プレゼント
「ただいま戻りました」
メイナードの部屋のドアを開けたフィリアの目に、瞳を輝かせたルディと、優しい微笑みを浮かべてベッドの上で上半身を起こしているメイナードの姿が映った。
「お帰りなさい!」
「フィリア、お帰り」
嬉しそうにフィリアを迎えた二人に彼女が笑みを返すと、ルディはメイナードとフィリアを交互に見つめてから、座っていた椅子からぴょんと飛び降りた。
「じゃあ、僕はそろそろ部屋に戻るね」
「おや。せっかくフィリアが帰って来たというのに、いいのかい?」
瞳を瞬いたメイナードに向かって、ルディはこくりと頷いた。
「うん! だって、兄さんたちの邪魔をしたくはないもの」
ルディはフィリアに視線を移すと、楽しげに口を開いた。
「兄さん、フィリア姉さんが出掛けてから、何だかずっとそわそわしていたんだよ。フィリア姉さんが帰って来たら、途端に表情も明るくなったし。だからさ、しばらく二人でゆっくり過ごしてねー」
にっこりと笑って二人に手を振ったルディは、足取りも軽くメイナードの部屋を出て行った。
パタンとドアの閉まる音を聞いて、メイナードとフィリアは思わず顔を見合わせた。
「……随分とませているんですね、ルディは」
「ああ、そうだね。彼なりに気を遣ってくれたのだろうな」
ルディの言葉に軽く頬を染めていたメイナードは、フィリアを見つめた。
「だが、確かにルディの言う通りかもしれない。フィリアが研究所に出掛けてから、何だか急に家の中が寂しくなって、落ち着かない心地でいたんだ。君には、周囲を明るく、温かくする力があるみたいだね」
安堵の表情を浮かべて、嬉しそうに、そして愛しげにフィリアに笑い掛けるメイナードの姿に、フィリアもふわりと頬に血を上らせた。
「ふふ。私も、メイナード様のお側に帰れることに幸せを感じながら、帰りの馬車に乗っていたのですよ」
「本当かい? それは嬉しいな」
メイナードは笑みを深めると、フィリアをじっと見つめた。
「フィリア、もう少し側に来てもらっても?」
「? はい、わかりました」
メイナードのすぐ隣まで近付いたフィリアに、彼は両腕を回すと優しく抱き締めた。
「あの、メイナード、様……?」
「君が確かにここにいるということを、確かめさせて欲しかったんだ」
メイナードの両腕に、少し力が籠った。彼の言葉に、フィリアはさらに頬に熱が集まるのを感じていた。メイナードの背中にそろそろと手を回して、フィリアも彼を抱き締め返した。
「私の居場所は、メイナード様のお側だけですから」
フィリアが家を空けたのは、メイナードの元に嫁いで来てからこれが初めてだったということに、改めて彼女は思い至っていた。彼の温かな腕に包まれながら、フィリアは胸が締め付けられるような思いを感じていた。
(強力な呪いに力を奪われながら過ごすということ自体が、想像以上に孤独を感じるものなのかもしれないわ。どうしたら、私の気持ちをもっとメイナード様に伝えられるかしら……)
フィリアはしばらくメイナードを抱き締めた後、腕の力を緩めて彼の顔を覗き込んだ。メイナードのアメジストのような澄んだ瞳には、どこか切なげな色が宿っていた。
フィリアは少し逡巡してから、決心したように彼の顔にゆっくりと唇を近付けると、その頬にそっと優しく口付けた。
彼女の柔らかな唇を頬に感じたメイナードの瞳が、みるみるうちに驚きに見開かれた。
「君から口付けてくれたのは、初めてだね」
フィリアの顔は、この上ないほどに真っ赤に染まっていた。
「はしたないと思われたなら、すみません。私の気持ちを、どうしてもメイナード様にお伝えしたくて……」
「凄く嬉しいよ、フィリア」
メイナードは、今度は両手で優しくフィリアの顔を包み込むと、彼の方から彼女の唇にゆっくりと口付けた。彼からの長いキスに、フィリアの唇からは、堪え切れなくなったように途中で小さな吐息が漏れた。
息も絶え絶えといった様子で胸を跳ねさせていたフィリアを、再びメイナードの腕が温かく包んだ。
「言葉で伝え切れるかはわからないが、愛しているよ、フィリア」
「わ、私もです。メイナード様」
メイナードの眩しいほどの笑顔に、フィリアは眩暈を覚えていた。彼は足元をふらつかせたフィリアを抱き留めるように手を差し伸べると、彼女をそのままベッドサイドに腰掛けさせた。
「久し振りの研究所はどうだったかい?」
フィリアは頬を染めたまま、呼吸をどうにか整えながら答えた。
「イアン様にも色々とお話を伺えましたし、調べたいと思っていたメイナード様の呪詛について、役に立ちそうな数冊の本も新しく借りられました。……あの、お首の様子をまた見せていただいても?」
「ああ、もちろん構わないよ」
フィリアはメイナードの首元を覗き込むように顔を近付けた。呪いの紋が伸びている様子がないことにほっと胸を撫で下ろしてから、フィリアは彼に向かって微笑んだ。
「症状が落ち着いていらっしゃるようで、安心しました」
フィリアはそのまま、メイナードに向かって手を翳した。回復魔法の淡い光がメイナードを包み込むと、彼は感謝を込めた眼差しでフィリアを見つめた。
「フィリア。君の魔法は、日に日に温かさが増していっているような気がするんだ」
フィリアはイアンの言葉を思い出しながら、はにかむようにくすりと笑みを零した。
「そうだとしたなら、それはメイナード様のお蔭です。毎日、これほどに私のことを大切にしてくださるのですもの。ありがとうございます、メイナード様」
愛する人からこの上ないほどの愛情を注がれ、日々必要とされていることで、フィリアは身体の内側から力が湧いてくるような気がしていた。
メイナードはにっこりとフィリアに笑い掛けた。
「お礼を言いたいのは僕の方だよ、フィリア。……気持ちばかりだが、君に渡したいものがあるんだ」
「渡したいもの、ですか?」
「ああ」
メイナードは、ポケットの中から小さな箱を取り出すと、蓋を開けて手に取ったものを、フィリアの前髪を持ち上げるようにして丁寧な手付きで飾った。
急に視界が開けて、フィリアは驚いたように目を瞬いた。
「あの、これは……?」
「そこの鏡を見てごらん」
フィリアは頷いてベッドから腰を上げると、数歩先の壁際に掛かっている鏡を覗き込んだ。鏡の奥に映った自分の髪を飾っているものを見て、彼女は思わずほうっと息を吐いた。
「わあ、素敵……」
フィリアの蜂蜜色の前髪をサイドで留めていたのは、美しい金の髪留めだった。髪留めにあしらわれた、繊細に重なり合う金の花弁の中からは、やや青味がかった美しいエメラルドが覗いている。
うっとりと瞳を細めているフィリアに向かって、メイナードは楽しげに微笑み掛けた。
「君が気に入ってくれたなら嬉しいよ」
「ええ、とっても! ……こんなに美しい髪留めをいただいてしまって、よろしいのですか?」
「ああ、もちろん。サムに頼んで、君のためにと特注で作らせていたものなんだ。ちょうど、君が戻る直前に届いたんだよ」
宝飾品としての価値の高さが一目で窺える髪留めに、フィリアはそっと触れた。
「これほど素晴らしいものを私のために誂えてくださったなんて、本当にありがとうございます。このエメラルドも、深い輝きがとても綺麗ですね。ずっと大切にします」
フィリアは、美しい髪留めそれ自体よりも、何よりそこに込められたメイナードの気持ちがとても嬉しかった。
メイナードも、フィリアの嬉しそうな様子を見つめて柔らかく笑った。
「君がそれを使ってくれたら、君の美しい瞳が、僕にもよく見えるようになるからね」
(そう言えば……)
彼女の瞳をメイナードが褒めてくれてからも、フィリアは気恥ずかしさに負けるようにして、つい長めの前髪をそのままにしていたことを思い出した。
「その髪留めにあしらわれているエメラルドより、君の瞳の方がずっと綺麗だよ」
「……ありがとうございます、メイナード様」
愛おしそうにフィリアを見つめたメイナードを、彼女もほんのりと頬を染めて見つめ返した。フィリアの胸も、メイナードへの愛しさではちきれてしまいそうだった。
メイナードのベッドサイドに再び腰を下ろした彼女は、彼の温かな腕にもう一度包まれてから、彼の首の辺りから何かを感じて瞳を瞬いた。
(……あら?)
フィリアはメイナードの腕の中から、彼の首元をじっと見つめた。




