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【書籍化&コミカライズ決定】【Web版】聖女の姉が棄てた元婚約者に嫁いだら、蕩けるほどの溺愛が待っていました  作者: 瑪々子


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14/30

二人の朝食

誤字報告をありがとうございます、修正しております。

 フィリアが翌朝目を覚まして身支度を終えた時、軽快にドアをノックする音がちょうど彼女の耳に届いた。

 彼女がドアを開けると、にこやかな表情のサムが立っていた。


「フィリア様、朝食の準備ができました。よろしければ、今朝は旦那様とご一緒にいかがですか?」

「ええ、喜んで」


 微笑んで頷いたフィリアに向かって、サムは嬉しそうに続けた。


「それから、フィリア様」


 サムの瞳が楽しげに輝く。


「結婚式の件、昨夜旦那様にご相談したら喜んでいらっしゃいましたよ」

「……まあ、本当ですか?」


 ふわりと頬を染めたフィリアに、サムは勢いよく頷いた。


「旦那様は、あのようなお姿になってしまったご自分と並ぶことは、フィリア様がお嫌なのではないかと気にしてはいらっしゃいましたが、フィリア様と式を挙げて入籍なさることについては嬉しそうなご様子でした。また旦那様と朝食を召し上がる時に、お話しされてみてはいかがでしょうか」

「はい、伺ってみます」


 隠し切れず嬉しそうな笑みを零したフィリアを、サムは温かな瞳で見つめた。


「これから旦那様のお部屋に朝食をお持ちしますので、もしご準備がよろしいようなら、旦那様のところでお待ちください」

「ええ、ありがとうございます」


 サムが足早に部屋を出て行くと、フィリアも少しそわそわとしながら自室を出て、メイナードの部屋のドアを控えめにノックした。

 すぐに部屋の中から彼の声が聞こえ、フィリアがドアを開けると、ベッドから半身を起こしていたメイナードの笑顔に出迎えられた。


「おはよう、フィリア」


 まだ身体の具合は優れない様子だとはいえ、フィリアにとっては眩しいほどの彼の笑みに、彼女もつられるように笑みを返した。


「おはようございます、メイナード様」


 彼に手招きされて、昨日と同じ彼の近くの椅子にフィリアが座ると、メイナードは明るい表情で彼女を見つめた。


「昨夜はよく眠れたかい?」

「……はい、メイナード様」


 本当のところは、メイナードを助ける方法を探すために、イアンが持って来てくれた文献を夜更けまで読んでいたフィリアだったけれど、心配を掛けたくなかった彼女はつい彼にそう返した。ただ、フィリアは大好きなメイナードの笑顔を見て、昨夜の疲れが吹き飛んだように感じていた。


「メイナード様は、よく眠れましたか?」

「ああ。これほど穏やかな気持ちで眠れたのは、久し振りだったよ。これも、君が来てくれたお蔭だ」

「ふふ、そう言っていただけると嬉しいです」


 メイナードの体調は、昨日会ったばかりの時よりは幾分か良くなっているようにフィリアの目にも映った。


 サムから伝え聞いた話にそわそわと浮き立つ気持ちを抑えて、フィリアは彼に尋ねた。


「あの、朝食の前に、メイナード様のお首の様子を確認させていただいても?」

「構わないよ、ありがとう」


 フィリアは椅子から立ち上がってメイナードの側で身を屈めると、その首元を覗き込んだ。

 顎の上の方に伸びていた呪詛の端は、昨日確認した部分からさらに二つほど、文字のような模様のような赤味を帯びた発疹が浮き出て来ていた。


(また、呪詛が少し伸びているわ……)


 新しく現れた部分を指先でなぞったフィリアの表情が少し翳ったことに気付いたメイナードは、彼女を励ますように微笑んだ。


「今までは、毎日、首の四分の一周ほど絡み付くように伸びていたこの発疹だが、君が来てくれた昨日からは、ほとんど新しく現れてはいないんだ。これほど悪化せずに済んだのは初めてだよ」

「そうだったのですね」


 フィリアは彼の言葉に、多少なりともほっと胸を撫で下ろしていた。今までよりも呪詛の悪化の速度が鈍化したということは、良い兆候ではあったからだ。


(とは言っても、まだ気は抜けないけれど。でも、メイナード様はやはり前向きで心の強い、素敵な方だわ)


 昨日から今日にかけての症状の変化を、じわじわと悪化していることを悲観するか、それとも悪化の速度が抑えられたと明るい面に光を当てるかは、人によってかなり捉え方が異なるのだということを、フィリアは今までに接した患者から感じていた。その中でも、メイナードのように楽観的に、前向きに物事を考える方が良い結果に繋がりやすいことも、フィリアは身をもって知っていた。


 フィリアはにっこりとメイナードに笑い掛けた。


「そう伺って、私も安心いたしました。これから、一緒に解決して治していきましょうね」

「そうだね。本当にありがとう、フィリア」


 メイナードがフィリアを見つめる瞳には、深い信頼と、そして仄かな熱が籠められていた。


 その時、部屋のドアがノックされて、二つのトレイを器用に腕に乗せたサムが入って来た。


「お待たせしました、メイナード様、フィリア様。朝食をお持ちしました」


 まだ湯気の立つ具沢山のスープと、こんがりと焼き目の付いたパンからは食欲をそそる香りが立ち上り、フィリアの鼻をくすぐった。


「……あの、今朝はルディ様はいらっしゃらないのですか?」


 二人分だけ運ばれて来た朝食を目にして、フィリアが戸惑ったように尋ねると、メイナードが苦笑した。


「ルディはまだ、少しへそを曲げているようでね。だが、フィリアにならじきに懐くさ。あまり気にしないで欲しい」

「俺も同感です。ルディ様は、アンジェリカ様の一件もありましたし、まだ慣れていないだけですよ」

「そうでしょうか……」


 ルディとももっと仲良くなれたらと、フィリアは少し寂しく思っていたけれど、メイナードとサムは口を揃えて彼女を励ました。

 サムは朝食の皿を載せたトレイをメイナードのベッドサイドとフィリアの前のテーブルにそれぞれ置くと、楽しげに二人を見つめた。


「さっき、また俺は、メイナード様とフィリア様のお邪魔をしてしまったでしょうか? ……見る度に、お二人は距離を縮められているようですね」


 思わず互いに頬を染めて顔を見合わせた二人を前にして、サムは明るい笑みを零した。


「俺としては、嬉しい限りです。それに、お二人ともすぐに結婚なさることに前向きでいらっしゃるようですし、俺もそろそろ式の準備に取り掛からせていただいても?」


 メイナードは、サムの言葉を受けてフィリアを真っ直ぐに見つめた。


「改めて、僕でよいのなら、僕と結婚してくれたら嬉しく思うよ、フィリア。こんな身体で出来ることは少ないが、僕の力の限り君を大切にすると誓うよ」


 メイナードの真剣な眼差しに、フィリアは夢を見ているようだと思いながら頷いた。姉の代わりでも妥協でもなく、メイナードが自分を彼の伴侶にと選んでくれたことが伝わってきたからだった。


「喜んでお受けいたします、メイナード様。私も、お側にいたいと思う方はメイナード様だけですから」


 そう言って微笑んだフィリアに、メイナードもほっとした様子で嬉しそうに瞳を輝かせていた。サムはさらに笑みを深めると、うきうきとした調子で言った。


「内輪の式で構わなければ、神父を呼んで夫婦の誓いを立て、結婚誓約書に署名をすれば、すぐにでも婚姻が調いますからね。ああ、もちろんフィリア様のドレスとお二人の指輪も揃える必要がありますが、俺に手伝えることがあれば何でも言ってください」

「ありがとう、サム。君がいてくれて、助かっているよ」


 メイナードの言葉に、サムは瞳を細めて彼を見つめ返した。


「旦那様のためなら、お安いご用です。……せっかく朝食の時間だというのに、すっかりお邪魔してしまいましたね。どうぞごゆっくりお二人で召し上がってください」


 サムがそそくさと部屋を後にすると、残された二人ははにかんだように微笑み合った。


「冷めないうちに食べようか、フィリア」

「ええ、そうですね」


 スープに手を伸ばしかけたフィリアは、カチャンという音に視線を上げた。目の前のメイナードの手から、スプーンがトレイの上に滑り落ちた音だった。手元が覚束ない様子のメイナードを、フィリアは見つめた。


「……あの、スプーンを貸していただいても?」


 メイナードは困惑したような表情を浮かべたけれど、上手く力の入らない手から、拾い上げたスプーンを離した。フィリアは彼のスプーンを受け取ると、スープから掬った具を彼の口元に運んだ。


「君にここまでさせてしまっては、申し訳ないな」


 眉を下げたメイナードに向かって、フィリアは温かな笑みを浮かべた。


「メイナード様は必ず回復なさいますから、それまでは遠慮なく私に甘えてください。せっかくお側に置いてくださるのですから、私も少しはお役に立ちたいのです」

「……ありがとう。君には、敵わないな」


(この世界に神が存在するなら、フィリアは、神が僕に遣わしてくださった天使だとしか思えない)

 

 フィリアを見つめるメイナードの瞳は眩しそうに細められ、微かに涙が滲んでいた。


 談笑しながら朝食を摂る二人の姿を、薄く開いたドアの隙間から見つめている小柄な人影があった。


(兄さん、笑ってる……)


 ルディは、穏やかな笑みを浮かべる兄の姿を驚いたように見つめていた。

 アンジェリカがメイナードの側にいた時は、身体が弱って食事を摂ることすらままならずに時間がかかるようになった彼を、次第に冷ややかな目で苛立ったように眺めるようになっていた。そんなアンジェリカの前で兄が塞いだ表情をしているのを、ルディは悔しい思いで見守ることしかできなかった。

 首元の呪いが悪化し、さらにやつれて元気を失くしていた兄が、まるで息を吹き返したかのように明るい笑みを浮かべ、フィリアを愛しげに見つめている様子に、ルディは目を瞬いていた。

 フィリアが優しく兄の口にスープを運ぶ姿に、知らず知らずルディの口元も綻んでいた。


(兄さんが言っていた通り、あのお姉さんは、この前に来たお姉さんとは全然違うみたいだ)


 ルディは兄の幸せそうな表情をしみじみと眺めてから、音を立てないようにそっと部屋のドアを閉めたのだった。

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