007 忍者かぶれの兄
「フェル、まだ食べているのか。もう出るぞ」
頭の上から降ってきた声とともに、俺はダイニングの椅子からつまみあげられた。
昨日明け方近くまで本を読んでいたから、まだ眠い。
「朝から月光狐のソテーとか食いたくなかった……肉好きじゃない。もっと軽いサンドイッチとかマフィンとかにして欲しかったなぁ。テンション下がるー」
今日は仕事より本を読んで過ごしてたいよ。そうぼやいたら頭をはたかれた。
「そんなことはどうでもいい。行くぞ」
そう言う一番上の兄、カザンはいつもの黒装束だ。
大崩壊前にあった日本という島国の「忍者」というヤツらしい。
目から下を隠した覆面が、鋭い目つきをさらに鋭くして、ちょっとした悪人顔に見せている。
カザンはこの忍者が好きすぎて、身のまわりのものから自分の部屋まで全て忍者仕様という凝りようだ。
腰に差した短めの刀や忍術武器は全てこの兄のお手製。どうやって作ってるのかは知らない。オタクの趣味を知りたいとも思わないのでどうでもいいが。
「目的地はネオザールから東に18キロほど行った別荘地だ。今日は父さんも爺さんも出かけるそうだから俺が出張ることになったが……本当は午前中から武器の手入れをする予定だったんだ。早々に終わらせて帰るぞ」
うちの兄弟は俺もふくめ、みんながマイペースだ。自分の予定が一番。それより優先されるのは仕事とばあちゃんの呼び出しくらい。
早々に玄関を出て飛び立った兄のあとを、翼を広げて追った。
日の光が目に刺さる、今日の天気は快晴。
太陽からの放射性物質もバンバン地上に降りてきている。
魔力のある俺たちにとって、この有害物質は自然のエネルギーとして受け取ることができるが、魔力なしの人間にとっては身を滅ぼす毒にしかならない。
大崩壊前の人間よりは放射能に対する耐性があるにしても、魔力のない人間てのは自然界の中でかなり非力な存在だと思う。
そしてその非力な生きものをわざわざ殺しにいくのが、今日の俺たちの仕事。
「ターゲットは家族なんだろ? 昨日の大佐を始末しただけじゃダメだったわけ?」
俺は昨日と今日の仕事が繋がっていることを思い出して、カザンに尋ねた。
「大佐の屋敷にある重要機密の入った金庫を開けるのに、旅行に出ている夫人の指紋認証がいるそうだ」
「じゃあ今日のターゲットはその夫人なのか?」
「家族はすべて始末するという契約内容になっている」
依頼の詳細は俺にとってさして重要じゃない。
誰がターゲットか分かれば十分だ。そこに何かを考える余地もなければ、感情も要らない。
ただ。
ただたまに、ふとした瞬間に、これで良いのかと思うことがあるだけで――。
「あれだ」
思考の先を断ち切るようなカザンの声で、意識を前方に戻した。
見えてきたのは、森の湖畔に建つ家々。20戸もないだろう。小さな別荘地だ。
湖のほとりに浄水装置が稼働しているのを見れば、科学国の人間の持ち物だということが一目で分かる。
少し離れたところに急降下したカザンは、首から伸びる布をひらめかせながら地上に降り立った。
俺も着地と同時にその翼をたたむ。翼を出しているときの方が魔力は強いのだが、地面に下りるとジャマになるので、すぐに消してしまうことがほとんどだ。
カザンがターゲットの写真をよこした。昨日の大佐と中年の女性の間に、10代の少年が笑っている。
「俺は大佐夫人をやる。お前は息子のほうだ」
「分かった」
じいちゃんは過保護な心配性なので俺をひとりにしないが、兄さんは雑だ。
丸投げされたのは息子のほうなので、楽なほうをまわしてくれたんだろうけど。
別荘地を訪れている人間は少なかった。
3戸ほど回って、当該の屋敷を見つける。
襲撃を警戒している感じもないことから、大佐の死はまだ伝えられていないのだろうと察しがついた。
遠目にのぞいた1階窓の向こうは居間だろうか。写真の息子らしき姿が見えた。
「夫人が見えないな」
外から見える範囲で部屋の中を確認してみたが、母親の姿がない。
「フェル、俺は周囲を確認してくる。お前は先にあちらを始末しろ。使用人は殺しても殺さなくてもかまわんが、騒がれないようにしておけ」
「了解」
「手早くすませろよ」
そう言うと、兄さんは家の裏手に回っていった。
俺はもう一度、部屋の窓に戻って外からのぞき込んだ。
使用人はシッティングルームにいない。息子ひとりだ。とはいえ、ガラスをぶち破って入ると騒がしくなるから、正面から入るかな……と考えて玄関に回る。
外気を防ぐ自動のシェルターをくぐり、玄関の呼び鈴を押した。
しばらくの静寂のあと、執事らしき男が顔を出した。
「ご用件を承りま……」
陰気な声で告げられた挨拶が終わらないうちに、男の喉元を右手のひらだけで締め上げる。
脳に酸素が回らなくなった人間が落ちるのは一瞬だ。
他に人が出てこないことを確認しながら、意識を失った男の首を掴んで邸内に入った。
男はその場に転がして、玄関ホールから人の気配を探る。
右のほうの部屋にひとり。ターゲットのいる場所だろう。左からもふたつ、気配がする。
音もなく移動して、水音が聞こえてくる扉の前に立った。わずかだけ開けて中をうかがえば、メイドが二人、おしゃべりをしながら食器を洗っていた。
これから起こる主たちの悲劇など知らず、楽しそうだ。
俺は外開きの扉をそっと閉めると、廊下にあったキャビネットに目を付けた。
アンティークの質感漂う大型のキャビネットを横から掴む。
「よっと……」
音がしないよう水平に持ち上げて、扉の前に移動させた。
1階だから窓からは出られるだろうが、こうして扉から出られなくしておけば、万が一気付かれたときにも足止めができる。
他に人の出す音も聞こえなかったので、俺はいよいよシッティングルームに向かった。
大きな扉は開け放たれていて、のぞきこむと長椅子に腰掛けた茶色い頭が見えた。
このまま後ろから狩ってしまうか……
気配を消して数歩近付いたところで、俺は足を止めた。
少年がテーブルの上に広げているものに気付いたからだ。
(あ、これ……)
俺のカードゲームと同じだ。
魔物の絵柄と数字の並んだ、バトルゲーム。
ひとりでは遊べないと思っていたが……
「……それ、何してるんだ?」
思わず、声をかけてしまった。
弾かれたように振り向いた少年が、俺の姿を見て「え? 誰?」と驚きの表情を浮かべる。
「お前、どこから入ってきたんだ? 何? 誰?」
「入ってきたのは玄関からで、執事に入れてもらったけど。あー……細かいことはいいからさ。そのカードゲーム、もしかしてひとりでも遊べるのか? 俺も持ってるんだ」
「え……バスクライドカードのことか?」
ターゲットの少年は、あまりに唐突に現れた俺に、不審がる気持ちを通り越してしまったらしい。真面目に聞き返してきた。
俺はテーブルの上のカードを一枚つまみ上げて「うん、遊び方よく知らないんだよな、俺」と答える。
まだあっけにとられた顔だったが、少年は「ひとりじゃゲームにはならないけど……カード合わせで遊んでたんだ」と、やっていたことを説明してくれた。
対戦相手がいなければ遊べないと思っていたカードゲームは、ひとりでも遊べる方法があったらしい。
今まで分からなかった遊び方を知った俺は、途端に楽しくなってきた。
それにこんな風に話せる、同じくらいの子供ははじめてだ。
そう思ったらワクワクする気持ちを抑えられなくなってきた。少年と、もっと話してみたくなった。
「そうか、そうやってやれば良かったんだ。そっちの数字の小さい方はどこに置くんだ?」
「ああ、これはこっちに……」
「なるほどなるほど。なんだよこれ、すげー面白いじゃんか。あ、そうだ、どうせならゲーム形式でやってくれよ。俺、対戦してみたかったんだ」
「別にいいけど……本当にお前さ、どこから来た誰なんだよ? なんで執事が案内してこなかったの?」
我に返った少年が、俺を見て怪訝な顔をする。
なんと答えたら良いのか。「お前を殺しに来たんだ」じゃ、ストレート過ぎるよな。
それに殺してしまったらこの楽しい時間が終わってしまう。一度殺してしまえば生き物はもう動くことはない。当然ゲームもできない。
俺は腕組みをして、頭をひねった。
今日の仕事はあくまで大佐の金庫とやらを開ける、夫人の指紋認証が必要なだけなんだよな?
てことは、こいつは生きていても死んでいてもどっちでもいいんじゃないだろうか。
「そうだ。お前さ、俺の友達にならない?」
ターゲットが目を丸くした。
そうだよ、こいつをうちの国民第一号にして、俺の友達にする。
これ、名案じゃないだろうか。
「なんだよ突然……僕はお前が誰かって聞いてるんだぞ?」
「そんなのあとでいいじゃん。な、友達になってくれよ。俺、ずっと遊び相手が欲しかったんだ」
困惑した顔の少年にたたみかける。
少年は納得いかないが仕方ない、といった素振りで肩を落とした。
「分かったよ、友達になってやってもいいから、まずお前の名前教えろよ」
「俺? 俺はルシフェル。ルシフェル・ディスフォールだ」
「ルシフェル……ディスフォール?」
お前の名前は? と聞き返そうとしたら、ふいに少年以外の声が部屋の中に響いた。
「何をしている? フェル」
姿を現したのは、兄のカザンだった。




