009 望んじゃダメなのか
今日の仕事が終わった。
簡単な仕事だったはずなのに、失敗した。
家にたどり着いて、カザンに「入ってこい」とバスルームにたたきこまれて、頭からシャワーを浴びたけれど、一向に気分は晴れない。
気持ち悪い。
気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い――。
どうしてしまったんだろう、俺は。
自分の手で仕事を完了できなかったこと以上に、あいつと話したことが頭から離れない。
この得体の知れない不快感がどうすればなくなるのか、誰か教えて欲しかった。
のろのろと着替えて部屋に戻ると、今もっとも会いたくない人が待っていた。
「フェル、カザンから聞いたわ」
部屋の中央に立つ母さんが、そう切り出す。
身長は俺とさして変わらない。貴婦人の装いが好きな母さんは、今日も実年齢に不似合いなドレスに身を包んでいた。
「母さん……」
濃紺の光沢をもつドレスの裾が、静かに揺れると俺の前まで来て止まる。
銀髪をゆるく編み上げた清楚なシルエットは30代にしか見えない。この母は、俺から見ても十分に美しい。
だがその中身は齢86歳になる、魔女だ。
それも、恐ろしく強力な。
「今、話したい気分じゃないんだ」
怒っているときも楽しいときも、母さんの表情は変わらない。いつも静かな湖面のように微笑んでいる。
この目に見つめられると、何もかも見透かされているようで落ち着かなくなる。
俺は母さんから視線をそらした。
「ターゲットを、とってこなかったんですって?」
とがめるような響きを含んだ問いに、びくりと肩を揺らした。
この場合のとるは、「殺る」だ。
「殺す……つもりだったんだ、最初は。でも」
叱責を恐れたのか、未熟な自分を恥じたのかは分からない。
俺の口からは言い訳じみたセリフがこぼれた。
「ターゲットは必ず殺す、それがルールでしょう? 一度でも失敗は許されない。それはディスフォールのプライドであり、依頼人に対する信用問題……まさか忘れてしまったの?」
「そうじゃない、俺はただ……カードゲームがしたかったんだ。この間、行商人から買ったやつ……ひとりじゃできないから、友達が欲しかっただけで」
「まあ、それならロシベルやデリアたちに遊んでもらえばいいじゃないの」
姉と妹の名前を出して、母さんはゆったりと首を傾げた。
「友達を作るなんてあなたには無理よ。ディスフォールの人間と懇意にしたい命知らずはいないわ」
ディスフォールの名を聞いたときの、少年の反応を思い出した。
母さんの言うことは正しい。
俺たちは堂々と人殺しの看板を出して、世界中どこからでも依頼を受けている。
暗殺を生業とする一家に、関わりたいと思う一般人なんていない。当たり前だ。
「でも俺、使用人以外で対等に話が出来る相手が欲しいんだ。それを友達って言うんだろ?」
「……そうかもしれないわね」
「俺、小さい頃から『立派な人殺し』目指して頑張ってきたよな? 母さんたちが望むなら、なんでもしてきたじゃないか」
どれだけ厳しい訓練にも耐えてきた。肉体的にも精神的にも痛いことなんて日常すぎて、辛いと口にするのも馬鹿馬鹿しくなるくらいには。
死にかけたことだって一度や二度じゃない。
生来毒に強いこの体に、さらに耐性をつけるためにいくつかの猛毒を同時に摂取して、3ヶ月の間生死の境をさまよったこともあった。
俺は家族の望むように生きてきた。応えようと頑張ってきた。
じゃあ俺の望みだって、少しくらい叶えてくれたっていいじゃないか。
「そうね、あなたは母さん自慢の本当にいい子よ。このまま誰よりも強い、冷酷で無慈悲な、理想の暗殺者に育ってくれたらと願っているわ」
「仕事はするよ。でも俺、やっぱり友達が欲しいんだ」
俺の吐いた本音に、母さんは無言を返した。
「少しくらいいいだろ? 家族以外を知りたいんだ。やりたいことも仕事以外にある。兄さんや姉さんは自由に外に出て、他の人間とも話をしてるじゃないか。なんで俺は街に行ったらダメなんだ? いつになったら、俺は自由に他の国へ行けるようになるんだ?」
「いずれは。あなたが誰にも殺されないほどに強い力を手に入れたのなら、それも叶うわ」
だから強くなれと、この人は言う。
どこまで強くなればいい?
誰にも殺されないだなんて、そんなの幻想だ。俺だっていつかは死ぬ。
そう、今日のあいつみたいに突然死ぬときがきっと来るのに……
取り合ってもらえない。どうせ聞いてはもらえない。
いつも通りだ。
「なあ母さん、"死ぬ"って何なんだ……」
あきらめが、そんな問いを口にさせた。
「……死は死よ。誰にでも平等について回るもの」
淡々と母さんが答えた。言葉の裏にある考えが読めない語調で。
「不老長寿の妙薬でも、死は免れないの。それが、自然の理」
「……みんな、死ぬってことか」
「そうね。生き物ならいずれみんな。私や大婆さまのような魔女も例外じゃないわ。不死の魔女とその使い魔ならあるいは、その理から逃れられるのかもしれない……でもそれはおとぎ話の中にしか存在しない」
「じゃあ、俺もいずれ死ぬだろ? どうせ死ぬんなら、なんで生きてるんだ。いきなり全てが終わるかもしれないのに、どうして俺は今生きてるんだ? なんでやりたいことも出来ずに生きてかなきゃいけないんだ?」
母さんにとって今の俺は、おもちゃを取り上げられて駄々をこねている子どもに過ぎない。
まともに取り合う必要もない、幼稚な言葉を吐き出しているだけの、子ども。
頭の中でそうと分かっていても、止まらなかった。
「俺は、どう死ぬかは自分で選びたい……! どう生きるかも!」
飛び出してきたセリフは、見ないふりをしながら心の奥底でずっと感じていたことだ。
感情の整理がつかないままに、俺の口は勝手に喋っていた。
「せめて外に出たいんだ。少しだけでもいい、自由に……」
「あなたはまだ子供だから、外は危険なのよ」
「俺はもう20だ! 自分のことは自分で考えられる! 子供扱いするな!!」
「落ち着きなさいフェル、貴方の翼は目立ちすぎるの。好奇の目に晒されて、何かあったら困るわ」
「何かってなんだよ? 俺が死んだら困るのは、アルティマを継ぐ人間が減るからだろ? ふざけんな……」
「……少し頭を冷やした方が良さそうね」
頬に手を添えた母さんが、ふぅ、と小さくため息を吐いた。
「カザン、フェルを反省房に」
その声にはっとした瞬間。
背後から後頭部に落ちてきた衝撃で、俺は意識を手放した――。
フェル、母と話したら余計にイライラしてキレました。
そういうこともあります。
ところで、ブクマや総合ポイントでキリ番を見たら作品のキャライラストを描く……という独自のルールを設けているのですが。誰得だよと思いつつ、他にそんなことしてる人はいるのだろうか……
ちなみに画力の問題で挿絵は考えていません。ご安心を。




