ささやかな式
二人の挙式の日まではあっという間だった。抜けるような青空の広がる晴天の日、美しい花々が鮮やかに咲き乱れる庭に面した屋敷内の一室に、メイナードとフィリア、そしてルディと、サムをはじめとする使用人たち数名が集っていた。
庭に面した大きな窓から一杯に差し込む陽光を浴びている、純白のウェディングドレスを纏ったフィリアに、メイナードは零れんばかりの笑顔と共に憧憬の眼差しを向けた。
「……フィリア。本当に綺麗だね」
メイナードは車椅子の上からうっとりとフィリアを見つめていた。
この日のフィリアは、前髪をサイドに流して、左側だけ緑がかったオッドアイも露わになっていた。そんな彼女をヴェール越しに見上げて心から嬉しそうな笑みを浮かべるメイナードに、フィリアも恥ずかしげに笑みを返した。
「メイナード様も、とても素敵です」
英雄と呼ばれた以前の逞しくしなやかな身体つきは失われ、新しく誂えたタキシードの中でも身体が泳ぐほどにやつれていたメイナードではあったけれど、フィリアにとっては心密かに慕い続けていた初恋の人に変わりはなかった。そんな彼の笑顔が、フィリアにとってはとても眩しかった。
彼の体力を損なわないことを第一に考えて、フィリアはサムと相談して神父を屋敷に招いていた。長時間立っていることが難しいメイナードは、タキシードに着替えた上で座った車椅子をサムに押されていた。メイナードの脇には、小さな礼服をきちんと身に着けたルディが控えていた。
ルディはもじもじとしながら、メイナードの隣からフィリアを見上げた。
「お姉さん、この前はごめんなさい。……兄さんの言う通り、とっても綺麗だよ」
ようやく意を決したように発せられたルディの言葉に、フィリアはメイナードと目を見交わして微笑み合ってから、ほんのりと頬を染めた小さな彼ににっこりと笑い掛けた。
「ありがとうございます、ルディ様」
フィリアがルディの頭を撫でると、彼はぱっと明るい笑みを浮かべた。
「僕のことはルディって呼んで。もう、今日から僕の義姉になってくれるんでしょ? 僕も、フィリア姉さんって呼ぶから」
「ふふ、わかりました、ルディ。改めて、これからよろしくお願いしますね」
「うん!」
(何て可愛いのかしら……!)
ほっとしたように顔中に年相応のあどけない笑みを浮かべたルディを見て、フィリアの胸も温かく満たされていた。
その様子に、サムも嬉しそうに笑っていた。
結婚式といっても、身内だけで挙げるささやかなものだった。その上、式を挙げるようフィリアに促した張本人である姉と両親にも彼女は招待状を送っていたものの、その返事は多忙を理由に出席を断る素っ気ないものだった。
厳かな儀式服を身に付けた神父の前に、メイナードとフィリアが並んだ。神父は穏やかな表情でメイナードに問い掛けた。
「新郎メイナード、あなたはフィリアを妻とし、健やかなる時も病める時も、富める時も貧しい時も……」
神父の落ち着いた声の響きに耳を澄ませながら、フィリアの胸はとくとくと緊張気味に高鳴っていた。
「……彼女を愛し、敬い 、共に助け合い、その命ある限り心を尽くすことを誓いますか?」
「はい、誓います」
線の細くなったメイナードから紡がれた誓いの言葉が、迷いのない、力強くはっきりとしたものであったことが、フィリアの胸に響いた。
フィリアも、緊張から震えそうになる声を張るようにして結婚の誓約の言葉を紡ぐと、ルディが手に乗せてやって来たリングピローの上にある金の指輪を交換した。落とさないように慎重に指輪を持ち上げたメイナードが、彼女のほっそりとした指に指輪を嵌める。フィリアも彼の骨ばった指にそっと指輪を嵌めると、車椅子のメイナードの前にゆっくりと屈んだ。
フィリアのヴェールをメイナードが持ち上げると、彼の顔が静かに彼女に近付き、彼の唇が優しく彼女の唇に触れた。
メイナードの柔らかな唇の感触を直接唇に感じて、フィリアは息が止まりそうになったけれど、頬を染めた彼女を見て、メイナードは柔らかな笑みを浮かべていた。
神父により二人が夫婦になったことの宣言がなされ、順番に結婚誓約書への署名を行ったものの、メイナードに口付けられてからは、フィリアはどこかふわふわとした夢の中にいるような気分で式の時間を過ごしていた。
***
結婚式を挙げた日の晩、ウェディングドレスから夜着に着替えて湯浴みも終えたフィリアは、メイナードの部屋を訪れていた。彼も既にタキシードから夜着に着替えて、ベッドに身体を横たえていた。
久しく離れていなかったベッドから出て式の時間を過ごしたメイナードに向かって、フィリアは労わるように微笑んだ。
「今日はありがとうございました、メイナード様。きっとお疲れのことでしょう」
フィリアは優しく手をメイナードに翳すと、静かに回復魔法を唱えた。薄暗い灯りに照らされた部屋の中を、フィリアの手から放たれた白い光が淡く舞った。
「僕の方こそありがとう、フィリア。……君と夫婦になれたなんて、何だか夢のようだよ」
「ふふ、それは私の台詞です」
微笑み合う二人の左手の薬指に嵌められた、揃いの金の指輪が微かに光を弾いていた。
初夜とはいえ、メイナードの身体の状況では互いに身体を重ねることは難しいと、フィリアも十分にわかっていたし、それに、もし心の準備ができているかと問われたとしたなら、フィリアは真っ赤になって倒れてしまいそうだった。
彼女はメイナードを見つめて穏やかに笑った。
「ではゆっくりと休んでください、メイナード様。また明日、お側にまいりますね」
「……フィリア」
メイナードは、フィリアをベッドから見上げると彼女の手を静かに取った。
「もう少し、僕と一緒にいてはもらえないかな?」
彼の瞳の奥に、優しい色と共に微かな熱を感じて、フィリアの肩はぴくりと跳ねた。
彼女は頬に熱が集まるのを感じながら、こくりと頷いた。
「はい、メイナード様のお邪魔にならないようなら」
「君が邪魔になるはずがない。君が側にいてくれるだけで、元気が湧いてくるような気がするんだ」
嬉しそうに笑ったメイナードのベッドサイドに腰掛けて、フィリアはしばらく彼との会話を楽しんでいたけれど、夜が更けて部屋の中が次第に冷えてくると、薄手の夜着に身体を微かに震わせて小さなくしゃみをした。
そんな彼女を見て少し逡巡してから、メイナードは躊躇いがちに口を開いた。
「……もし君が嫌でなければだが、僕の隣に来てくれないか?」
少し身体をずらして、広いベッドの横を空けたメイナードの姿に、フィリアは眩暈を覚えながら頷いた。
「は、はい」
フィリアはそっとメイナードの隣に身体を滑り込ませた。まだ彼の体温が残るその場所も、そしてすぐ隣にいる彼の身体も温かかった。
メイナードはゆっくりと手を伸ばすと、緊張気味に身体を固くしていたフィリアを優しく抱き締めた。初めてメイナードの腕の中に抱き締められ、フィリアは心臓が激しく高鳴るのを感じながら、メイナードの鼓動を聞いていた。彼の心臓もまた、早く打っていた。
メイナードは、フィリアを抱き締める腕に力を込めると、いったん腕を緩めてから彼女の顔を覗き込んだ。
「これほど誰かを愛おしいと思ったことは、生まれて初めてなんだ」
呟くようにそう言ったメイナードは、フィリアの唇に触れるだけの優しいキスを落とした。触れるだけとはいえ、式の時よりも長くて甘い口付けに、フィリアは頭の中が沸騰しそうになっていた。
彼はフィリアから唇を離すと、ふわりと笑った。
「こんな僕のところに嫁いで来てくれて、本当にありがとう。フィリア」
フィリアは心の中で彼の言葉に白旗を上げると、真っ赤になった顔を両手で覆うようにしながら口を開いた。
「……私、メイナード様が姉と婚約していた時から、ずっと貴方様に憧れて、密かにお慕いしていたのです。だから、私こそ、メイナード様のお側にいられることに感謝しています」
メイナードの瞳が驚いたように瞠られ、彼女に回された腕に再び力が込められた。
「君に出会えて、こうして今一緒にいられることを、神に感謝しなければいけないな……」
メイナードはフィリアを抱き締めながらも、首元の赤黒い呪詛が彼女の顔に触れるほどに近付いたことに気付くと、慌てて少し身体を離した。
「すまない。気持ちが悪かっただろう」
フィリアはすぐに首を横に振った。
「いえ、ちっとも。ですが……」
彼女はメイナードの首元を覗き込むと、真剣な表情に戻って彼に尋ねた。
「……あの、メイナード様は、今、喉元の辺りに苦しさを覚えられましたか?」
「いや、特にそういったことはないが……」
そう答えたメイナードの正面から、フィリアは彼の首に禍々しく並ぶ呪いの紋を見つめた。彼の首に巻き付くように現れている呪詛に、不思議な色が浮かび上がっていたように感じて、そして彼女に何かを訴え掛けてきたような気がして、フィリアは再び彼の首元をじっと覗き込んだ。




