091 はじめまして?
貸し切り状態になった店の中で、俺たちは四人がけのテーブルに座った。
マスターだけが、となりのテーブルの端に腰かけている。
なんなんだ、この状況は。
エヴァはさっきから、アスカのことが気になっているようだ。
マスターと、セオと呼ばれているこの男と、アスカが知り合いだったとは……
世間は狭いな。いや、ローラシアはそれなりに広いから、なんか縁があるのか。
「じゃあとりあえず、自己紹介といこうか」
マスターが言った。
「まずは年長者の僕からね。この千鳥亭のマスター、ビリー・ウェーダーだ。職業は料理好きなただの闇医者。見ての通りのナイスミドルだよ。年はナイショ。好きなことは音楽鑑賞と、うまいと言ってもらえる料理を作ること。はい、次セオ」
「なんで自己紹介なんだ……」
「いいから、お名前をどうぞ」
「……セオドア・グレンジャー。掃除屋だ」
「それだけ? ただでさえ無愛想なんだから、もう少し笑顔で自己紹介したらどうだい?」
マスターの言葉に、セオという男は顔をしかめた。
「苦手だと知っていることを勧めないでくれるか」
「セオドアはね、愛想こそないけど、ご近所さんから信頼の厚い人情派なんだよ。親しみをこめてセオって呼んであげて。特技はピアノ。掃除屋としての腕っ節もなかなかのものだ。職業ポリシーは不殺。年はハタチ。仕事のご依頼は直接彼の携帯か、千鳥亭までどうぞ」
饒舌に紹介してくれたマスターだったが、セオは眉間にしわが寄ったままだ。
「自分の年は隠しておいて、俺のは言うのか……」
「若い子はいいんだよ。じゃあ次は、ルシファー君」
「俺?」
俺もするのか、その自己紹介とやらを……
なにを言うべきか分からないぞ。
「お名前をどうぞ」
促されて、考える。
「本名?」
「ん? うん、無理でなければ」
ルシファーの名はエヴァに呼ばれてるせいで、もう偽名って感じではなくなっている。だからまぁ、そう名乗ればいいだけなんだが。
この顔ぶれに素性を隠す必要もなさそうだと、なんとなく思った。
「ルシフェル・ディスフォール。呼び方はルシファーでいいよ。今無職」
一瞬、静寂が通っていった。
マスターが、なんでもなさそうな顔で口を開く。
「……ディスフォール……? って、聞いたことある名前だね」
「ああ、悪名高いから知ってるよな」
「勝手に学生かと思ってたんだけど……無職なの?」
「暗殺家業はもうやめたから」
「あー……ユニークな冗談、かな?」
そうか、名乗ったところで本当のことだと思われるわけがなかった。
ディスフォールの人間て、一般には『怖いオバケ』的な存在だしなー。
「まぁ冗談ととるなり、軽蔑するなり、好きにしてくれていいよ」
そう付け足すと、マスターは困った笑いを浮かべた。
「いや、嘘だと思ってるわけじゃないんだけど……暗殺者って、そんな風に名乗っちゃっていいんだ?」
「別にここで隠すこともないかな、と思って。それにうち、敵は多いけど、名乗って脅威になるような存在もほとんどないからな。はい、じゃ次、エヴァな」
「えっ、私?」
「名前と、言いたいことがあったら言えば」
「……エヴァ・ザナドゥーヤよ……職業はないわ。その、色々あって、ゴンドワナからローラシアに来たけれど、科学国は分からないことだらけで。もうちょっと話を聞きたいこともあって、今日はここに来たのよ」
たどたどしく、それでも自己紹介になっている風に話したエヴァに、マスターがうんうんとうなずいてみせる。
「エヴァちゃんは魔女で、ルシファー君の主なんだよね」
「一応そういう風にはなってるけど、ルシファーとは……友達よ」
「えっ、マジか?」
俺は横から割り込んだ。
「びっくりした。エヴァが俺を友達だと言ってくれるとは思わなかったぞ」
「なによ、嫌なの?」
「いや、すっげーうれしい」
なんとなく壁を感じるし、煙たがられている気すらしていたから、素直にうれしい。
笑顔で距離を詰めると、顔を押し返された。
「……近いわ。離れて」
それは友達にする態度じゃないと思うんだが……解せぬ。
「あー、じゃあ、最後おチビちゃんね。お名前をどうぞ」
マスターが促すと、アスカが居住まいを正した。
「あ、はい。アスカ・ミソノです」
「へえ? もしかしなくともうちの店と一緒で漢字の名前かな? エアシールドがないところをみると、アスカちゃんも魔女か」
ん? 本当だ。エアシールドがない。でもそれはおかしいよな……
だって、こいつからは欠片も魔力が感じられないのに。
それどころか、気配もほとんどないもんな。やっぱり同業者なのか……?
アスカは否定も肯定もせず、ただ黙ってマスターの言葉を聞いていた。
「魔法国出身なの?」
「いえ、もうずっとローラシアに住んでいます」
「セオから話は聞いてたから会えてうれしいよ。それで、今日はどうしてこんなところまで連れて来られちゃったんだい?」
「それは……」
言葉をにごしたアスカを見て、マスターはアスカのとなりに座るセオに視線を向けた。
お前が説明しろという、無言の圧力がかかるのが分かった。
「……アスカの家がなくなったんだ。家族もいないし、頼る人間もいなさそうなのに、こんな荷物ひとつでどこかに行こうとしているから、連れてきた」
「家がなくなったって……どういうことだい?」
マスターが聞き返す。
「あれこれ端折って言うと、燃えたんだ」
「燃えた……? 火事ってことかい?」
「そうだ」
また、静寂が通っていった。
「そりゃまた……」
マスターがなんとも言えない顔で腕を組み直す。
「和やかな自己紹介タイムの予定だったんだけど、なんだか心中穏やかでなくなってきたよ」
セオが軽く息をついた。
「和やかな自己紹介など、最初から無理な話だ。アスカ」
「っはい」
「腕の怪我と、今日の一件、そろそろ説明してくれないか」
「……説明は、できません」
「迷惑じゃないと言ってるだろう。中途半端な興味で首を突っ込んでるわけでもない。俺がなんで君をここまで連れてきたか、分からないか?」
分からないのだろう。
そういう顔で、アスカはセオを見上げた。
マスターには回答が分かったらしい。ヒゲを撫でながら、セオに尋ねた。
「セオはさ、アスカちゃんを引き取るつもりだったの?」
帰るところも身よりもない子どもを連れてくるって、そういういうことだよな。
何気ない質問のようで、覚悟を問うているようにも聞こえた。
「アスカは自活していたから、引き取るという言葉が正しいかどうか分からないが……親代わりが務まらなくとも、これからの生活に責任は持とうと思った」
セオの回答を聞くと、アスカは視線をななめにそらしてうつむいた。
素直にうれしいって言えばいいのに……エヴァじゃあるまいし。
黙ったアスカに、セオは続けた。
「なにか困っている事態なら、ひとりでなんとかしようとせず、大人を頼ってくれ。君の力になりたいんだ」
「セオさんの……お気持ちはうれしいです……」
アスカは消え入りそうな声で言った。
「……この腕の包帯は、怪我じゃありません。本当です」
「……分かった」
「あとのことは、話せません」
「アスカ――」
「ごめんなさい。でも、セオさんには、話したくありません」
頑なに拒絶するセリフに、セオは続けようとしていた言葉を飲み込んだ。
アスカは「――でも」と続ける。
「エヴァさんになら、話せます」
会話の矛先を、唐突にねじ曲げる発言だった。
「えっ……私?」
「はい。エヴァさんになら」
アスカは腰を浮かすと、テーブルの上に乗ったエヴァの手を握った。
「私、エヴァさんと一緒にいたいです」
突然のことに驚いたエヴァが、目を丸くしたまま俺を振り返った。




