099 魔力の澱
「おり……?」
姉さんが指す場所を、俺も注視してみる。
ぐるぐる回るいつもの魔力の中、そこだけぶつかって弾かれているような……よく観察していないと見落としてしまう程度の、小さな淀みがあった。
「澱って、なに……?」
尋ねたエヴァに、姉さんはふぅ、と息を吐いて返した。
「魔女はね、たまにこういうのができるの。血液で言うところの血栓みたいなものかしら。場所や程度にもよるけれど、これがあると思い通りに魔力が扱えなくなるのよ。あなたのはかなり年季入ってそうね。場所も最悪」
「あ、そうか……」
年季が入っているというセリフで思い当たった。
その場所は、あの赤い石がついていた部分だ。
「その澱とやらをどうにかすれば、魔力を外に出せるようになるのか?」
「なるわね。ここ、魔法医の店なんでしょう? 流動剤を打ってもらいなさいな。そうしたらあとは私がなんとかしてあげる」
どことなく含んだ笑みで姉さんは言った。エヴァが魔力を扱えない理由はそんなところにあったんだな……分かってホッとした。
これで魔力供給ができるようになれば、供給方法についてもめなくてすみそうだ。
「それにしても、なんでこんな簡単なことが分からなかったの? 下手だから魔力供給ができないなんて、あるわけないでしょう?」
呆れ顔の姉さんに、エヴァが小声で答えた。
「その……心の問題かと思っていたから……」
「心の問題?」
「私が、魔力を使うのが怖いから、無意識にブレーキをかけてるのかと……」
返された答えを聞くと、姉さんは眉間にしわを寄せた。
「とんだお馬鹿さんなのね。そういう後ろ向きに内にこもった発想は、本質を見失うわよ」
冷たく言い捨てて、エヴァのあごを掴むと上向かせた。
「大体なに? この辛気くさい顔。この世で一番、自分が不幸だとでも思ってるのじゃなくて?」
「ちょ……姉さん、やめろよ」
「なにもしないわ、少しお説教したいだけよ」
後ろから肩を掴んだ手を、ぴしゃりと叩かれた。
ただのお説教でも十分怖いんだよ、姉さんの場合。
「心の問題? 自覚があるならなんとかなさいな。私の弟を使い魔にしたんでしょう? ならそれに見合う強い魔女でいてもらわなくちゃ困るわ。不死だろうがただの人だろうが、時間は平等に流れてるの。どこに止まったまま、なににしがみついてるのよ。顔を上げて前を見なさいな」
エヴァの事情を全部知ってるわけではないだろうに、姉さんはそう言い切った。
言われたエヴァは、なにも言い返さずに姉さんの顔を見ている。
「いいこと? あなたがなんなのか知らないけど、私は母さんたちみたいに放置しておく気はないわよ。フェルの害にしかならないのなら、どんな手段を使っても殺して、弟を返してもらうわ」
「――私を殺せるなら」
俺がなにかを言う前に、エヴァが無表情に口を開いた。
「今すぐにでも、そうしてもらいたいわ」
「……なんですって?」
「殺せる方法があるなら、お願い」
皮肉やヤケから出た言葉でないことは、姉さんにも伝わったらしい。
嫌な寒気に肩がふるえた。エヴァは、本気でそう思ってる。
「私が、生きているからいけないのよ」
続いた言葉に苦い気持ちが広がった。
そんなセリフ、聞きたくない。
「生きているから、いけないですって……?」
ますます眉間のしわを深くして、姉さんが言った。
「本当の本当にお馬鹿さん。そんな便利な理由を認めたらキリがないわ。あまりにもずるい言い訳ね」
「姉さん、言い過ぎだ。それ以上言うなら俺も本気で怒るぞ」
「言われなくともやめるわよ。心底呆れたから、今日はもういいわ」
もういいと言ったわりに、姉さんはエヴァを見下ろしたまま動こうとしない。
妙な緊迫感が場に漂っていて、息が詰まる。
「……もういいなら、下がってくれよ。まだなんかあんのか」
今度こそ無理にでも引きはがそうと思ったところで、姉さんは盛大なため息を吐いた。
そのまま、軽く首を横に振る。
「ブラが、可愛くないわ」
「「――え」」
唐突にナナメ上な指摘に、俺もエヴァも固まった。
「色もパッとしないし、デザインが子どもっぽすぎ。ねえ、フェルも好きじゃないでしょう?」
「いや……女もんの下着の好みとか、考えたこともないんだけど……ていうか、なんの話だ」
エヴァがなにかに気づいたように、慌てて胸元のシャツをかき集めた。
すごい顔でにらまれてるんだが……俺が悪いのか?
「まずは見えないところから改善する必要がありそうね」
なんの意味で姉さんがそう言ったのか……いや、薄ら笑ってる顔から、物理的なほうだな。
普段、俺の着るものをあれこれ用意するように、エヴァにもするつもりなのか。
……聞かなかったことにしておこうと思った。
「――なんだか賑やかだね……お客さんが増えたかな?」
声がしたほうを、全員が振り向いた。
その反応にやや気圧された顔で、カウンターの奥からマスターが出てくる。
姉さんが「あら、嫌いじゃないわね」と呟いた。
待て待て。
「姉さん、この人はここのマスター。魔法医で、俺が世話になった人だから」
なにもするなよ、と暗に釘を刺しておく。
「まあ、そうなのね。はじめまして、この子の姉のロシベルですわ。弟がすっかりお世話になってしまって」
「えっ、お姉さん? 驚いたな。どうもはじめまして――」
差し出された手をとろうとしたマスターを、俺は間に入って押し返した。
「マスター、握手はダメだ。接触禁止」
姉さんが意図的に誘惑を使っていなかったとしても、この毒気にやられておかしくなる男はいくらでもいる。
用心に越したことはない、と思ったのだが。
「ははは……ずいぶんと過保護な弟くんだね? 美人のお姉さんを持つとそうなるのかな。危険人物扱いは心外だけど、こんなオジサンをそういう風に見てくれてうれしいよ」
本気で笑われた。
いや、単純にマスターの身が危険だからかばってるだけなんだけど……姉さんの心配なんて1ミリもしてないんだけど……まあいいや……。
「マスター、それよりセオは?」
「終わったよ。5分ほど横になるように言ってある」
マスターは笑うのをやめると、複雑そうな顔で答えた。
よく見れば、この少しの時間にひどくやつれたみたいだ。
セオのチップを外すの、そんなに嫌だったのかな。
「マスター」
エヴァが横から声をかける。
「疲れてるところごめんなさい。あの、私に流動剤を打って、って言ったら、すぐにできる?」
「流動剤? そりゃ常備してるからできるけど……なに? どうしたの?」
事情が分からないマスターに、俺が代わりに説明する。
澱の話をすぐに理解したマスターは、オレンジ色のメガネをかけて「どこ?」と尋ねた。
エヴァが指した胸の中心をじっと診て、「ああ……」と呟く。
「面目ない。気づいてあげられなかった。そういえばエヴァちゃんは診察してなかったなあ……でもこれ、何回かに分けて処置しないと溶けないと思うな。小さいけど、相当濃い澱になってる」
マスターの説明に、姉さんが横から「大丈夫よ」と言った。
「流動剤さえ打ってくれれば問題ないわ。澱は私が溶かしてあげる」
「姉さん、そんなことできるんだな」
「もちろんよ。それにこの子の魔力。ちょっと美味しそうだから、味見ね」
なんか今、不吉なことを言わなかったか。
姉さんの特性は俺と同じく闇だ。雷撃系の魔法も扱うが、誘惑をはじめとする闇魔法は、俺なんかよりよほど得意とするところで。
つまり、魔力供給とか関係なく、他人から魔力やら生気やらを奪うことができる。
マスターはカウンターの奥の部屋に戻ると、すぐに注射器を持って出て来た。
エヴァの左腕をとって白い綿で拭き取る。針を突き立てたのは一瞬で、あっという間に注射器の中の液体は消えていた。
「あ、ありがとう」
「どういたしまして。すぐに効いてくるよ」
マスターの言葉通り、流動剤の効果はすぐに現れた。
店内の電気がチカチカ揺れて、音楽の流れるスピーカーが「サー」という雑音に変わる。
いつもこぢんまりまとまっているエヴァの魔力が、大きく波打っている気がした。
「あれ? なんだろう……電気おかしいね?」
首を回したマスターと同じように、俺も瞬く電気を見上げる。
「いや、これは多分……」
アクセラレータの影響じゃないのか。
エヴァを見れば、顔色が良くない。
「エヴァ、大丈夫か? 気分悪いとか……」
「違うの……少し、不安なだけ。壊れることはないと思うけど……アクセラレータに当てられると、機械は動作がおかしくなることもあるから……」
「そうか……」
魔力が外に出せないのは、エヴァが言っていた「心の弱さ」のせいじゃなかったようだが。
不安なことは変わらないだろう。
(俺じゃ、変えられないのかな……)
俺が側にいることで、エヴァが変わってくれればと思っていた。
楽しいことや、うれしいことを増やしていけばそのうち変わってくれるだろうと思っていた。
でも。
(――私が死ぬ方法を見つけるのを、手伝って)
真剣な表情で言われた事を思い出す。
エヴァはまだなにも変わっていない。
根っこのところで、「死んで終わりにする」考え方にしがみついている。
時間をかければ変わってくれるのか、それともずっとこのままなのか。
(そんなのダメだ。絶対、変えてやる……)
いつだって、泣くより笑わせてやる。
障害があるなら、全部蹴散らしてやる。
ただ、俺はまだ力不足だ。エヴァにとって頼れる存在じゃない。
そう認識してしまったら、苦しいくらい胸が痛くなった。




