071 誕生日の過ごし方#
From a viewpoint of new character.
「本当に大切なものを、失くしてから気付くのでは遅いのよ」
後悔のないように生きなさい――。
母がそう言い残して死んだとき、これからの一生の中でもう母の言葉を聞くことはないのだということに気付き、愕然とした。
父が目の前で殺された時よりも、その事実は俺を打ちのめした気がする。
あれだけ何度も俺の名を呼んで、叱り、励まし、褒めちぎった声が、もう聞こえない。
どれほどに望んでも、この手には戻らない温もり。代替えなど無いと知りつつも、それを探し求めていた愚かな少年も、あれから10年。
10歳だった俺は大人になって、今なおこの地に生きている。
「止まったままだな……」
ひとり呟いたら、カラン、とグラスの氷が揺れた。
20歳の誕生日を祝ってくれる家族はもういない。
この小さいバーのカウンターが、俺に似合いの誕生席だ。
「昼から飲むのは珍しいな、セオ」
カウンター越しにマスターが声をかけてくる。グラスからそちらに視線をあげた。
「今日は朝からだるい。どうにも働く気にならなくて、なんとなく景気づけだ」
「そりゃいいことだ。セオは普段から働き過ぎだからなぁ。休日は大事だよ」
「休日か……」
そのとき、カウンターの隅の黒い電話がジリリリン、と音を立てた。
グラスを磨いていた手を止めて、マスターが受話器を取る。
「はい『千鳥亭』……ああ、毎度どうも。ん? ああ、ああ……そうか、そりゃタイミング悪いな。今日は休日らしいよ」
電話の内容を聞いて、自分に関係することだと解釈した。
「マスター、俺宛か?」
「ああ、ちょっと待ってくれ」
受話器の通話口を片手で押さえると、マスターは言った。
「断ってもいいと思うな。雑用だ」
「かまわない。誰だ?」
「『アトラ・ブックス』の社長だよ。ほら、頭の丸い……」
「ああ、スキンヘッドの本屋か。で? 依頼内容は?」
「ねずみ駆除。新しく出来た店舗のほうだとさ」
「分かった。すぐ行くと言ってくれ」
「休めばいいのに……」
腰をあげた俺にまだなにやらブツブツ言いながら、マスターは「分かったって。すぐ行くからちょっと待ってなよ。あ? うん、はいはい」と受話器に向かって言った。
ガチャンと電話が切れるとの同時に、俺は店の出口をくぐった。
薄暗い目の前の階段を登って、建物のすき間からどんよりとした空を見上げる。
ここは大国ローラシアの東11番街。
いかがわしい店がひしめく、俺の縄張りだ。
迷惑人駆除はいつものことだった。大した稼ぎにもならない些細な仕事。
だが俺のような掃除屋がいなければ、困る人間がいるのも事実。
壁際に駐車中の愛車にまたがり、ハンドルグリップを握る。
手元のセルを回せば、機嫌良くエンジンが唸りをあげた。
「アトラ・ブックス……10番街か」
なめらかに走り出した2つのタイヤが、入り組んだ路地裏を抜け、太い通りに出る。回転数をあげて、近頃出来たばかりのでかい本屋に向かった。
最短距離を通り10番街に入り込むと、途端に道が開けて明るい街並みが顔をのぞかせる。
雑踏を横目に停止信号でバイクを止めた。
今日は曇りだからか、街には人が多い。中心街に近付けば、さらに混雑していることだろう。
進行方向の矢印が出たところで交差点を渡り、更に進む。
前方に円筒形の柱がそびえるでかい建物が見えてくる。真っ直ぐにそこに向かうと、すぐ側の道に停車した。
ガラスの回転扉の横には、周辺警備のヒューマノイドがひとり立っている。
近付いていくと、無機質な顔でちらとこちらを確認した。
見た目は人と同じだが、こいつらに柔軟な思考能力は皆無だ。
建物外の警備もいいが、店内のねずみ退治用にも動いてくれないものか。もっと臨機応変に仕事をこなしてくれれば、俺の仕事も減るのに。
与えられた命令以外で動かない機械に、くだらない愚痴か……。
体温のない人形の横を通り過ぎようとしたら、首筋がぞわりとした。
首に埋め込まれた、神経インプラントの情報を読み取ったのだろう。外見の特徴とあわせてビックデータを照会すれば、こいつらは俺がどこの誰か正確に分かる。
そんな気味悪さに慣れたローラシアの住人でも、こいつらが警備員として店内をうろつくのはあまり好まない。
だからこそ、こういう場所で起きるトラブルには人の手がいる。
俺は自動で回転する扉から中に入った。
ここはアトラ・ブックス、東10番街店。
3ヶ月前にオープンしてから何度か訪れているが、本来なら俺のような人間が来る店じゃない。
壁一面に並べられた本達を眺めて思う。貧民育ちには縁のない代物だ。
スキンヘッドの店主を捜そうとして、1階の奥に目が行った。
いかにもガラの悪そうな、ヘビ皮のジャケットを着た男。他2名。
本屋にそぐわない客がなにか問題を起こす前に外に出す。それがねずみ退治の内容と想像がついたが……すでに問題が起きているようだ。
囲まれているふたりは……ジュニアハイスクールくらいか? まだ子どもじゃないか。
案内のカウンターに近付いたら、顔見知りの店員がいた。
目線だけで「あれだ」と訴えられる。頷いて返した。
「ガキのくせに馬鹿にしてんのか? こいつ」
「なんだその目は」
「床に頭つけて謝れコラ」
チンピラ、という言葉がひどく似合いそうな3人組のセリフに、ため息がもれた。
20歳はじめの仕事が、これを追い出すこととは……幸先悪そうだ。
背後から近寄ってポンポン、とひとりの肩を叩いた。
「店内でもめごとは迷惑だろ。やるなら外でやってくれるか」
「あ? なんだお前。どこでなにを話そうが俺らの勝手だろ」
「ひっこんでろ」
「そうもいかない事情があってね。それとも俺じゃなくて、店内警備のヒューマノイドを連れてこようか?」
もちろん、そんなものがいないから俺が呼ばれたんだが。
「……ちっ、くそが」
いまいましそうに舌打ちすると、男たちはぞろぞろと店の外に出ていった。
およそ本屋に似つかわしくない連中だ。なにかしらの偵察部隊か。
狙いは窃盗か、スリか……。ひとまずあっさり帰ってくれて良かった。
「君たち、大丈夫か?」
囲まれていたふたりに声をかけて、驚いた。
人形、でないことは確かだったが、そうと見まごうほど白い少女だった。
繊細に輝く赤い瞳が、俺を見上げる。
「ええ……どうもありがとう」
透き通ったソプラノボイスが、礼を返してきた。
大きな帽子をかぶった頭がしゃがみ込む。白い指が足下の割れたサングラスを取りあげた。
「ああ……」と困ったように呟いた少女に、思わず見とれてしまう。
ヒューマノイドの造形とは違う、血の通った完璧な美しさだった。
「また買えばいい。俺のしてろ」
少女に見とれるあまり、もうひとりに気を留めていなかった。
となりの少年は自分の胸元からサングラスを引き抜くと、くるりと回して少女の顔にかけた。
清楚な顔立ちに、黒いサングラスが壊滅的なほど似合わない。する必要があるんだろうか。
少女とは対極に暗い、つややかな黒髪がこちらに振り返った。
「あんた、店員?」
また驚いた。
この少年も恐ろしく整った容姿をしていた。姉弟……にしては、似ていないな。
子どもとは思えない眼光に見つめられて、どきりとした。
あどけなさの残る顔立ちは中性的でもあって、人を惹き付ける魅力がある。
「いや……店員じゃないが。困っているようだったからな」
そう答えると、少年はうかがうように俺を眺めた。
なにか言いたそうにしてから「そうか……」とだけ呟く。
服装こそカジュアルだったが、ふたりが着ているものは高級ブランドのものだ。いわゆるセレブカジュアルというやつか。
もっともこんなところでデートなのだから、富家の人間なのは間違いないだろう。要するに、俺には仕事以外で接点のない人種だ。
「手間が省けた。ありがとう」
少しのあと、少年は言った。
手間が省けた、の意味は分からなかった。
「エヴァ、その本……欲しいのか?」
少年は複雑そうな表情を作ると、プラチナブロンドの少女に向かって尋ねた。
「えっ? あっ……ち、違うわよ? これはただ、写真が可愛いなって思って!」
「へー」
少女が慌てて本棚に戻した本の背表紙には『生きものの飼い方(鳥~魔鳥)』とあった。
ペットの飼育本が、なにかまずかったんだろうか。
俺の疑問をよそに、ふたりは「言っておくけど、俺普通に人間だからな」「分かってるわよ、だから違うって言ってるでしょ」などと話しながら、歩いていってしまった。
不思議に印象的な子どもたちに興味が湧いたが、それ以上なにかを追求できるわけもなく。
ようやく現れたスキンヘッドの社長と挨拶を交わし、見えない場所に警備員を設置したほうがいいと助言を残し、報酬をもらって店を出た。
広いローラシアで偶然に再会することがあるとは思えなかったが。
このときの俺はほんの少しだけ、あのふたりになにか予感のようなものを感じていた。
飲酒運転はダメ。ゼッタイ。
視点をコロコロ変えるのは、私の悪いクセ。




