082 護りたいなら
刹那。
俺の首のわずか手前だった。
弾かれたように鎌の腕が根元から飛んだ。
「……っ!」
さらに反対の腕と首が、冷たい風切り音とともに胴体から離れる。
スローモーションの速度でカーペットの床に落ちていった。
「――未熟ものが」
なくなった頭の向こうに、窓に立つじいちゃんが見えた。
この一瞬であの距離から、俺を斬らずに憲兵だけをバラバラにできるのは、じいちゃんくらいだろう。
目の前で静止していた胴体の腰に、さらに線が入った。
急いで爪を引き抜くとふたつに分かれ、重たい音を立てて床に転がった。
自由になった自分の腕を、苦い思いで元の形状に戻す。
ヒューマノイドの憲兵は、完全に機能を停止していた。
近くにいたエヴァの魔力を感知したんだろうけど……厄介なヤツだな。
「じいちゃん、助かった――」
「バカモノ。人とは違うのじゃぞ。もっと正確に仕留めよ」
外気が侵入したことを知らせる警報が、ホテル内に響き渡っている。
一騒動起こしちまった。どう収集つけよう。
「ルシファー……」
背後から、エヴァの呼ぶ声が聞こえた。
「ああ、怪我ないか?」
振り返ったら、泣きそうな顔をしていた。
そんなに怖かったか。エヴァは機械には耐性がないもんな。
「大丈夫だ、もう動かないから」
ベッドに寄ってポン、と頭に手を乗せると、唇を引き結んで俺の手を握ってきた。わずかな震えが指先から伝わってきて、本当に怖かったんだと分かる。
「悪い、ちょっと外に出てたんだ。いない間にあんなのが飛び込んできて怖かったよな」
慰めようと腕を伸ばしたら、いきなり両手で頬を掴まれた。
そのままぐにっとつねられる。
「……えう゛ぁ、いひゃい」
「っ殺されちゃうって、思ったわ……!」
「え゛?」
「死なないって分かってても……やっぱり、嫌よ……」
そう言って手を離したエヴァは、うつむいてしまった。
これは憲兵が怖かったってより……俺か。
身近な人間の死は、エヴァにとって色々嫌なことを思い出させるのだろう。
「ごめん……もう、大丈夫だから」
怖い思いをさせてしまって、あらためて悪いと思った。
この程度の相手に手こずってどうするんだ。
力はあるはずなんだから、もっと楽勝に勝てるようにならないと。
「……誰にも文句言わせないくらい、強くなるんでしょ」
「うん」
「じゃあ、もう、誰にも殺されないで」
「うん、分かった」
迷いなく答えると、エヴァは顔をあげた。
視線がからむと、安堵したように笑う。
(ああ、そうか)
一緒にいて、護ってやるだけじゃダメなんだ。笑わせてやらないと意味がない。
その顔を見て、決意のように思った。
「トルコが『フェルが嫁を見つけてきた』と喜んでいたが……本当じゃとはの」
じいちゃんの声にげんなりして振り返る。
「ばあちゃんの早とちりだよ」
「まだまだ子どもじゃと思っていたお前がのぅ……」
「勝手に感慨深くなってんなってば」
じいちゃんはバラバラの憲兵を跳び越えると、俺たちに近付いてきた。
殺気は感じられない。だが油断はならない。
緊張してエヴァとの間に入ると、じいちゃんは渋面を作った。
「バカモノ、なにもせんよ。殺るならとっくに殺っとる」
俺を横に押しのけると、好々爺の顔で笑った。
「夜分に騒がせてすまないのう。わしはロスベルト・ディスフォール。フェルの祖父じゃ」
唐突な挨拶を受けて、エヴァが慌てて座り直す。
「あ、私はエヴァ……ルシファーには――」
「いや、説明は省こう。大体のことは知っておる。うわさ通りの美人さんじゃのう」
じいちゃんはそう言うと、片腕を伸ばして俺の髪をガシガシかき回した。
なんで撫でられてるんだ、俺は。
「なんなんだ、やめろよ」
うっとうしくて、その手を払う。
ムッとした俺とは反対に、じいちゃんは機嫌が良さそうだ。
「うむ、じゃがあまり和んでもいられんぞ。これは持ち帰るとして、この場を離れるとするか。エヴァちゃん、そのシーツを借りたいんじゃが」
断ってベッドからシーツを引きはがすと、じいちゃんはバラバラのヒューマノイドを手早くひとまとめに包んだ。
「持って帰っていいのか? 追跡されんじゃねえの?」
「まあそれならそれで良い。ローラシアもヒューマノイド一体くらいで、アルティマに喧嘩を売ろうとは思わなんだろう。これは今までのヒューマノイドとは違うらしくてな。シュルガットにも『仕留めたら必ず持って帰ってきてくれ』と言われておる」
「ふーん」
「ほら、おいでなすったぞ。さっさと逃げるが吉じゃ」
窓のふちに立って外を見下ろすと、道路に国家憲兵の車が到着するのが見えた。
「こやつが消失した原因を探りにきたんじゃろう」
「ああ……面倒だな。じゃあ逃げよう」
俺は荷物を置いていたベッドサイドから、いつものショルダーバッグをとりあげた。持ち出す荷物なんて、特にない。
エヴァにはコートを投げて、着るように言う。
「私、まだ全然状況が分かってないんだけど……」
「あとで説明する。とにかくここは出よう」
ホテルには悪いけど、前金でいくらか払ってあるので許して欲しい。
俺はエヴァを抱えて、じいちゃんは手も使わずにヒューマノイドの入った包みを浮かすと、窓から外に飛び出した。
強く冷たい風が吹き荒れる上空に舞い上がると、ホテルから離れる。
飛びながらじいちゃんが尋ねてきた。
「……して、どうするフェル。このままアルティマに帰るか?」
そんな選択肢は、俺の中にはない。
「帰るわけないだろ、暗殺家業はもうやめたんだ。俺は好きなことやって、一般人として生きてくって決めたんだよ」
「働かざる者食うべからず。殺さざる者ディスフォール家にあらずじゃ」
「……なんだよそれ」
「お前が一般人に混じって生きるなど無理に決まっとろう。全身戦闘仕様に生まれ、そう育てておるのに」
じいちゃんの言葉に、分かりきっていたことでも苦い気持ちが広がった。
無言を返す。
「暗殺者に友達ができるなど、まだ本気で思っとるのか」
それは、リアムのことを言っているのか。
家業にとって障害で弱みになるから、友達を作れば殺すと?
「……また脅しかよ。やっぱりエヴァのことも、狙ってんじゃねえのか?」
空中で停止すると、じいちゃんも少し離れた位置で止まった。
俺を見て、無表情で首を傾げる。
「いや? 作れるものなら作ってみろという意味じゃ。直接どうこうしようという意図はない」
「なに、言ってんだ。ゴンドワナで先生が何をしたか、知らないとは言わせねえぞ」
「ローガンがどうした? ゴンドワナから出て科学国へ行けと、そう警告しにいったじゃろう?」
「……なに?」
「おつかいの内容は荷物の運搬と、ゴンドワナから出ろという話じゃったろう。他になにかあったか?」
じいちゃんと俺の話には、齟齬があった。
「なにかあったか、だって……? 友達の記憶を消されたんだぞ俺は。全部なかったことにされたんだ! 手紙に『分かりやすい警告』だと書いてあった! あれは、友達を作れば殺すって意味じゃないのか……?!」
「ふむ。記憶操作は頼んでおらんがのう……あやつの一存じゃろう。そうしたほうが良いと思うなにかがあったということか」
「頼んでない……?」
「防げなかった、護れなかったというのならお前の責任じゃ。そう言ってやれば満足か?」
「……っ!」
なにもできないヒヨコの分際でわめくな、と。
言外にそう言われたのが分かって、カッと頭に血が上った。
「そうさ、俺が防げなかった……でもな、あいつの側を離れてローラシアに来たのは俺の意思だ。言われたからゴンドワナを出たんじゃない!」
「それは賢明な判断じゃったな」
「ふざけんなよ……リアムの記憶を消して脅しをかけてきたのは、先生の一存だっていうのか?」
「そうじゃな。少なくともお前の母も、兄姉も、しばらくはお前を好きにさせてやろうという方針じゃ」
「は……? 嘘だろ、母さんが、そんなこと言うわけない」
そうだ、あの母さんなら俺の首に鎖を巻いてでも連れて帰ろうとするに違いないんだ。
でも、それならどうして俺はまだこうして自由でいられるんだ?
改めて考えても、説明がつかない。
「信じようが信じまいがお前の勝手じゃがのう。わしらはしばらく静観することに決めておる。好きにするがよい」
「なんで……そんなこと言うんだ。だって、今まで一度だって俺を自由にしてくれたことなんてなかったじゃないか。なんで急に――」
「時機が来たのじゃろう」
「……時機?」
意味深に呟くと、じいちゃんは俺が抱えているエヴァを見た。
ゆるく口端をあげる。
「フェル、お前は性根が優しい。家業を捨てたくなる気持ちはわからんでもない。いつか理不尽な思いを抱いて、そんなことを言い出すだろうとは思っとった」
「なに……分かったようなこと言ってんだよ」
「じゃが優しいだけでは、誰も護れん」
残酷なようで、それが真実。
風の音に混じって、その言葉ははっきりと聞こえた。
「強くなりたい理由を、見つけたんじゃろう?」
正面から、その挑戦的な視線を受け止めた。
そうだというように、俺も目をそらさずにらみ返す。
「護りたければ強くなれ。迷うな。護ると決めたのなら突き通せ」
「言われなくても……そうしてやる」
俺の応えに満足そうな顔を見せる。じいちゃんは背を向けた。
「いい顔をするようになったのう、フェル」
「……普通だよ」
ほっほっ、と声をあげて笑うと、じいちゃんはアルティマの方角へと飛んでいった。
好き勝手に書いているあまりに、一話の文字数がまちまちでごめんなさい。
2章の主要登場人物3名を、明日くらいまでに割烹に載せようかなーと思ってます……(小声)




