096 千鳥亭再び
アスカと別れ、兄に理不尽な仕事を押し付けられた次の日の昼。
俺たちは約束通り千鳥亭に向かった。
昨日もくぐった濃い飴色の扉を抜けるとセオはすでにそこにいて、他の客の姿はなかった。
セオは俺の姿を確認すると、エヴァを見て、その足下を見たままぽつりと言った。
「……アスカは、来なかったのか」
思ったより動揺してないところをみると、予想済みか。
俺としてはどちらの味方のつもりもない。だからアスカには悪いが、ここで言い訳してやる気はなかった。
「ああ、あんたに『面倒を見てくれる人が見つかった』って言っておいてくれって。大した説明もなしに結局あのままタクシーに乗って、行っちまったよ」
「ちょっとルシファー……? 全部そのまま話してどうするのよ」
エヴァがなんとも言えない顔で俺をにらんだ。
「俺が嘘つかなきゃいけない理由がないからな。逃亡を手伝ってやったので借りは返した。それにセオだって本当のこと知りたいだろ。なあ?」
「ああ、そうだな……それで、アスカはどこに?」
「セントラルに行くって言ってたよ。あの様子だとたぶん、ドームに入るつもりかな」
「ドーム……? なぜそんなところに……」
聞かれたところで、俺がアスカの目的について知るわけがない。
さあ、と肩をすくめる。
「あいつの考えることも細かい行き先も分からないけど、国の機密情報でも探りたいんじゃないのか」
「そんなものを探ると、アスカが言っていたのか?」
「いや、ただの俺の勘。とりあえず飯食ったら捕まえに行くから、伝言あるなら聞いとくよ」
「捕まえ……に?」
「ちょっと事情が変わって。アスカを追うことになったんだ。あ、マスター。俺、今日も魚ね」
「……なんの話だ」
「ランチの話」
「その前だ。アスカを、君が捕まえる?」
不愉快な感情を隠しもせずに、セオが言う。
俺だって、好きでヒューマノイドの捕獲なんてやるわけじゃないぞ。
「まぁちょっと訳あってさ。別にとって食おうって話じゃないよ。もう1回アスカを見つけなきゃいけない個人的事情ができただけ」
「……料理がくるまで、話を聞かせてくれるか」
4人がけのテーブルをしめすと、セオは椅子を引いて座った。
俺も向かいに腰かける。となりの椅子を引いて、ポンポンと座面を叩くとエヴァを呼んだ。
「エヴァも、ほら」
「……ルシファー、なにを話す気なの?」
「あいつから聞いたこと全部。それでセオからの借りはチャラでいいだろ」
「アスカちゃんが話さなかったことを勝手に話すの? そんなこと……」
「別にいいんじゃねーの。聞きたいってんだから聞かせてやれば。俺、隠しごとされるの嫌いなんだよなー。ちょっとだけこっち側に共感中」
「アスカは……」
セオが、エヴァを気にしながらも尋ねてきた。
「どうして、俺には話せないと言ったんだろうか」
「理由はふたつある」
「ルシファー!」
「いいから」
怒るエヴァを抑えて続ける。
「ひとつはあんたが科学国の人間だから。もうひとつは、あんたが機械を嫌いだから。って言ってたよ」
「どちらも……意味が分からないんだが」
「うーん、分かりやすく言うと……例えば俺はこれからこの国の中枢に行くわけなんだけど」
「ああ」
「そこには憲兵がうじゃうじゃいて、そいつらと戦闘になる可能性もある」
「……ああ」
「俺はやつら相手に後れをとったりはしないけど、あんたは違う。ローラシア人のあんたは、一瞬でやつらに捕獲されるか、最悪殺されるかもしれない」
「……なに?」
「アスカが言ってた。その識別札を使って、人を殺すこともできるんだと。ローラシアは便利を提供する代わりに、あんたら国民の命を握ってるんだよ」
チップがあることで、国民は様々な恩恵を受けている。
医療、福祉、行政の様々なサービス……科学国でまっとうに生きていく上で、なくてはならないものだろう。
国民は、そんなチップの便利な面は知っているが、身につけることの負の面を知らされていない。
聞かされれば納得のいく話だった。
「……馬鹿な。識別札に、そんな機能はない」
セオは戸惑いながら首の後ろに手をやった。
否定する言葉のわりには、もう半分理解しているように見える。
「あるらしいよ。アスカはなんらかの理由でローラシアに追われてる。一緒にいると共犯にされる可能性があるんだろ。あんたさ、アスカが憲兵に襲われてたら助けるよな?」
「当たり前だ」
「そうなったら多分、死ぬよな。だからあんたに関わって欲しくないんだよ、あいつは」
セオは黙り込むと、少しの間そのまま考えを巡らせているようだった。
「……もうひとつの、機械が嫌いだというのは?」
困惑した顔で尋ねてきたセオの前に、木のトレーが差し出される。
コトリと、きれいに盛り付けられた料理がテーブルに置かれた。
「おまたせ、今日は昨日の魚と同じだけど、カルピオーネなんだ」
俺とエヴァの前にもうひとつずつトレーを置いて、マスターが言った。
白いスープボウルの中に、色とりどりの野菜と……揚げもの?
「魚のフライ……にしては不思議な見た目だな」
「野菜と一緒に漬けてあるんだよ。召し上がれ」
「へー、変わってるな。うまそう。いただきまっす」
俺がフォークを手に取ったのを見て、セオが「おい」と声をかけてくる。
「機械が嫌いだから、なんなんだ?」
「あ、悪い。時間切れだな」
「は?」
「料理が来るまでって言ったからなー。説明は以上」
「……ずいぶん早いな?」
その文句は、俺でなくマスターに向けられたものだ。
マスターは「ランチはスピードも大事なんだよ」と胸をそらした。
「それに今日のメインは盛り付けるだけだったからね」
「……まあ、料理に文句を言っても仕方ないな」
どことなく落ち込んだ雰囲気のセオと、俺にちょっと怒ってるっぽいエヴァと、3人で料理に手を伸ばす。思えばエヴァ以外と食事するのは久しぶりだ。
ふたりともしゃべらないので、俺はカウンターの中のマスターと話すことにした。
「昨日のもそうだったけど、これも聞かない料理名だよなー」
「そうかい? 大崩壊前にあった、イタリアって国の料理を再現してるんだよ」
「ああ、その国なら知ってる。そうか、イタリア料理かー。好きだなぁマスターの作るランチ。ローラシアにいる間にまた食べに来よう」
「おや、うれしいね。ありがとう」
マスターは本当にうれしそうに目を細めた。
これだけうまい料理が作れるなら、医者なんてやらなくてもいい気がするのに……
「マスターさ、なんで料理人なのに闇医者やってんの? あ、いや、闇医者なのに料理人やってんの……か?」
ふと気になって聞いてみた。
「ははは、僕ね、元は普通の医者だったんだよ。闇医者になったのは……魔法医になりたかったからかな。この国で魔法医っていうと、軍医か30番街に降りるかしか認可医として需要がないんだ。でもどっちに所属する気もなくてね。結局ブラックマーケットに登録するくらいしか、道がなかったってところかな」
「へー……料理だけで十分商売やってけそうなのに、わざわざ闇医者を選んだのか……」
魔力持ちでない人間が魔法医って、実際珍しい。
よほどの理由でもあったんだろうか。
「料理は単純に趣味として好きなんだよ。この店は隠れ蓑にもちょうどいいからやってるんだ。裏にはちゃんと診療部屋もあるんだよ。僕のメインはあくまで医者」
「ふーん」
「ルシファー君は? なんで家業をやめたの?」
「え?」
「昨日言ってたじゃない? やめたって」
「あー……」
そういえば言ったな。
マスターは興味深そうな目で俺を見ている。まぁ、話してもいいか。
「最後の仕事が原因かなあ……見た目同い年くらいの男がターゲットでさ、つい仕事前に会話しちゃったんだよね」
「うん」
「ゲームの話が楽しくて……それで、そいつと友達になれないかなー、とか思っちゃって……でも結局ダメで。俺、仕事もできないし友達も作れないし、なにやってんだろーなーとか、色々考えちゃってさ」
「友達が、欲しかったんだ?」
「うん、そうだな……普通も自由も欲しかった。いつ自分だって死ぬか分からないだろ? それなのに友達すらまともに作れない生活がすごく嫌でさ。なら自分のやりたいことやって、自由に生きてやろうって。そんで、家出した」
「そうか……家出したんだ。じゃあ家族は心配してるね」
「心配するような家族じゃないからなー……ああ、姉さんだけは要らない心配してそうだけど」
食器が置かれた音がしたので目を向けると、セオが食べ終わったところだった。
「ひとつ、君に頼みがあるんだが」
「頼み? なに?」
濃いグレーの瞳を真っ直ぐに向けると、セオは言った。
「俺も、アスカを捜しに行くのに同行させてもらえないか?」




