080 平穏という名の
ローラシアに来てから、5日目。
初日と2日目にはトラブルっぽいこともあったが、それ以降は落ち着いた日々を過ごしていた。
リベンジのつもりで訪れた国立図書館も、今日で2回目の訪問だ。
初回の門前払いはなんだったのかと思うほど普通に入館した俺たちは、午後の時間を調べ物に費やしていた。
ついつい自分の読みたい棚に足が止まり長居してしまう俺と違い、エヴァは真剣にアクセラレータや不死のことを調べている。
「不死……不死か……」
科学について調べるには十分な蔵書があったが、肝心の調べたいことについてはそれらしい匂いのするものすら見つからない。
テトラ教関連で神具や不死について書いてありそうな分厚い本をやっと1冊見つけて、席に戻る。
棚を回ったところで気がついた。遠巻きにしている人たちの何人かが、足を止めてエヴァを見ている。
「おい、あそこに座ってる子、見たか?」
「白い髪の子だろ? 見た見た。人間じゃないみたいに綺麗だよな」
側に立つ若い男ふたりも、そんな会話を交わしていた。
「ひとりかな、お前ちょっと声かけてこいよ」
「ええ? 俺が?」
「ダメ元でいいじゃないか、お近づきになりたいだろ?」
エヴァは目立つ。
髪や目の色だけじゃなくて、なんとなくその存在に意識が向いてしまうのだ。
街を歩いているとき、本人にそう言ったら「人の視線は嫌いよ」と不機嫌なコメントが返ってきた。
「綺麗って言われるのも、嫌い。こんな皮一枚で、人のなにが分かるの」
そう言われて、一理あるな、と思った。
俺自身、外見をほめられるのに空々しく感じることがある。だから気持ちは分かる気がした。
静かに騒ぐ(器用だな)男たちの間を抜けて、明るいキャレル席に座るエヴァの元に向かった。
本に視線を落としたままのエヴァは、白銀の髪と白い肌に午後の光をまとって、本当に天使みたいだ。
というより、なにやら尋常ではない空間を作り出してしまっている。
(やっぱり綺麗なんだよなあ……)
それは全然悪いことじゃないと思うんだが。
本人が気にくわないなら、外見への賛辞は控えたほうがいいんだろうか。
いや、でもこんなの見てたら、普通に「綺麗だ」って言っちゃうよなぁ。
目の前に座っても俺のほうを見ようとしないので、ポン、と頭に手を乗せてみた。
「……なに?」
やっと顔をあげたエヴァが、にこりともしないで睨んでくる。
邪魔をするな、ということか。
「いや、なんとなく」
たわむれに白銀の光沢を放つ髪をひとすくい、指に絡めてみる。
エヴァがそれを無視してふたたび本に視線を落としたので、向こうの本棚を振り返った。
さっきの男ふたりが、がっかりしたような、イラついた顔で俺を睨んでいた。ふふん、と鼻で笑ってやる。なんだかいい気味だ。
エヴァからは相変わらずいい匂いがする。どうやらこれのせいで、俺にはエヴァのいる場所が分かるらしい。
不思議だなー、使い魔。
指に巻いた髪を口元に運んだら、さすがに黙ってはいられなくなったらしい。「ちょっと、なにしてるのよ」と俺の手を掴んで髪を取り返した。
「なにって、スキンシップ」
「探すの手伝ってくれるんじゃなかったの? 真面目にやって」
やや泳いだ目で言うと、エヴァは本を読む作業に戻った。
その姿をしばらく観察していて思った。
「エヴァって、読むの遅いよな」
「……普通よ」
「そうか? だってそのページ、俺とっくに読み終わったぞ。次めくってくれ」
「どうして私と同じ本を読むのよ? 自分で持ってきたものを調べてくれればいいでしょう?」
「それもそうか」
おとなしく言うことに従って自分の持ってきた本を開いた。さらっと目次を見て、調べたいことが載っていそうなページを開く。
読みながらパラパラめくっていたら、エヴァが「ちょっと」とページを押さえた。
「ちゃんと読んでないでしょ?」
「読んでるよ」
「うそ、だって、めくるのがすごく早いもの。調べるのが面倒なら私がこれの後で見るから――」
「読んでるって。エヴァが読むの遅いんだよ」
「じゃあ前のページになにが書いてあったか言ってみて」
じとっとした目で見られて、俺はため息を吐いた。
本当に読んでるんだけどな。
「テトラグラマトンの6枚の翼には、知恵と慈愛と力と抑制、それから破壊と創造の意味があるんだと。そのすべてを詰め込んで大崩壊のときに創った不死の実っていうのがあって、人類が滅ぶことのないようにっていうテトラグラマトンの慈悲の心が……あとは賛辞云々」
「……ちゃんと読んでるじゃない」
「だから、そう言ったろ」
続きを読み始めると、エヴァは少しの間俺を見ていたが……
「本当に、それで読めてるの……?」
また怪訝そうな顔で聞いてきた。
「読めてるって。しつこいな」
「だって、おかしいわ。そんなスピードで読めるわけないじゃない」
「小さい頃から速読が得意なんだよ。いいか? 人間は一生のうちで読める本の冊数に限りがある。より多くの本を読むためには、早く読むことが大事なんだ。ちなみに、俺はどれだけ早く読んでも要点はちゃんと覚えてるぞ。挿絵だって忘れない」
「……本当に本が好きなのね」
「ああ、仕事や訓練がない日は、1日中ひきこもって本を読んでた」
「そうなの……」
そうだ、俺はもともと家の中で本を読んだり、庭で転がって本を読んだり、温室で本を読んだりしてるのが好きだ。
それしか楽しいことがなかったから、とは思いたくないが。
読書は知識を広げてくれるし、異常な家庭環境にあっても常識を教えてくれる。あとは単純に楽しい。
痛いことや苦しいことばかりの訓練より、よっぽど良かった。
「将来は好きな本に囲まれて暮らしたいんだ。でもそれだけじゃつまらないから、友達も欲しい。一緒にゲームしたり、馬鹿みたいに楽しいことできる友達。あとは……うまい食べものがあればいいかな。それが俺の夢」
「夢?」
エヴァは意外な言葉を聞いたような顔で、俺を見た。
「そ、エヴァの夢は?」
「……私?」
そのときの表情から見えた感情を、どう解釈していいのか分からない。
戸惑っているようで、悲しそうで、まったく関係のないものを見るような目。
エヴァは、当たり前のように言った。
「そんなもの、あるわけないわ」
あるわけない、か……。
エヴァの境遇を思えば無理もない、そう思いつつ、馬鹿なことを聞いたと思っちゃいけない気がした。
俺まで、それをあきらめていいわけがないから。
だから、なんでだ、と、そんなこと言うな、は言わずに飲み込んだ。
代わりに、言えることを返した。
「じゃあいつか、できたら教えてくれよ」
エヴァからの返事は、なかった。
そのうちエヴァが、またネガティブなことを呟きそうだなぁ……




