077 魔法医の店主
めまいは少しずつ収まってきていたが、今回のは一番ひどかった。
「まだ開店まで時間あるからね、休んでいけばいいよ」
俺をカウンター前の椅子に下ろすと、ヒゲの男は言った。
害意がなさそうなことは分かったものの、なんとも居心地が悪い。
知らない大人に抱え上げられて運ばれるなんて、今までにない経験だ。
(じいちゃん達に「ディスフォールの名が泣く」って言われそうだなぁ……)
灯りがついて明るくなった店内に、視線をあげた。
いくつかのテーブルと椅子。それにカウンター席が5つ。
濃い飴色の壁には装飾もこれといってない。落ち着いた喫茶店といった雰囲気だが、酒を出す店なのは匂いで分かった。
「あの、ありがとう……ここはあなたのお店……?」
俺の側に立ったエヴァが、ヒゲの男に尋ねる。
「ああ、ちっさい飲み屋だよ。僕はここの店主。マスターって呼んで」
キィ、とカウンターの跳ね板を押して、店主と名乗った男は調理場に入った。
小さな買い物袋を置いて、俺たちを眺める。
「しかしなんだってまたこんなところに来たんだい? ただの興味? それとも悪さしに来た? まっとうな家庭の子どもが遊びに来るところじゃあないよ」
諭す大人の口調で言うと、マスターは銀色のポットをコンロにかけた。
「魔法医を、捜してるの」
「魔法医?」
「ええ……彼の調子がおかしくて」
マスターは俺の胸に揺れるエアシールドを見て「ああ、ダミーかあ。道理で」と納得した。
科学国では魔力持ちだということを隠すために、エアシールドをぶら下げる人間も多いからな。
「旅行先で具合が悪くなるなんて、ついてないな。でも11番街の魔法医は治療費高いよ? 払うアテは……ありそうだな」
「……どうしてそう思うんだ?」
まだ吐き気のする頭を持ち上げて、尋ねる。
「そりゃあ、そんな金持ち服着てりゃ誰でもそう思うだろうなぁ」
「金持ち服……?」
「ありゃ、自覚なくアグリス着てるわけ? やだねー、モノホンの富家だな」
「……そう、見えるのか?」
「庶民には縁のない、高級ブランドだよ。セレブカジュアルってやつ。まあいい、そういうことなら、どれ、診せてみな」
ヒゲのマスターはそう言って、カウンターからオレンジ色の眼鏡を取りあげた。
コンロの火を止めて、キッチンから出てくる。
眼鏡ごしに俺を観察しつつ「へえー」と驚いたようにエヴァを見る。続いて腰を屈めると、俺の目の下に指を添えた。
医者がやるように、軽く引っ張ってなにかを確認しているようだ。
……まさか。
「……あんた、医者なのか?」
思い当たるのはそれしかない。
「表向きはここのマスターだけどね。絶賛無許可営業中」
ふざけた口調で言うと、マスターは俺の口の中ものぞき込んだ。
「腹が減ってるだろう? のどの渇きに近いような飢えだ」
「……ああ」
「たまのふらつきに、脱力……ふわふわ~っとして、周りがよく分からなくなる感じだな」
「分かるのか?」
「医者だからね。それで君、このまま行けばじきに動けなくなるよ」
「え……」
思わず言葉を失った。
不調の原因は知りたかったが、あまり大事だとは思っていなかった。
俺は、それほどまずい病気なのか?
「動けなくなるって、なにが原因なの?」
エヴァが代わりに尋ねる。
マスターの説明に緊張しているのが分かった。
「――魔力欠乏性貧血症」
俺の目の中をのぞき込んだまま、ヒゲのマスターは言った。
「……魔力欠乏……?」
「そう。生命活動に必要なだけの、魔力が足りないんだよ」
魔力を持つ人間は、肉体がどれだけ健康でも魔力がなくなると死ぬ。
だから魔力が少なくなると、うまく動けなくなるということは知っていた。
だが……魔力が足りない? どれだけ暴れたところで、俺はそんな状態になったことはない。
病名を聞いても意味が分からなかった。
「なんで魔力が足りないんだ? 動けなくなるのは困る。どうしたらいい? 治療法はあるのか?」
矢継ぎ早に尋ねると、マスターは肩をすくめて笑った。
「治療っていうか、魔力を供給すればいいだけの話だよ」
そう言って、ニコニコしながらエヴァを見た。
「仲は悪くないみたいだし、なんでこんなになるまでおあずけしてるのかは分からないけど……そういうわけだから、手遅れになる前になんとかしてあげたほうがいいよ」
俺でなく自分に向けられたセリフに、困惑した顔でエヴァは聞き返した。
「どういうこと?」
「いや、どういうことって……魔力の混ざり具合を見るに、君が彼のご主人でしょ? 半獣でもない人間が使い魔だなんて、珍しいよね。まあ、実際に使い魔になってるんだから、どこかしらに魔物要素があるんだろうけど」
「見て分かるの……?」
「分かるよ。これでも魔法医だからね……あれ? もしかして、君たち従魔の契約交わしたばかり?」
「……ええ」
「じゃあまさか冗談抜きで、魔力供給のこと知らないとか?」
「残念だけど、たぶん知らないと思うわ」
エヴァの答えに、マスターは少しの間目を丸くして黙り込んだ。
「うわぁ……そりゃここに来れて運が良かったなぁ……なにも分からないまま彼を死なせるところだったよ」
ひとりで分かった風のマスターは物騒なセリフを吐くと、さも気の毒そうに俺を振り返った。
人指し指を立てて「いいかい?」と俺の胸の中心を、とん、と突いてみせる。
「魔力の核は目に見えないけれど、君の中にあるだろう。ちょうどこの辺だ」
ひとつうなずいてみせる。
「君の魔力はなくなってはいないけれど、元のままでもない。彼女に魔力の核を染められた君は、元々の自分の魔力と彼女の魔力が混ざった状態なんだ。分かるかい?」
「分かる……と思う」
「うん、それで君の中に今ある魔力は、もう君自身の力だけでは回復しないんだ。今までみたいに寝たら元に戻るとか、そういうことはない。魔力を回復させるためには外からの供給が不可欠になる」
「外からの、供給……」
「要するに、魔力を動かすために必要な分を、彼女からもらわなきゃいけないんだ」
「私?」
「……本当に何にも知らないで契約しちゃったんだね」
苦笑して言うと、マスターは俺たちに向かって3本指を立てた。
そして「大雑把に説明するけどね」と前置きして、指折り魔女と使い魔の関係を説明してくれた。
一に、魔女は契約を交わした使い魔が死ぬまで、次の使い魔を持てないこと。
二に、使い魔は魔女が死ぬまで、契約を解除できないこと。
三に、魔女は使い魔に自分の魔力を与えて、回復を補助してやる必要があること。
「だから魔女は、自分の魔力とかけ離れて強い力を持つ使い魔は使役できないんだ。回復に必要な魔力量を供給できなければ、魔女も使い魔も魔力がなくなって共倒れるってわけさ」
「三つ目は、知らなかったわ……」
情けない顔のエヴァが言った。
「俺も身近にあんだけ魔女がいながら、なんで知らなかったんだ……?」
使い魔に魔力を食わせてやるとか、使い魔は主人の魔力の影響下にあるとか、その程度のことは知っていたが……
魔力供給が必須だというのは初耳だった。
「基本的に魔女は魔力供給の話はしないだろうねー。ちょっとセンシティブなところあるし」
「あれ? てことは、もしかして、エヴァがうまそうだと感じたのも、腹が減ってどうしようもなかったのも……」
「ははは、まあ当然の生存本能だろうね」
マジか、と呟いて俺は肩を落とした。
エヴァを本当に食糧にしたかったわけじゃないと思ってホッとしたが……
なんなんだ使い魔。強くなったり不死になったり、いいことばかりじゃなかった。
その1点においては不便すぎるぞ。
「魔力供給って、どうすればいいの?」
エヴァがマスターに尋ねた。
これは自分を責めてる顔だな……。
「普通に魔力を分け与えてやればいいんだよ。全部君の力で回復させる必要はないから、半分くらい補助してやるつもりでいいんじゃないかな。慣れれば遠隔でも出来るだろうけれど、最初は触れたほうがやりやすいだろうね」
マスターが説明するなり、エヴァはぎゅっと手を握ってきた。
真剣な顔で黙り込む。俺もなんとなく黙って、そのまま見守ることにしたが……
「……どうすればいいの? 全然分からない……」
少しのあと、悲愴な顔でうめいた。
おいおい……嘘だろ。
「難しく考えることないよ。魔法を使うのと同じ要領で、魔力を外に向かって流すんだ。対象を彼にすればいいだけだよ」
「魔法を使うのと同じって言われても……私、魔法は使えないもの。魔力は閉じ込めることばかり考えてきたから、どうやって外に向けたらいいか全然分からないわ……」
「ええ? 魔法が使えない? 嘘だろう?」
「いや、本当なんだ。こいつ魔力はあっても魔法が使えないんだよ」
俺が追って説明しても、マスターは「そんなことってあるの?」と半信半疑のようだった。
まあ、第3の力って考えると、本当に魔力なのかどうかすら怪しいんだよな、エヴァの場合。
「そいつはまた難儀だな……でも早急に魔力供給しないと、彼の命に関わるよ」
「っそんな……」
「いや、死なねえから大丈夫だって。動けなくなるのは困るけど」
「あんまり悠長なこと言ってる場合じゃないと思うけどなぁ。普通はじめての魔力供給は、使い魔になったタイミングでするもんだよ」
そうだったのか。
それなら飢餓状態なのもうなずける。
焦った顔でエヴァが俺の手を引っ張った。もう1度試そうということらしい。
じっと観察していたが、魔力はエヴァの中心に向かって渦を巻いていて、俺のほうに出てくる気配がない。
普通にダメじゃないだろうか、これ。
あと、理由が分かったら本格的にエヴァが……いや、エヴァの魔力が食いたくなってきた気がする。
やばい、俺。ちょっと魔物っぽいかも……。
地味に凹むなぁ。
チートなようで、ポンコツご主人……。




