微かな光
メイナードがフィリアの視線に気付いて口を開いた。
「どうしたんだい、フィリア?」
「今、何か……」
フィリアは小首を傾げて、彼の首に浮かび上がっている呪詛に改めて目を凝らした。彼の喉元を覗き込んだ彼女の目には、初めて見た時と比べて随分と色が薄くなってきた呪詛が並ぶ様子が映っていた。その中でも、彼の首に後から浮き出て来た、そこだけ趣の異なる文字のところに、揺らめく光のような不思議な色が重なって見えた。
(これは……?)
他の呪いの紋から感じられる、濁ったような禍々しさからは一線を画す、仄かに揺れる澄んだ光を纏った紋様は、フィリアに何かを訴え掛けているようだった。
フィリアは目を瞬くのも忘れて、その微かな光に見入っていた。
今までにも、フィリアは古い文献を読んでいる時など、文献の方から彼女に文字以上の情報を伝えてくるような感覚を覚えることがあり、その勘も実際に仕事に役立っていた。
メイナードの首に浮き出て来た文字から感じられたのは、これまでに経験したそのような感覚のどれよりも切実に訴え掛けてくるようなものだった。
(まるで、必死に助けを求めているような……?)
呪いを掛けられた側が助けを求めるのなら合点がいくとしても、呪いの紋に混じってそのような訴え掛けを感じたことに、フィリアは戸惑いを覚えていた。
集中を解くように小さく息を吐いてから、フィリアはメイナードの顔を見上げた。その時、彼の瞳がじっと彼女を見つめていたことに気が付いて、彼女の頬はまた仄かに熱を帯びた。
「メイナード様?」
彼はフィリアの左目を覗き込むようにしていた。
「今、君の左目が確かに光を帯びて輝いていたんだ」
「私の左目が……?」
メイナードは頷くと、フィリアの滑らかな髪を優しく撫でた。
「君の瞳には何が映っているのだろうと、そう思って君を見ていたんだ。……ねえ、フィリア。君の目は、僕には見えない何かまでも見通しているような気がするよ」
「そうでしょうか? ……今、メイナード様の呪詛の一部に、重なるようにして不思議な光が見えたような気がしたのですが、でも……」
困惑気味に瞳を揺らすフィリアの言葉に、メイナードは静かに耳を傾けていた。いったん口を噤んだ彼女に、彼は優しく微笑んだ。
「君が見えたことや感じたことを、そのまま教えて欲しい。僕には、君の感覚は正しいように思えるんだ」
フィリアはこくりと頷くと続けた。
「メイナード様の首に浮かぶ呪詛の中に混ざっている、前にメイナード様に回復魔法を掛けた時に浮き出てきた、ほかの呪いの文字とは趣の異なる文字ですが。イアン様に伺ったところ、これはどうやら、昔の神官が使っていた聖なる言葉のようでした」
「ほう。聖なる言葉、か」
「今、この文字に重なるようにして、微かな光が見えたような気がしたのです。それはまるで、私に向かって訴えているようでした。……消え入りそうになりながらも、『助けて欲しい』と」
興味深そうにフィリアの話に聞き入っているメイナードを、彼女は見つめた。
「この呪詛には、邪悪なものの中に、ほんの少しだけ別の何かが混ざっているような気がするのです。……でも、おかしいですよね? メイナード様から力を奪っている呪いの中から、助けを求める訴えを感じたような気がするなんて」
メイナードは首を横に振った。
「いや、君の感じたことは間違ってはいないと思う。僕も、君が僕の側に来てくれてから、この呪詛の内側から抗うような、弱々しいが不思議な力のようなものを感じることがあった。君に見えたのは、きっとそれではないかな」
フィリアは彼の言葉に、驚きに目を瞬いた。
「メイナード様も、そのようなものを感じていらしたのですか?」
「ああ。はじめは気のせいかとも思ったのだがね」
メイナードは、自らの首に触れると続けた。
「君が僕に回復魔法を掛けてくれてから、君の言うように、この呪詛の内側にある別種の何かが動き出したような気がしていた。まだ弱いものではあるが、君と過ごすうちに少しずつ息を吹き返してきているような、そんな感覚があるんだ。呪詛の成長が止まって、色が薄くなり出したのも時を同じくしていたしね」
「そうだったのですね」
フィリアは改めてメイナードの顔を見上げた。まだ呪いに力を奪われ続けているとはいえ、彼の体調は日を追う毎に改善しているようで、やつれ果てていた彼の顔にも、かつての美しさが日に日に戻りつつあった。
「この、聖なる紋とでも呼べるようなものが何を意味するのか、それを確かめるための資料を研究所から借りてきましたので、これから調べてみますね」
呪いを解くことに繋がる糸口が見えてきたような気がして、フィリアの瞳は期待と希望に輝いていた。
「ありがとう、フィリア」
メイナードは見惚れるほど美しい笑みを浮かべると、フィリアの左目と右目のそれぞれに優しくキスを落とした。
「……!」
「君の瞳は、やっぱりとても綺麗だね。左目も右目も、まるで宝石のようだ」
不意打ちのような彼の口付けにフィリアが真っ赤になって固まっていると、彼は温かく笑った。
「もし僕の気持ちが君の目に見えたなら、いったいどんな風に見えるんだろうね? ……どうしたら君への愛しさが伝わるだろうかと、言葉では表し切れずにもどかしく感じる時があるんだ」
フィリアは、彼女を見つめる愛しげな彼の視線にくらくらとしながら口を開いた。
「私にも、さすがにそれは見えませんけれど……。でも、メイナード様からは、澄み切っていて清らかな、それでいて温かなものを感じます。それに、メイナード様が私をとても大切にしてくださっていることは、十分過ぎるくらいに伝わっていますよ?」
メイナードはフィリアの言葉にくすりと笑った。
「僕の気持ちが君に伝わっていたなら嬉しいよ」
フィリアを再び優しく腕に抱き締めたメイナードの声の甘い響きに、彼女は蕩けそうになりながら頷いた。




