061 エピソードエヴァ[14]過ち
from a viewpoint of ジュリア(お母様)
それぞれの魔女が受け持ちの仕事を終えた頃。
エヴァを送り返した家へ、皆よりも一足先に戻った。
だがそこにあの子の姿はなかった。
護符を展開して張った村の護りは強固だ。
並の魔女ではアリの通る穴ひとつ、つけられまい。
エヴァはいとも簡単にそれを無効化して出て行ったのだろう。
どれだけ強い魔力を持って閉じ込めたとしても、あの子には意味を持たないと分かっていた。
やろうと思えばいつでも出来たろう。それをしなかったのは、エヴァが自身ではなにもできないと信じて疑わなかったから。
そう思い込ませたまま、15歳まで育ててきた。
その結果が、これか――。
地面に折り重なった忠臣たちを、ひとりひとり確認して目を伏せた。
名を呼んで涙を流す資格など、自分にはないことを知っている。
あっけなさ過ぎた幕切れを、憐れんでしまうのも残酷だ。
それでも、彼女らが今日まで賢明に仕えてくれた意味はあったのだろうか。そう思わずにはいられない。
この場に神具がある可能性は低かった。予測することは出来たかもしれない。せめてここに集まることがなければ……そう考えを巡らすこと自体がひどく愚かしい。
歴史に「もしも」はない。
この最悪の結果を引き起こしたのは、彼女らが弱かったからでも、運が悪かったからでもない。
応報。そういうことなのだろう。
これは、役目を忘れかけた私の罪――。
第3の力を持つ娘。何度も殺してしまえばと考えた。
天秤の皿に載せてはいけない、分銅ひとつ。
無に還してしまえばいいと分かっていた。
だができなかった。
切り札として手元に置いておけばいい、その希少さもまた平衡を保つものとして意味がある。
そう言い訳じみた道理を並べて、なにを隠しておきたかったのか……。
「エヴァを……返しなさい」
無表情に告げたはずの声に、わずかな感情が交ざる。
この手に取り返せるのなら、誰であろうと八つ裂きにしよう。
天命などなくとも、「そうしたい」から――。
知らず自嘲の笑みがもれた。
(長く生きすぎたのかもしれない……)
本来の役割を忘れるほどには。
少なくとも、この15年間は孤独でなかった。
あの村に居着いたことで、集った仲間がいた。なによりエヴァがいた。
ほんのひととき、人としての夢を見られた。
結局は自分の孤独を癒やすためにエヴァを育て、多くを巻き込んだだけなのかもしれない。
あちらに行ったら、皆になんと謝ろう。
「お前が……頂点の魔女、か……?」
不死の魔女である前に、『護壁の魔女』である、頂点の魔女。
私は世の均衡を保つための存在だったはず。
「……いかにも」
「私を、殺すのか……?」
この小さな町の長は、怯えきった目でエヴァを抱えていた。
そう、人はこんな風に弱い。どうしようもなく。
「殺しはしない。お前にはまだやってもらうことがある」
「なんだと……?」
「エヴァを渡しなさい。手遅れになる」
抗えない強さでそう言えば、男はその場に白い体を横たえて後ずさった。
その腕から、ポタポタと鮮血が落ちる。肩まで衣服が裂けて、裂傷だらけだ。力なき者が神具を扱った代償だろう。
「……治療できるものがあるのなら、してくるといい。そのままでは運転もままならないだろう」
そう言ってやると、一瞬信じられないものを見る目で私を見たあと、「なぜ……」と呟いて屋敷の中に入っていった。
それを見送って、膝をついた。
「……エヴァ」
両の手に抱き上げた体はまだ温かい。
重要な臓器をえぐられた体はまもなく、心肺も止まることだろう。
「辛い思いをさせたかったわけではない……」
大切だった。世界の天秤を脅かす存在だったとしても、この子に生きて笑っていて欲しかった。
赤子だったエヴァを抱いたあの日、ただ幸せを願おうと思った。
この焼け野原に似た、あの名も知らぬ町で。
腕の中のこの子が私に笑いかけたとき。
ただ幸せを――この子を生かそうと思った。
頂点の魔女として生まれ、定めのままに人から距離をとって生きてきた私が、はじめて天に逆らった。
決して人が滅びぬように。
科学と魔法の均衡が崩れぬように。
不死を手に入れたときも、役目を果たすことだけを考えていたというのに。
そうして生きた長く終わりのない生に、嫌気がさしたのかもしれない。
「天に逆らおうとも、矛盾していようとも、もうかまわない」
私は迷いなく、自分の胸に爪を突き立てた。
肉をかき分けて、指先に固いものが触れる。
メリメリと音を立てて、自身と同化したそれを引きはがす。
血肉のかけらに混ざって手のひらに載ったのは、黒い、丸い玉。
くるみ大の玉を、エヴァの背中の傷口から体内へと押し込んだ。
「ひどいことをしていると、分かっている。それでも……生きて欲しい」
エヴァ、と呼びかけるとわずかに目が開いた。
口端から流れた血を指でぬぐい取って、頬をなでた。
可愛い、愛しい娘――。
「……お……かあ、さま……?」
「そうだよ、エヴァ」
「わ……たし……みんな……」
「しゃべらなくていい。私の声が聞こえるかい?」
エヴァは朦朧とした目で見上げると、うわごとのようになにか呟いた。
「かわいそうにエヴァ……」
意図せずして、そんな言葉がもれた。
「かわいそうに……お前に深く関わる者は皆死ぬだろう」
その夕焼け色の瞳を見ながら思った。
死ぬよりも辛いことが、この先にも待っているだろう。
だからこれは、私のエゴに他ならない。
「誰もお前をひとりの人としては見ない。そういう運命さ。だから、抗いなさい。ひとりでも生きていける力を、お前に渡そう」
「……?」
「目覚めたら、お前は『不死の魔女』だ」
「……?!」
「不死の実をお前に譲った……私ももう疲れたんだ……皆と眠りたい」
「おか、さ……?」
「エヴァ、覚えていておくれ。護りたかっただけなんだ。天秤じゃない、お前を護りたかった――。それだけは本当だ」
私にエヴァの存在を教えたあの魔女は、この結末を分かっていたのだろうか。
分かっていて、私にこの子を助けさせたのか。
「お、か……」
「定めに逆らった私を、神は許さないらしい。だが、後悔はしていない」
15年前、エヴァを拾って育ててきたことも。
均衡を保つためと大義名分を掲げて、この町を滅ぼしたことも。
愚かな私の所業を、それでも後悔などしない。
「お前は……母として何もできなかったばかりか、これからも辛い思いをさせるばかりの私を恨んでいい。だから、何を力にしても生きて、いつか……幸せと呼べるものを見つけるときが来るまで、決してあきらめないと……」
約束して欲しい、とは言えなかった。
「お……母様……」
「……少し眠りなさい。そして目覚めたら自分の足で立って、いきなさい。明けない夜はないのだから」
ふわりと目元に置いた手に、少しの魔力をこめる。
眠りの魔法が効いたエヴァが、すっと眠りにおちた。
白い頬に流れた涙をぬぐって、その体を抱いたまま立ち上がる。穴の空いた胸が痛んだ。
屋敷の敷地内へ入り、止まっていた魔道車の後部座席にエヴァを寝かせた。
「……運命に負けない力を、我が愛し子に」
白い手に口づけ、祈りの言葉を唱えて、ドアを閉めた。
屋敷へ入っていくと、町長が包帯を巻いた腕を抱えて部屋から出てくるところだった。
身構えたのを見て「警戒しなくていい」と話しかける。
「お前は神殿に行けば責任をとって殺されるだろう」
「なに……?」
「この焼けた町から逃れたいならば、神殿以外のところに行くがいい。魔道車が一台、まだ無事だ。後ろの座席にエヴァを乗せた。じきに目が覚めるだろう。連れて行ってやって欲しい」
「なんだと……? 一体何のつもりだ?! 私を殺し、エヴァを取り返しに来たんじゃないのか……?!」
「そうだね……本当なら、仲間を死に至らしめたお前ののどをかき切ってやりたい。だが……今さらだ。それに私はもう、あの子と一緒にいる資格がない。仲間とここで眠るよ。ルガースは町ごと墓標になる。お前はエヴァを連れて、早々にこの町から出なさい」
町長は信じられないといった顔で立っていた。「神殿が……私を殺すだと……?」と、呟くと頭を抱えた。
この男にエヴァを託すのは、生きている人間がこの男しかいないから。
そして、些細な魔力しか持たない人間風情が神具を手にし、適切なタイミングで使ったことは評価に値するから。
頭はおそらく悪くない。どうすれば自分にとって利があるか、分かることだろう。
「どこか次の町についたら、エヴァのことは捨てるといいさ……お前が持つには過ぎた力だ。連れて歩けばすぐに身を滅ぼすだろう」
「ま、魔女の指図など受けない! テトラ教はアルビノの個体を探している……エヴァを神殿に連れていけば、私の功績に……」
「なるわけがない。神具をもってしても町の壊滅を防げなかったんだ。お前は間違いなく、ルガース殲滅の責任を取らされるよ。お前がどのように動いていたか、何故ひとりだけ生き残ったのかなど関係ない。まさかそれが分からないとでも……?」
「……う、く、くそ……!」
「さあ、行きなさい。私が全てを燃やし尽くす前に――」
蒼白の男は少し逡巡したあと、走って横を通り過ぎていった。
すぐに、ボボボボ……というエンジン音が聞こえてくる。
屋敷の玄関をくぐれば、ちょうど魔道車が門を出て行くところだった。
あの腕でも隣町くらいまでは運転が可能だろう。
「エヴァ……」
一日に一度。それがたった一秒のことでも。
欠かさずにエヴァの幸せを祈ってきた。
神にではなく、あの子自身に。
魔道車の音が聞こえなくなるまで見送ったあと、ザナドゥーヤの魔女たちの元へ足を向けた。
あの子の人生は、今から始まるのだろう。
私にとってのすべては、これで終わる。
それなのに、凪いだ気持ちでいられない。
許されるのならば。
一度だけ、ザナドゥーヤの魔女たちの側で。
自分のために泣いてもいいだろうか――。




