063 -閑話- ディスフォール家の双子姉妹*
時間軸はエピソードエヴァのすぐ後くらい。
ある日のディスフォール家、パート2的な短い閑話です。
タイトルの最後に*がついてるのは三人称とか神視点とかそういうやつです(雑)。
「「ローガンせんせぇー」」
鈴を転がすようなハーモニーが、広い廊下に響き渡る。
足をとめた男性は、背後から駆けてくる声の主たちを振り返った。
「デリア、フォリア、今日も元気ですね」
応えた微笑に吸い寄せられたのは、ふたりの幼女。
白と黒のワンピースが左右から男性の腰にしがみついた。大きなアッシュグレーの瞳が4つ、その顔を見上げる。
「先生、今日のメガネも素敵。昨日の黒も良かったけど、先生にはその赤が一番似合う」
「ウェリントンのデザイン、クラシックで好き。テンプルの細工も、繊細で凝ってる」
同じ顔をしたふたりの幼女は、なぜかピンポイントにメガネを褒めちぎる。
先生、と呼ばれた男性――ローガンはなんの違和感もなく「ありがとう」と返した。
両の腕に愛玩動物のような幼女ふたりを抱え上げながら、「それで」と続ける。
「私に用事でしたか?」
途端に白いワンピースの幼女、フォリアが頬を膨らました。
「聞いたわ、先生。フェル兄さんのところに行ったって」
「聞いたわ、ずるいわ先生」
「おや」
ローガンは笑顔のまま、目を細めた。
「お母上から聞きましたか。もしやロシベルの耳にも?」
「いいえ、姉さんは知らない」
「姉さんはお仕事。私たちとカザン兄さんだけ聞いたわ」
「なら良かった。シュルガットはすでに知っていますが、ロシベルには内緒にしておいてもらえませんか」
私の命が危ないですからね。と、ローガンは爽やかに続けた。
「フェル兄さん、元気だった?」
「フェル兄さん、いつ帰ってくる?」
「ルシフェルはしばらく帰ってきませんよ。でも心配はいりません、かろうじて元気なようですから」
「かろうじてって、なに?」
「ばかね、フォリア。そんなことも知らないの? ギリギリってこと」
「ギリギリ元気?」
「そうですね、そんなところです」
「じゃあ生きてるのね、良かった」
「死んでないのね、良かった」
ふたりが満足した様子に、ローガンは長い灰茶の髪を揺らして話題を変えた。
「ところでふたりとも、宿題は終わりましたか?」
「……あ」
「……う」
「終わったから、ここにいるんですよね?」
幼女ふたりは顔を見合わせて、なんともバツの悪い表情を作る。
黒いワンピースのデリアが、「一応、半分は終わったの」と返した。
「第12肋骨の左右を結んだ線と、正中線が交わったところ、『命門』でしょ?」
「ええ、その通りです」
「でも左右の肩甲棘突起内端を結んだ線と、正中線の交わるところが分からない。ここ?」
「おっと……フォリア」
伸ばされた小さな手を避けると、ローガンはやんわりと肩で押し戻した。
「経穴には不用意に触れてはいけないと言ったはずですよ?」
「でも、試してみないと分からない」
「そうよ、分からない。どこを押したら倒れるとか、息が止まるとか、それだけ分かればいい。名前は難しくて覚えられない。いたいけな7歳児には難しすぎる」
「いたいけ、という言葉は本人が使うものではないんですが……」
「ねえ、もっと簡単な宿題にして、先生」
「簡単なのにして、先生」
両側から頭にしがみつかれたローガンは、微笑を浮かべながらゆっくり首を横に振った。
「ルシフェルは7歳で経穴の名前と働き、場所と相関図をすべて覚えましたよ。名前と場所を覚えるくらい、難しすぎることはないはずです」
「フェル兄さんと比べないで」
「比べないで。あの人おかしいの。こんな分厚い本が、何冊も頭の中に入ってる」
「変な人なの」
「変なのよ」
「そこは本来なら褒め称えるところだと思いますが……」
ここにはいない三男の評価に、ローガンは肩をすくめた。
「とにかく、夕方の授業までに調べておくんですよ」
「いやよ、先生のばか」
「せっかくのメガネが台無し」
「メガネは素敵なのに」
「本当に素敵なのに」
この幼い姉妹が無類のメガネ好きなのは周知の事実だ。
ディスフォール家で常時メガネをかけているのは、ローガンと他2名の使用人だけ。
たまに理不尽な発言を浴びせられることにも、鑑賞の標的にされることにも、ローガンは慣れていた。
「そうだわ先生。今度フェル兄さんのところに行くとき、私たちも連れていって」
「フォリア、いい考え。先生、連れていって。そうしたら宿題する」
「それは……私の一存では決められないですね。お母上に尋ねてこられたら如何ですか?」
「母さんがいいって言ったら、いい?」
「いいですよ」
「本当? やったわデリア、お外に遊びに行ける」
「まだ行けると決まったわけでは……」
家を飛び出していった三男に、当分会う予定はなかった。
だがそんなことはおかまいなしに、ふたりは目をキラキラさせている。
「ありがとう、先生。好きよ」
「ありがとう、好きよ」
リップ音を立てて左右の頬にキスを送ると、幼女たちは腕の中からぴょんと飛び降りた。
廊下を走って行こうとする背中に「ちゃんと終わらせるんですよ」と念を押せば「白天鹿を解剖してからね」と返ってくる。
「さっき、ふたりで仕留めたの」
「そろそろ血抜きも終わったと思うの」
「おばあ様が牙雷香の材料が欲しいって」
「ちょうどオスなの。角も立派よ」
牙雷香は、白天鹿のオスの臍と生殖器の中間にある、小さい袋状の器官を乾燥させて作るお香だ。
アルティマの番犬である牙雷獣に食われないようにするため、使用人たちは常にこれを携帯している。
なるほど、と思ったものの、楽しそうに去って行くふたりはすみやかに宿題を終える気はなさそうだ。
メガネと同じくらい解剖好きの彼女たちが、巨大な白天鹿をどう解体するのかは興味深かったが……
あとでのぞきに行くか、と。
宿題が終わらなかった際のペナルティを考えながら、ローガンは小さな双子姉妹を見送った。




