075 魔法医を求めて
俺たちを助けた少女の目は、どこか遠いところを見ていた。
説得力のない理由を口にする意図は分からなかったが、嘘をいっている風にも見えない。
「魔法国の人ってだけで、犯罪者のような扱いをされるのはおかしいですよね。普通に観光で来ている人がほとんどのはずなのに……昔はそうでもなかったんです。でも、このところは少しでも危険視されると平気で拘束されるようになってしまって……通りかかったら、あなた方もそういう風に見えたから、放っておけなかったんです。余計なことでしたら、ごめんなさい」
語られる大人の口調は、見た目とのギャップがものすごい。エヴァはこれをおかしいと思わないんだろうか。
「そんな、あなたが謝ることなんてなにもないわ。実際に困っていたもの。助けてくれてありがとう」
思ってないんだな……。こいつを見る目に「かわいい」と書いてある。大人に対しては警戒心が顕わなのに、子どもに対して対応が甘すぎないか?
少女はエヴァに向き直ると「良かった」と、照れたように微笑んだ。
「お姉さんたちは、旅行者ですよね?」
「ええ。私はエヴァよ。こっちはルシファー。あなたはこの辺に住んでるの?」
「私はアスカです。家はもう少し離れたところにあります」
こうして並べて見ると、色も顔の造りも違うのに、ふたりはどこか似ていた。
エヴァの白銀の髪に、茜色の瞳。
アスカと名乗った少女の、薄い茶の髪に水色の瞳。
どちらもまれに見る、綺麗な顔立ちだからだろうか。
エヴァをはじめて見た時の衝撃は忘れがたいが、この少女も普通じゃない。
人間でありながら、一種彫像のように完璧な端麗さを形作っていた。
「なんか、姉妹みたいだな」
思わずぽつりと言うと、ふたりは揃って俺を振り返った。
「なに急に、変な人ね」
「ふふ、うれしいです」
反応からして、性格は似ていないみたいだが。
顔を見合わせて笑うふたりは、悪くないと思ってしまった。
仮に同業者だったり、いかがわしい家業の子どもだったりしても、どうでもいいか。
俺はなんとなく馬鹿馬鹿しくなって、少女の素性を追求するのをやめた。
「ルシファーも、ちゃんとお礼言って」
「あー、はいはい。ありがとな……」
雑な礼を言おうとしたところで、突然目の前のふたりの顔が揺れた。
(これは……また、昨日のやつか……?)
ふいに足下が分からなくなったような、浮いた感覚。
頭を振って得体の知れない浮遊感を払った。
気分が悪くなったのは一瞬で、じわじわとクリアな視界が戻ってくる。
「どうかしましたか?」
「ルシファー、また具合悪いの?」
同時に尋ねられて「いや……」とだけ答えた。
おかしい。どう考えてもこれは、ただの風邪で片付けるのには無理がある。
「顔色が真っ青ですよ?」
「昨日から体調が悪いみたいなの……そうだ、アスカちゃん、この辺に魔法医はいないかしら?」
尋ねたエヴァに、アスカは「魔法医ですか……」と顔を曇らせた。
「科学国に魔法医はとても少なくて……軍と中心街、あとは30番街の一部にしかいないんです。体調の悪さは魔力が関係してそうなんですか?」
「分からないの。でもこの人ちょっと特殊体質だから、魔法医じゃなきゃ診れないんじゃないかと思って……」
エヴァの言うとおり、今の俺は医者にかかったほうがいいのかもしれない。
でもこの国に、観光客を診てくれる魔法医なんてそうそういないだろう。
別にいい、と断る前に、アスカが「この近くなら……」と呟いた。
「あまりおすすめはできませんが……11番街には、魔法医がいると思います」
「11番街? ここはええと……」
「9番街です。この道をもう少し行くと10番街に入るので、そこからバスで西の8号線を下るのが一番の近道ですね。11番街には魔力持ちが一定数暮らしているので、無許可の営業でしたら、魔法医もいるはずです」
無許可。なるほど……ということは……
「――ブラックマーケットの連中か」
俺が答えると、アスカはわずかに目を細めた。
「ご存じでしたか、そうです。どこかの店の紹介が必要だと思いますが、あそこならそれなりの腕の魔法医を見つけられると思います。ただ……子どもが出入りする場所ではないので」
「お前に子どもとか言われたくねえなあ……大丈夫、俺、一応成人してるから」
胸元から財布を取り出して、身分証をちらつかせる。
アスカは俺の手の中を見て驚いた顔をしたが、少しのあと、ふふっと笑った。
「とてもよくできた、偽物ですね」
「なに?」
「アッシュール公国では、身分証のこの部分にこうして地方ごとのロゴが入っていますが……」
そう言って隅のロゴを指で示してみせる。
「デザ地方のロゴは、透かしのナンバリング13桁のうち、真ん中の8だけが上下逆になっているんですよ。これは全部同じ向きですから、偽物です」
その説明に呆気にとられた俺が再びいぶかしむセリフを吐く前に、エヴァが「よくそんなこと知ってるわね。すごい」と感心して言った。
すごい、じゃなくて、おかしいだろ、普通に考えて。
「昨年ひそかに改定された部分なので、知らなくても無理ないです。でもIC部分は完璧ですから、ヒューマノイド相手には十分使えますよ。よくできてますね」
「お前は、なんで分かったんだ?」
「私は公的文書などの特徴をよく知っているので、たまたまです。あと、ルシファーさんが18歳というのは、少し無理があるかと」
「見た目と中身の年齢が違う人間だっているだろ?」
カマをかけるつもりで聞いた。
こいつも、そういう類いじゃないのか。
「そうですね……そういうこともあるかもしれません」
アスカは否定しなかった。
「ルシファーさんはどうやらただの旅行者ではないようなので、心配いらないですね。11番街に行かれるなら、どうぞお気を付けて。私は急ぐので、これで失礼します」
「あ、おい……」
「エヴァさんも、どうぞお気を付けて」
ぺこりと礼儀正しくお辞儀をすると、アスカは走って行ってしまった。
なんだあいつ……正体不明すぎる。
「天才少女、ってああいう子のこと言うのかしら」
「ああ……どこか頭の構造がおかしいな、あれ」
俺も天才と言われて育ってきたが、種類が違う。
大体この身分証のロゴに数字が入ってるなんて今知った。しかも上下が逆だなんて見ても分からないぞ、文字が小さすぎる。どんな目してるんだあいつ。
「ルシファー、とにかく魔法医のいる場所が分かったんだから、また悪くなる前に1度診てもらいましょう?」
「そうだな……原因が分からないと困るし……図書館は今日はあきらめるか」
おとなしくエヴァの提案に従って、11番街に向かうことにした。
街番をまたぐまで移動するには距離がある。アスカに言われたとおり、大きい通りからバスに乗った。
飛んで移動できないのは不便極まりないな。
11番街に入ったところでバスを降りた。
住居なのか看板もない店なのか、雑多な作りの建物が並ぶ通りが続いている。
この辺りはいわゆるローラシアの歓楽街だ。大型のアミューズメントパークも近くにあったはずだが、一歩裏に入ればいかがわしい店も多い。
探す魔法医は、おそらくそちら方面にいるだろう。
ローラシアの地図はあらかた頭に入っているが、土地勘があるわけじゃない。手探りで進むことにした。
太い道を外れ、足を向けた先に天井の低いアーケード街があった。押しつぶされそうな空間に、人が溢れている。
「こんなところに、こんなに人が……?」
「ローラシア名物、闇市だな。食糧から日用品から、非合法なルートで入手したものを売ってるんだ。表だって買い物に行けないような人間ばっかだから、気をつけて歩けよ」
狭い路地なのに、表通りより人が多かった。密集した小さな店が並ぶ、変に酔った活気のある通りだ。
「灰色スーツの人が、多いわね」
エヴァが、押さえた声で言った。
「エアシールドは消耗品で高価だからな」
このあたりは法と無法の狭間の世界。
闇の市場でしかものを買えない人間といっても、貧民なだけの一般人が多い。半永久的に使える、エアスーツを着用する人間が多いのは当然だ。
一方では華やかで美しい科学の街が広がり、一方では薄汚い店や人がひしめいている。
頭では分かっていたものの、自分の足で歩いてはじめて、ローラシアという国を知った気がした。
怒号のような呼び込みの声が響き、客が得体の知れない食材や品物を買い漁る光景が続く。
魔法医のことを尋ねたいが、客ではない人間に耳を貸してくれそうもない。
「医者の住処はもう少し静かなほうにあるかもな」
「そうね……ここに病院があるとは思えないわ」
熱気で溢れる通りから外れる道を探し、階段を下りる。
さらに薄暗い通りへと足を踏み入れたら、ぱたりと人通りがなくなった。
喧噪が聞こえる道から外れれば外れるほど、差し込む影の臭いは強くなる。
「雰囲気の悪いところね……」
「そういうところだからな。無許可医が日の当たるところにいたらおかしいだろ? 闇の職業にこういう日陰の場所が多いのは必然だな」
「ルシファーは……」
少し迷ったように、エヴァが口を開いた。
「あなたも、こういうところに住んでるの?」
昼のさなかにあって薄暗い道。
陰鬱な気配が漂う店や家をあらためて見回してみる。
「……いや? うちはもっと開けてる。通行料さえ払えば基本的に誰でも来れるし、少なくともこんな暗い感じじゃないぞ」
オープンでクリーンな暗殺がウリだからな。そう付け足すと、エヴァはなんとも言えない顔をして「意味が分からないわ……」と答えた。
そうか、やっぱり分からないか、ばあちゃんの企業理念。
この辺りで情報を得たいと思ったが、営業していそうな店は見当たらない。
一軒の店の前を通り過ぎようとしたとき、
「――そこの人、買い物かい?」
エアスーツを着込んだ人物が声をかけてきた。




