090 再会
階段を下りて透明な板の前に立つと、空気の抜ける音とともに入口が開いた。
科学国の建物のほとんどに設置されている、浄化ユニットをくぐる。
濃い飴色の扉にかかる『OPEN』の看板を見て、ドアノブを引いた。
「いらっしゃい……おや」
カウンターの中から振り返ったヒゲのマスターは、俺たちの顔を見ると分かりやすく目元を緩ませた。
ちょうどランチの時間らしく、店内には2組ほど客がいる。
「好きなところ座って」
かけられた声に会釈すると、壁際のふたり席に陣取った。
この間と違って、店内には陽気な音楽が流れている。
カウンター奥の壁にかけられたブラックボードには、いくつかの料理名が書いてあった。つまみの名前っぽい。夜用かな。
「いい匂いがするわね、スープかしら」
エヴァがくんくんと鼻を動かしているところに、マスターが水を持ってやってきた。
「やあ、よく来てくれたね」と歓迎するマスターに、エヴァも「こんにちは」と笑顔を返す。
いい顔で笑うじゃないか。
欲を言えばこっちを向いて言ってほしい。
なんかエヴァって、俺に対して笑うよりにらむほうが多い気がするんだよな。
「怪我のほうはどう? ちゃんと包帯は取り替えてる?」
エヴァの腕をちらと見て、マスターは言った。
服の上から手首を押さえると、エヴァは「ええ、大丈夫よ」と返した。
とっくに治ってます、とは言えないよな。
「あの、この間は本当にどうもありがとう」
「お礼なんていいよ。あれが僕の仕事だもの。でもわざわざ来てくれてうれしいよ、ありがとうね」
物腰の柔らかいマスターは、メニューを差し出すと「それで」と続けた。
「なにが食べたい? と言っても、ランチは魚か肉のこの2種類だけなんだけど」
手書きのメニューには『本日のランチ』と書かれている。
「あ、じゃあ俺このウッカリカサゴのカルパッチョってのがいい。聞いたことないから」
「魚ね、エヴァちゃんは?」
「あ、じゃあ私もそれで……」
「了解。ちょっと待っててね」
軽くウィンクすると、マスターはカウンターに戻っていった。
人当たりはいいんだが、つかみ所のないおっさんだ。家族いないのかな。
少しすると常連客らしき他の2組は、食事を終えて出て行った。
「おまたせ」
ひとつのトレイに載った魚料理と、湯気の立ったスープ、パン。
目の前に置かれた料理に、エヴァはいつもの祈りの言葉を唱えようとして「天の……いただきます」と妙なところで手を合わせた。
ローラシアでテトラ教もどきの祈りの言葉唱えるヤツなんていないから、人前ではやめろと言ってあるんだが……習慣で出てしまうらしいな。
白磁の皿に載ったのは、生の白身魚だった。
付け合わせのサラダと一緒に口に入れたら、魚がほんのり甘い。酸味のあるソースがかかった、魚のサラダだな。
「なんだこれ、うまい」
「本当、食べたことのない味だけど、おいしい」
無心に食べ続ける俺たちを、マスターはカウンターの向こうから笑顔で見ていた。魔法医で料理人かー。奇妙な職業だ。
食べ終わるとサービスなのか、胃腸に優しいというお茶を出してくれた。
他に客のいなくなった店内。マスターは手を動かしつつ、カウンターの中から話しかけてくる。
「ローラシアはもう回ってみた? 観光地も今時季は空いてるところが多いんじゃないかな」
「あ……いえ、あんまり観光って感じじゃなくて、私たち」
「そうなの? じゃあなんでまた魔法国からわざわざローラシアに?」
「それは……」
言いよどんだエヴァを見て、口を挟む。
「聞いてみれば?」
「え?」
「気になることがあるんなら、話せること話して、聞きたいこと聞いてみたらどうだ? この人、たぶん信用できるだろ」
職業的な意味で口が堅そうだってことだが。
エヴァは少し考えてうなずいた。
「そうね……」
「ん? なんだろう、ヒミツの話かな?」
そうマスターが首を傾げたとき、外から言い争うような声が聞こえてきた。
話は中断されて、俺たちはそちらに耳を傾ける。
「――だから、逃げなければ捕まえたりしない」
「逃げるんじゃありません! 帰るんです!」
「帰るところなんてないだろう」
ん? 今の声……どこかで。
扉のすぐ向こうから聞こえた小さな子どもの声に、エヴァと顔を見合わせた。
バタン、と扉が開いて、大きなアタッシュケースを横に抱えた男が入ってくる。
男は何故かその肩に、小さな少女を抱え上げていた。黒いブーツがパタパタと動いている。
「ひとまず下ろしてください……!」
抗議の声をあげた、肩の上の少女と目が合った。
「あれ? お前……」
「アスカちゃん?」
俺とエヴァの声で目を丸くしたのは、先日会った不思議な少女だった。
「え、エヴァさん……」
「どうしたの、そんな格好で……」
アスカはジタバタするのをやめたが、明らかに下りたがっているようだ。
俺はガタンと席を立った。
「アスカ、この間の借りがあるから助けてやってもいいぞ。そいつの腕折るか?」
「えっ? それはダメです!!」
慌てて手を振るアスカに、じゃあどうすりゃいいんだと思う。
こちらを向いた男とにらみ合ったところで、「ん?」とお互い目を瞬かせた。
「君は……」
「この間の……?」
「本屋さんで助けてくれた人」
俺の背後からエヴァが言った。
そうだ、見覚えのある髪色に瞳。覚えてる、あのときの男だ。
「俺は……顔面偏差値の高い子どもに出会う運命でもあるのか……?」
男が疲れたように呟いた。
横からマスターが「面白い冗談だけど」と口を開く。
「セオが幼女を誘拐してくるとは思わなかったから、オジサン今ちょっと、引いてるな」
「マスター……」
頭の痛い顔で息をつくと、男はアスカを丁寧に床に下ろした。
「ううう……セオさん、ひどいです」
アスカが恨みがましい目で見上げると、男はアスカの乱れた髪を撫でて整えながら「強引に連れてきたことは謝る」と、謝罪の言葉を口にした。
「だがあんなものを見せられて、なにもなかったことになどできるか」
「でも、迷惑がかかるんです。それだけは嫌なんです……!」
「そんなことなら気にしなくていい。掃除屋の仕事は迷惑を引き受けることだ」
男は目線を合わせるようにしゃがみ込んで、続けた。
「家があんなことになったんだ、ひとりでどこかにやれるわけがないだろう。話せることだけ聞かせてくれればいいから、消えるなんて言わないでくれ。心配なんだ」
「セオさんは……どうしてそうやって……」
涙こそ流さなかったものの、アスカは唇を噛むと男の首にかじりついた。
しがみついたまま離れなくなった姿を見て、誘拐されたわけではないことは分かったが……
表情をやわらげて、アスカの背中を叩く男を眺める。
似たような色合いの人物を知っているが、こういう灰茶の髪はあまり見ないカラーリングだ。
そしてそれよりも気になるのは……
「ひとつだけ、聞いておきたいんだけど……」
尋ねずにはいられなくて、口を開いた。
アスカには借りがあるし、同じ年頃の妹を持つ兄として、これは確認必須事項だよな。
「あんたさ、もしかして――幼女趣味だったりする?」
ぶふっ、とマスターが吹き出した。
「俺はそんなに犯罪者顔か……」
眉間にしわを寄せた顔で、男が言った。




