070 どこに行っても#
from a viewpoint of エヴァ
ルシファーは本が好きらしい。
(なんていうか、平和な趣味よね……)
確か、彼の職業は暗殺者じゃなかったかしら。
具体的にそれがどういうものなのか分からなくても、うれしそうにページをめくっているルシファーから、そんな殺伐とした気配は感じられない。
意外な趣味が興味深くて、彼の選んだ本と彼自身を観察していたけれど、しばらくして外にも目が向くようになった。
周りには見たことがない不思議なものがたくさんある。
ここには私を捕まえようとするテトラ教徒もいない。
それは不思議な現実だった。
あの天井からぶら下がっている飾りを、もう少し近くで見てみたい。
あっちにあるあれは何かしら。
……警戒する以外で辺りを観察してみる気になるなんて。いよいよルシファーと、この環境に毒されてきたかもしれないわね。
ルシファーに「あの木にしがみついてる人形は、魔獣なの?」と尋ねると「あれは……コアラだな。本当の色はあんな黄色じゃなくて灰色だ。大崩壊前に絶滅した有袋類だよ」と返ってきた。
内容の半分以上が理解出来なかったので「そう……」とだけ返す。
そんなやり取りをポツポツ繰り返していたら、ルシファーが「エヴァもその辺、見てくればどうだ?」と勧めてきた。
もしかして私、うるさかったかしら。
読書の邪魔をしていたかもしれない……
ここが慣れない場所でも、ルシファーを頼りすぎたらダメだわ。
重荷になるようなことはなるべく避けなくちゃ。
アクセラレータの能力に気を付ければ、ひとりで歩くくらいはできるんだから。
私は「そうね、見てくるわ」と席を立った。
正直なところ、どこをどう見ていいのかまったく分からない。人の多い中を歩き回りたくもない。
それでも少しばかりの好奇心と、ルシファーの邪魔になる不安が勝った。
当てもなく歩けば人の視線を感じた。ゴンドワナじゃなくても注目されるのは変わらないらしい。みんなが視界の端に私を振り返るのが分かる。
アクセラレータの能力がそうさせるのかしら……魔力のない人でも、異質なものがそこに在るのを肌で感じるのかもしれない。
本当に、忌々しい能力だわ……。
帽子を深くかぶり直すと、同じ階を歩いた。
本当に大きい建物だった。道を覚えながら行かないと迷いそうだ。この階と同じ広さが、まだこの上に何個もあるなんて信じられない。
検索コーナー、電子書籍端末販売コーナー、文具コーナー……。
閲覧のみと書かれているのは古書コーナーだ。一瞬のぞいてみようかと思ったけれど、区切られた空間になっているので入るのに気が引けた。
気になった本を手にとってみながら1階のほとんどを回りきった頃、「今月のオススメ!」と書かれた看板にひかれて足を止めた。
大きなウサギのぬいぐるみが飾られている。ふわふわの茶色い耳が気になってそばに寄ってみれば、『ペット特集』と書かれたスペースに、たくさんの動物写真と本が並んでいた。
(うわぁ、可愛い……)
犬の飼い方、猫の飼い方……ふわふわした動物以外に、爬虫類や魚類もある。
その中の一冊に目が留まった。
「……鳥」
黄色い羽を広げた、綺麗な鳥の写真が表紙だった。
なんとなく手にとってしまった。
自由にどこまでも飛んでいける、翼のある生きものは好きだ。
「ペットに向いている魔鳥とその性質……」
小型で飼いやすい種類。おとなしく雑食で、人を襲わない種類……そんな文字を目で追って、ページをめくる。
黒い魔鳥が載っているページには「※ペット不可:気が荒く人肉を好む」と書かれていた。
思わず指が止まる。
(人肉……? まさか、ルシファーは食べないわよね……?)
やたら腹が減ったと言っている彼を思い出して、わずかに動揺した。
(馬鹿ね。リアムの家でも普通にご飯食べてたじゃない)
大体ルシファーは翼があっても魔鳥じゃない。苦笑いで本を閉じる。
棚に戻そうと一歩下がったところで、すぐ背後から声があがった。
「いてっ!」
後ろにいた人の足を思いきり踏んでしまったらしい。
「あっ、ごめんなさい……!」
慌てて振り向いた拍子に、大きかったサングラスが顔から抜け落ちた。
カシャンと床に落ちた黒いサングラスを、私が拾い上げる前に革のブーツが踏みつけた。
レンズが砕ける音が耳に聞こえてくる。
「あー、わりーなあー、踏んじまった」
「おおっ、それカラコン?」
「俺一瞬ヒューマノイドかと思ったぜ。マジで人間か?」
割れたサングラスは、明らかにわざと踏まれたものだ。
グレーの床の上で、ザリッと音を立てる黒い破片。
(なに、この人たち……)
若い3人組の男たちだった。ニヤニヤと笑いながら無遠慮な視線を向けてくる。
男たちは、本棚の前の私を囲むように立った。
カフェはここから見えないのに、思わずルシファーの姿を捜してしまう。はっとした。
なにを考えてるのかしら。あなたは自由だし、どこに行ってもいいだなんて言ったくせに……。
無意識に頼ろうとしている自分を、どうかしていると思う。
「可愛いなぁ、今いくつ? 16くらい?」
「……足を踏んだことは謝るけれど、年は関係ないでしょう? それにあなたも謝って」
足下のサングラスを指して言うと、男たちは声を上げて笑った。
「威勢のいい美少女、いいねぇ」
「さっきっから見てたんだよ、今ひとり? 少し付き合ってよ」
「触らないで」
伸ばされた手を払ったら、反対の手で肩を掴まれた。
押されて少しよろける。
「あれぇ? 今この子俺の手叩かなかった?」
「お前の顔が怖いからだろ」
「そういうことしないほうがいいぜ? とりあえずさ、この店出ようか」
「……行くわけないでしょ?」
「あははは、こわーい」
「かわいー」
この人たちはテトラ教徒じゃない。でも、私をどこかに連れて行こうとしてる。
なんで? ローラシアでも結局こうなるの……?
そっと目をそらす周りの人たちを見て、現実を思い出した。
誰も私を助けたりしない。そんなこと知ってる。
誰に関わるわけにもいかない。だから、自分でなんとかしなくちゃ……。
「――悪い、目、離しちまった」
雑な謝罪の声と同時に、私の肩を掴んでいた男の体が横に傾いた。
足払いをかけられて勢いよく転倒した男の頭に、棚から落ちた本が1冊落ちる。
「いてえっ!」
「……クズはどこにでもいるのを忘れてたなー」
不愉快そうな顔で呟いたのは、ルシファーだった。
ここはカフェから見えないはずなのに、どうして……。
「クズだと?」
「なんだこいつ……女みたいにキレーな顔しやがって。野郎に用はねえんだよ」
「誰が女みたいな顔だ」
苦々しく吐き捨てたルシファーが、私の前に立った。
「エヴァ、大丈夫か?」
その顔を見て、安堵と不安が同時に広がる。
なんでいつも来てくれるんだろう、この人は。
「……なんともないわ」
ありがとうとも言えず、それだけ返した。
ルシファーは男たちを見ると、溜息を吐いた。
「人がちょっと目を離した隙に絡まれるとか……ムカつく。こいつら消したい」
その意味を正確に解釈すれば、どうぞ、なんて言えるわけがない。
「なに言ってるの。ダメよ」
「なんでだよ、誰にとっても害にしかならないぞ、見た目からしてクズじゃねーか、こいつら」
「たとえそうだったとしても、人を消していい理由にはならないわ」
「理由……ねえ」
納得いかない顔でルシファーは黙ったけれど。
命の重みを知らないような発言は、彼がまだ子どもだからなのかしら。それとも……職業のせい?
「俺たちを消すだと? ガキのくせに馬鹿にしてんのか? こいつ」
「なんだその目は」
「床に頭つけて謝れコラ」
ルシファーの代わりに殺気立ちはじめた3人組が、口々に煽ってくる。
話が通じるようには見えないけれど、たくさん人目があるこの場所で、乱闘なんてことにはならないだろう。
でも、どう収集をつけたらいいのかしら。
すでに目立ってしまっている。
人目はなるべく避けたいのに……。
「――店内でもめごとは迷惑だろ。やるなら外でやってくれるか」
新しく介入したそんな声が、場に届いた。
エヴァが振り返られる一番の原因は、色でしょうねぇ……。




