087 アスカの異変#
from a viewpoint of セオドア
いつもの千鳥亭のカウンター。
コーヒーの湯気の向こうに、ジャガイモの皮をむいているマスターが見える。
「ずいぶんとその子を気にかけるね……自分に重ねてるのかな?」
その一言で、カップを傾ける手を止めた。
マスターは、俺の父親が殺されて、母親もあとを追うように病死したことを知っている。
さみしい子ども時代を送った自分に重ねて、アスカのことを放っておけないのだと思ったようだ。
「そう、かもしれないな……だが必要以上には、関わらないようにしようと思ってるんだ」
なんとなく、決意表明のつもりで口にした。
しょせん掃除屋の俺が世話を焼いたところで、あの子の人生に責任が持てるわけじゃない。
マスターがむき終わったジャガイモをボウルに投げ入れながら、愉快そうな視線を向ける。
「必要、不要のボーダーラインがどこなのか僕には分からないな。でもそうかぁ、向かうところ敵無しの掃除屋セオも、かわいい幼女にゃ弱いかぁ」
「歪んだ言い方はやめてくれ」
「おや? そんな言い方になってたかな?」
そのとき、カウンターの上の電話が鳴り出した。
むきかけのジャガイモとナイフを置いて、マスターが受話器を取る。
「はい『千鳥亭』……はい、毎度どうも。セオならちょうどいるけど、ご依頼の内容は?」
俺宛てか。
直接依頼の電話を取れないことも多い仕事柄、俺が入り浸っているこの店に電話をかけてくる客は多い。
いつしか電話番のようになってしまったマスターには、申し訳なく思うところもあるのだが。
「セオを通してお客も増えるから、僕にとってもメリットがあるんだよ」と言われてしまえば、それに甘えるしかない。
「16番通りの端、30代男が人質取って立てこもり中。依頼人は人質の旦那。憲兵が通りかかったけど、見ないフリで行っちゃったって」
サラサラと走り書きされたメモの住所を見て、最短ルートを考える。
「11番街で起きる犯罪件数すらカウントする気がない、やつらの対応なんてそんなもんだろう。当たり前すぎて腹も立たないな」
「いってらっしゃい。急ぎ目で」
「ああ」
依頼内容のメモを受け取って、店を出た。
これがいつもの俺の日常だ。
そこに、少し不似合いな要素が加わったとしても。
俺の毎日がなにか劇的に変わることなんて、ない。
そんな分かりきった思いを抱えて、仕事に向かう。
今日は金曜日。アスカのところに訪問予定の日だ。早いところ片付けなくては。
アスカに出会ってから1か月を過ぎた今、週に1度の訪問が当たり前になりつつあった。
俺はなにかと理由をつけて、花や食糧を手に小さな家を訪れていた。
その日の午後6時――。
「遅くなってしまったな……」
立てこもり犯のせいで、大分時間を食ってしまった。
すっかり暗くなった空に目を細めて、インターホンを押した。
今日は手土産だけ置いて、顔を見て、すぐ帰ろう。
そう思った矢先、珍しくインターホンからアスカの声が聞こえてきた。
いつもは、俺だと名乗る前にドアが開くのに。
『……セオさん?』
「ああ、そうだ。こんな時間にすまないな。仕事を片付けるのに時間がかかって、遅くなってしまった」
うかがうような声に、そう返す。
少しの沈黙のあと、アスカは言った。
『ごめんなさい、今日はちょっと……手がふさがってて出られないんです』
「そうか……いや、かまわない。食べるものを少し持ってきた。それにいつもの花屋の店員からクッキーをもらったんだ。一緒に置いておくから食べてくれ」
『すみません……』
どうしたのだろう。どこか様子がおかしい。
普通に話しているようで、いつもと感じが違う。
「アスカ? 大丈夫か? まさかどこか具合が悪いとか……」
『いえっ、違います。大丈夫です。セオさん、あの、ごめんなさい。お仕事大変だったあとで、わざわざ来てくれたのに……』
「気にしなくていい。本来なら憲兵が働けばすむような内容だったんだが……やつらが動かないから俺が行くことになっただけで、特別に大変だったわけじゃない」
『そう、なんですか……』
「しかし今日は街のあちこちで憲兵を見かけたな……あれだけいても必要な仕事をしないのだから、役に立たないというほかない。ヒューマノイドにも、もう少し柔軟性が欲しいところだ」
『……』
「アスカ? 本当に大丈夫か?」
『だい、じょうぶです……あの……』
「なんだ?」
『いえ、いつもありがとうございます』
「……明日、また明るいうちに様子を見に来る。暖かくして、早く寝るといい」
『……はい』
明らかに様子はおかしかった。
どこが、とは言えなくても歯切れも悪かったし、やはり具合も悪いのじゃないかと思えた。
でも「出てきて顔を見せてくれ」とまでは言えなかったから。その場に荷物だけ置いて、帰宅した。
次の日は気になって、昼になる前に再訪した。
風邪だったりしたら困る。常備薬があるかどうか分からなかったので、子どもが飲めそうな栄養剤を手土産にした。
人通りのなくなっていく道を進んで、小さな家が空き地の向こうに見えた瞬間。
俺はぶら下げていた荷物を取り落としそうになった。
「……なんだ、これは……」
かすれた声がもれた。
視線の先。空き地の片隅にある小さな家は、横壁に大きな穴が空いていた。
入口のポストは傾き、家の周りの柵も一部が壊れている。
まるで何者かの、襲撃を受けたかのように――。
ゾッとした。空き地を走り抜けると数段だけの階段を駆け上がる。防犯システムも作動していない。
躊躇することなく、空いた壁の穴から家の中に飛び込んだ。
「アスカ! いるのか?!」
もしあの子が倒れていたら――そんな最悪な予想が脳裏をよぎったが、俺を迎えたのは少女の死体じゃなかった。
倒れたテーブルのあった場所。
床にしゃがみ込んでいたのは、黒い制服のふたり。
「……? なにを、してるんだ?」
現場検証にしては不自然な気配を感じた。
憲兵のうちひとりは、ゆらりと立ち上がると、腰から携帯用の電撃武器を抜き放った。
ECSと呼ばれる、いわゆるスタンガンのような武器だ。
標的は、俺しかいない。
『不確定要素を排除します』
憲兵が一歩踏み出たところで、ジャリッとガラスの音が響いた。
踏みつけた足の下には、昨日俺が持ってきたピンク色のチューリップがいる。
花瓶ごと割れて、床に散乱していた。
「おい、あの子を……どこへやった?」
正義の味方には到底見えない憲兵に尋ねる。
俺の問いかけには答えずに、憲兵は武器を振り上げた。
「問答無用か……!」
不審者と思われたのかなんなのか知らないが、武器も持たない一国民にいきなり襲いかかるとは、国家憲兵が聞いて呆れる。
黙ってやられてやるわけにもいかず、攻撃を交わすと思いきり足を蹴りつけた。
硬い手応え。体勢を崩した憲兵の脇腹に、続けざま回し蹴りを食らわす。
黒い制服の体は横に吹っ飛ぶと、頭から書棚に突っ込んだ。
「俺はなにもしてないだろう! 人の話くらい聞け!」
もう一体が、ECSを手に立ち上がった。
フォン、フォンと気味の悪い音を立てて襲いかかる棒状の武器を交わし続ける。
視界の端で、先に倒した一体が起き上がろうとしているのが見えた。
人間と違って、どう動けなくしたらいいか分からない。
「くそっ……」
不気味に光る武器が、チリッと鼻先をかすめた。
それだけでしびれたような感覚がする。
二対一。逃げるか? だがアスカは――。
「セオさん!!」
突然高い声が響いたかと思ったら、憲兵は2体とも動きを止めた。
明らかに動いている途中で不自然に止まったポーズだ。どちらもバランスがとれず、そのまま床にガシャンと崩れ落ちた。
「……アスカ!」
憲兵の後ろから現れたのは、他でもないアスカだった。
ちなみに、ECSは「Electric current sword」の略です。
どうでもいい豆情報(▽゜)




