062 エピソードエヴァ[15]不死の魔女
夜通し魔道車を走らせて隣町についた町長さんは、お母様から「お前を連れて行くように言われた」とだけ説明した。
すっかり傷の治った私を見て、「なんなんだ、頂点の魔女とは……得体が知れなくて恐ろしい。お前もだ」そう言って去って行った。
ルガースとはまた違う、生まれてはじめて立つ土地。
何もかもを失った私はひとり、町外れにいた。
また誰かの目に留まってはいけないと、人目につかない場所へ潜り込んだ。
そこに座り込んだまま、一歩も動けなかった。
このまま死んでしまえばいいと思った。
1日経って、3日経って、1週間経った頃。死ねないのだと気づいた。
何もしなくてものどは乾くのに、おなかも空くのに、意識は遠のいてまた戻る。
死ねない。
町から出て、崖から飛んでも、魔物に殺されても私は生き返った。
生きていくほか、なかった。
アルビノの体は隠せなくとも、不死とアクセラレータの能力は隠すことができた。
それでも漏れ出ている力に気づかれることはある。
人から逃げるように、あてもなく、町から町へと渡り歩いた。
気づけば嫌でも、自分がいかに人と違うか分かるようになっていた。
世間知らずの私が、逃げ続けて生きるのは所詮無理な話で。そんな逃避の旅もわずか数ヶ月で終わった。
捕まって連れて行かれた研究所では、丸2年過ごした。
血を抜かれ続けることは大して辛くなかったけれど、人形のように生きた日々。
幽閉された環境が幸いしたか、第3の力や不死のことは気づかれなかった。
ある日、研究所内で「隠居した魔法医」のうわさを耳にした。「咎人の石」のことも。
この能力を殺せるならばと、隙を見計らって監視員の短剣を奪い取ると、胸を刺して自害した。
研究所で死んだ検体は、死体安置所に運ばれることを知っていたから。
死んで、息を吹き返したあと、私はそこから脱走した。
捜して捜して、小さな辺境の町にたどり着いた私は、その魔法医を見つけた。
痛みと引き換えに能力を封印することにも成功した。
不死の力は魔力とは別に動いているようで、死んで生き返ることだけは変わらなかったけれど。
しばらくの間はアクセラレータの能力が脅威にならないのだと、心底安堵した。
振り返ればいつも死ぬことを考えていた。
私がとった軽率な行動のせいで、多くの人が死んだのは明らかだ。
それなのに、自分だけが生きている。
何度殺しても生き返るこの体が恨めしくて、声を上げずに泣いて祈った。
死なせて――。
それでも、神様は私を殺してはくれない。
ならばせめて。
この心を殺してしまえばいい。
「――エヴァ」
どれだけ時間が経っても生々しい記憶。
そこに意識を向けすぎていたみたいだ。
かけられた肉声に、顔をあげた。
夜の焚き火の向こうに、心配げな紺碧の瞳がふたつ。
「辛かったら、今無理に話さなくてもいいんだぞ? 疲れたろ?」
そう言ったルシファーが、薪をひとつ、焚き火の中に投げ込んだ。
彼は寒くないはずだ。だから、これは私のためだけに焚かれた火……。
暖かい。
「……大丈夫よ」
もう小一時間ほど、話し続けていた。
ぽつぽつと、ルシファーに会うまでの自分のことを。
「あんまり大丈夫そうに見えないから、言ってんだけどな」
思い出すのも苦しいことを、口に出すのはもっと苦しい。でも、どうしても吐き出してしまいたかった。
今まで、誰にも言えなかったことを。
嫌われてもいいから彼には聞いて欲しかった。懺悔のように。
「……平気よ。どこまで話したかしら……そう、それで……咎人の石を手に入れたあと、神殿からピゲール村へ向かう途中の、祭司の一向に見つかってしまったの」
「……リアムの村か」
「ええ、彼らはコングール山の魔物を封じるために来たのよ。私は捕らえられて、魔物が山から出られないようにする儀式のくさびとして使われることになったわ。その祭司の一存でね」
お母様ほどに力のある魔女なら、護りの壁だけで魔物を閉じ込められるのだろうけれど。
普通の人間は、神具や命を使わないとそこまでの壁を作れない。ちょうどよく姿を現した私は、儀式のくさびとしてはうってつけだったろう。
「洞窟で凍ってたのは、そういうわけか」
「ええ」
「それを、俺が起こしたってことか……」
そう言って黙り込んだルシファーの表情からは、何を考えているのか読み取れない。後悔しているのかしら。私を起こしたことを。
……当たり前よね。今の話を聞いたら私がどれだけ危険な存在か分かる。
「起こして良かった」なんて、絶対に思わないもの。それに、私と会わなかったらルシファーは死にかけることもなかったし、従魔の契約を結ぶこともなかった。
納得しつつも心は沈んだ。
これでルシファーも、私を「ひとりの人」としてでなく、深刻な驚異や、便利な兵器と見るようになるのかしら。
「あの洞窟に入ったときは、生きたまま死ねると思ったの……ずっと眠っていられるのじゃないかって……起きるつもりはなかったわ」
氷の中は、さみしくて悲しくて冷たくて、時折意識が浮上すれば永遠の牢獄にいるように感じた。
だから、本当に眠っていたかったわけじゃない。そうするしかなかっただけのこと。
でも「辛い」だなんて、私が口にする資格はないのよ。
平静を装って、続ける。
「これで分かったでしょう? 全部終わりにしたいの。私が生きていれば必ず利用しようとする人が出てくる。アクセラレータの力を知られれば、お母様の言うように恐ろしい戦争になるかもしれない」
「……戦争、か。仲悪いもんな、大国同士」
「分かったら、死ぬ方法を探すのを手伝って――」
「嫌だ」
間髪入れず答えたルシファーに、苛立った視線を向けた。
「話聞いてたの? 私がもし、ゴンドワナやローラシアどちらかに利用されれば、恐ろしい戦力になるのよ? それが戦争の引き金にでもなったら……」
「それでも、嫌だ。戦争でもなんでもはじめたいヤツは勝手にはじめりゃいい。俺には関係ない」
少しの迷いもなく言い切った彼は、自分の感情だけで話しているように見えた。
そんなのは幼い子どもの言うセリフだ。私がこの先どうすればいいかなんて、分かりきってるのに。
この人はよく分かっていないんだわ。私がどれだけ危険な存在か、どれだけたくさんの人を死なせた上で、今生きているのか――。
私がなにかを反論する前に、ルシファーは続けた。
「相手が誰だろうと、お前が行きたくないところに行かせる気もない。不死を無くす方法や、アクセラレータってやつを無くす方法なら探してもいい。でも、お前が死ぬための手伝いはしない」
「だって……そうしないと、あなただって従魔の契約が」
「そんなものは別に考えりゃいいだろ。とにかく。しないからな、絶対に」
協力する気がないことは分かった。でも、どうしてそんなことを言うのか分からない。
私が死ななければ、自分だって不本意な契約に縛られたまま成長出来ないのに……。
死なせたくない一心で、彼に不死を分け与えてしまった。
おかげで、同じように私を不死にした、あの時のお母様の気持ちが分かるなんて思ってもみなかった。
それはすごく身勝手な、優しくない理由で……
彼のためなんかじゃ、ない。
この人は、私を恨んだっていいのに――。
うつむいた私に「あのな、いいか」と、ルシファーが続けた。
「お前の母親や仲間が、お前を狭い世界に閉じ込めたり、能力を秘密にしてたのには理由があったんだろうけど、俺はそんなこと知らない。俺に分かるのは、エヴァが今こうして俺の前にいて良かったってことだけだ」
伝えられた内容に、呼吸が止まる思いがした。
いて良かった? どういう意味で……?
「俺はお前が村を出て、どこをどう歩いてきたとしても、会えて良かったんだ。だから、そんな風に自分ばっか責めて……死にたいとか、言うな」
なんで、この人はそんなことを言うんだろう。
「あ、おい、泣くな」
「……っ」
「あー……ええと、悪かったよ。だから、気持ちは分かるけどさ、そういう考え方はだな、前向きじゃないっつーか……全部が良い方向にいかないっつーか」
「……ルシファーのせいよ」
「は? 俺のせいがなんだって?」
そうだ、この人のせいだ。
あきらめたことを、もう一度思い出しそうになるのも。
遠ざけていたことに、手を伸ばしそうになるのも。
全部、優しいこの人のせいだ。
そんなのは、ダメなのに。
「どうして分かってくれないの……自分勝手なことばっか言って、馬鹿みたい。あなたって、言動のひとつひとつがおかしいわ。聞いてるこっちが恥ずかしくなる」
「え? そうか?」
「そうよ……まるで、小さい子どもみたいだわ」
「あー……うん、そっか。長寿薬の影響があるのかもな」
泣いたら卑怯だ。困らせてる。
そう思いつつも止まらなくなった涙を、ふいに温かい指がぬぐった。
「……ごめん。勝手なことばっか言って、悪かった」
いつの間にか側に来ていたルシファーが、となりに座る。
違う、謝ってなんか欲しくない。
本当はうれしいの。勝手に涙があふれるくらい、うれしいのよ。
「顔、冷たいな。寒いだろ」
のぞき込む目から視線をそらして「平気よ」と答える。
ルシファーは少し考えた素振りのあと「あ、分かった」と呟いた。
ふわりと、背中からお日様に包まれるような感覚があった。
日の光とは真逆の、闇色の翼。
その中に閉じ込められたことに気づく。
「これで少しはあったかいだろ」
少し……? 少しじゃない。すごく温かかった。
凍った心が、溶けていくくらいには。
「お前、疲れてるんだよ。少し寝ておけ」
引き寄せられた肩の手に、すべて預けて眠ってしまいたくなる。
そんなこと、私に許されるはずがないのに。
「……ルシファー」
「なんだ?」
「……なんでもない」
生きたいとは思えなくても。
少しだけ。ほんの少しの間だけ。
この人を従魔の契約から解放してあげられる、その時まで。
この温かさを感じることを、許して欲しい――。
長かったエピソード章、これにておしまいです。
おつきあいくださって本当、ありがとう……(꒪ཀ꒪)
次回、短い閑話を入れて2章スタートです。
しばらく流血沙汰はない……はず。




