見上げながら、ルディは顔中に大きな笑みを浮かべていた。
***
フィリアは、メイナードの部屋のソファーに並んで腰掛けていた。既に正装から着替えたメイナードの手は、フィリアの肩に優しく回されていた。
「……さっきのルディの言葉には、驚いたな。ずっと一人で、寂しい思いをさせてしまったからかもしれないな……」
ぽつりとメイナードが呟くと、フィリアは彼を見上げて微笑んだ。
「これから、お元気になられたメイナード様がルディと過ごす時間が増えれば、彼の笑顔もきっと増えますよ。それに……」
やや俯いて、ほんのりと頬を染めたフィリアの言葉をメイナードが継いだ。
「家族が増えたら、嬉しいね」
「……はい」
メイナードは、アメジストのように輝きの強い、そして確かな熱の籠った瞳でフィリアをじっと見つめると、そっと彼女の顎を持ち上げて微笑んだ。
「愛しているよ、フィリア。君に出会えて、よかった」
彼からの優しいキスは、少しずつ角度を変えながら次第に深くなっていった。初めての深い口付けに、フィリアは息が止まりそうになりながら、彼に身を任せていた。
ようやくメイナードの唇が離れると、フィリアは真っ赤になりながら彼の胸に顔を埋めた。彼の腕が、柔らかく彼女の身体に回された。
メイナードの鼓動を近くに感じながら、彼女はふと、彼に嫁ぐ前のことを思い出していた。
――声を掛けられる度に胸が高鳴った、ずっと、心密かに憧れていた初恋の人。
――想いを伝えることすら叶わないと、遠くから眺めることしかできなかった人。
そんなメイナードが、今は自分を腕に抱き締めて、愛しくて堪らないといった様子で瞳を細めてくれていることが、フィリアにはまるで奇跡のように思えた。
これほど甘く、蕩けてしまいそうな溺愛が待っているなんて、彼に嫁いで来る前のフィリアには想像することもできなかった。
「私も、大好きです。メイナード様」
フィリアが頬を染めたまま彼を見上げると、嬉しそうに笑ったメイナードの温かな両腕に、ぎゅっと力が込められた。
夢のように思える幸せが、確かに現実なのだということを、彼女を抱き締めるメイナードの力強い腕が教えてくれていた。
明るい光に照らされる未来が目の前に広がるように感じながら、フィリアは愛しいメイナードを抱き締め返すと、にっこりと笑った。
最後までお付き合いくださり、どうもありがとうございました!
楽しんでいただけたようでしたら幸いです。できれば評価やブックマークで応援していただけましたら、とても嬉しく思います。
誤字報告で助けてくださった皆様にも大変感謝しておりますm(_ _)m この場を借りてお礼申し上げます。
また、別作品になりますが、「婚約破棄され家を追われた少女の手を取り、天才魔術師は優雅に跪く」完結巻となる書き下ろしの3巻(イラスト:みつなり都先生、3巻は電子書籍のみ)が、双葉社Mノベルスf様より来月2月10日に発売予定です。
(同1巻・2巻、コミカライズ版「義妹に婚約者を奪われた落ちこぼれ令嬢は、天才魔術師に溺愛される」(オザイ先生)1巻・2巻も発売中です! ※コミカライズ版は書籍版をベースに進みます)
溺愛&幸せが伝わるような完結巻になっていると思いますので、もしこちらにもお付き合いいただけましたら、大変嬉しく思います…!




