060 エピソードエヴァ[13]ごめんね
ルガースの上空は立ち上る炎に照らされて、夜なのに明るかった。
町の境界で立ち尽くした私は、唇を噛んで火の粉の舞う空を見上げた。
「どうしてこんなことに……」
今必要なのは説明じゃなくて、この惨事を止めることだ。
分かっているのに、足を進めることをためらった。
私になにができるの……?
引き返す選択肢はない。でも、この状況を自分がなんとかできるだなんて到底思えなかった。
それでも心を奮い立たせた。行かなきゃ。
火のない箇所を見つけて町の中へ入ろうとしたら、見えない壁に押し返された。
「お母様の護り……?」
外からも、中からも出入りできないようになっている。
ひとりもこの町から出す気がないのだと悟って、恐ろしさに歯の根が震えた。
こんなこと、許されるわけがない。
お母様にどれだけ力があっても、町のみんながこんな目に遭っていいわけがない。
目を背けてしまいたかった。でも私が逃げるわけにはいかない。
もうなんとなく分かっていた。理屈ではなく感覚のどこかで。
消すことは出来る。そこにある壁を消すだけなら、私ひとりでもできる。
目を閉じて真剣に祈った。
お母様の護りは消えていい……ここを通して……!
さきほど村を出たときと同じだった。今度は町全体に張られた護りが、溶けるように消えていくのを感じた。
頂点の魔女が展開した護りの壁。それを消してしまえるのは、誰にでもできることじゃない。
なにもできないと思っていた自分の特殊性を、苦い思いで自覚する。
気配があった。
町の中心に、よく知った魔力のゆらぎがあった。あれは……ザナドゥーヤの魔女たちだ。
すでに走りすぎて痛む横腹を押さえて、また走った。
空気を吸い込んだのどまで焦げてしまいそうな、恐ろしい熱量が町の中に満ちていた。
「熱……っ!」
建物の焦げる臭い。肉の焦げる臭い。
人間だった黒い塊が、道の至る所に散らばるのを直視できない。
これは悪い夢だと自分を誤魔化し続けて走った。
「……おぇっ」
胃から上がってくる酸っぱさに、涙目になりながらも走った。
ライラは無事だろうか。この惨状を目の当たりにして、そう考えることすら愚かしい。
すべての状況が無事でいるわけがないと、物語っていた。
原型を留めない家々と、やけに見通しがよくなった大通り……
途中から自分がなにを探しているのか、見えなくなってくる。
大きい道筋だけはかろうじて分かった。広い道には炎もない。変わり果てた町の中をふらつきながら走って、歩いた。
町長さんのお屋敷が見えるところまで来て、点々と見える地面の上の、その影の多さに一瞬、足が止まる。
お屋敷は燃えていなかった。
ただ、その周囲におびただしい数の人間が重なり合って、倒れていた。
門の前に立つ人影が見える。
生きている人がいる。
「町長さん……!」
何度か話したことがある。ルガースの町長さんに間違いなかった。生きている。
走り寄ろうとその一帯に倒れている人たちの間を縫おうとして、ふたたび足を止めた。
「……え……?」
目の前に転がる、見慣れた髪色。
見慣れた服。
いつも側にいた彼女を、見間違えるわけがない。
「……カルラ?」
背筋と足首から、ざわりとした感情が這い上がる。
「カ、カルラ……? ああ……!」
道端に倒れた年老いた魔女に、膝をついてすがりついた。
触れた頬がまだ温かい。胸から流れる赤色が、品のいいベージュ色のシャツを染め上げていた。
すでに呼吸のない口元からも、血が流れ落ちている。
「嘘……嘘よ……なんで……? 目を開けて、嫌よカルラ……!」
祈ればなんとかなる……? でも、誰が回復魔法を使うの?
イルルも、すぐ目の前に倒れているのに――。
その瞬間、認識した光景に心がいびつな音を立てた。
「……うそ……」
そこに倒れているのは、鎧姿の男たちだけじゃなかった。
男たちと同じ数だけ倒れる……ザナドゥーヤの、魔女たち。
なにかが自分の中で、崩れた。
「っ……あ……あぁ…………!」
叫ぼうとしたのか、気を失いそうになったのか。
判別のつかない激情に体が浮いた気がした――。
いや、実際に浮かんでいた。
私を後ろから抱え上げた人を、振り返る。
「町長、さん……」
「エヴァ……残念だったな、私は死んでいないぞ」
意図するところが分からないセリフだった。
歪んだ異様な笑みをただ見返す。
「ルガースの住人を殺せて満足か? だが私はまだ生きている! 弱者と侮った、奢った魔女の末路がこれだ……!」
のどの奥に、固い石が詰まっているようだった。
憎しみの籠もった目に射すくめられて、声を、発することができない。
「町に散らばる魔女たちが集まるのを待っていた……ようやくまとめて始末できたというのに……よく見ろ! この町はもう終わりだ! お前たちも終わりだ……! 魔女どもめ、最後の最後まで抵抗しやがって……祭司様から預かった神官兵も、すべて死んだ……くそっ!」
「町長さ……」
「エヴァ、お前にはまだ利用価値がある……! お前さえ連れて行けば、魔女共がなにを隠しておきたかったのか色々分かるだろう。ゴンドワナの神殿はきっと私を歓迎してくれる……そうだ……まだ終わっていない……死んでたまるか……」
後半はうわごとのように呟くだけになった、町長さんの目が怖かった。
この状況を説明してほしいと願う自分と、分かりたくもないと涙を流す自分の、どちらが本当なのか。
腕を強く掴まれて、痛みに意識がはっきりしたところで気づいた。
こちらを見ている、女の子の存在に。
「……ライラ」
すぐそこに、立ち尽くすライラの姿があった。
生きていた。まだ、生きていた……!
「ライラ、無事で――」
「動くな! お前はここにいろ! どこにも行かせやしない……!」
掴まれた腕が、強く引き戻される。
「……エヴァ」
ぽつりと、表情のない顔でライラが言った。
「エヴァ、みんな死んだわ」
息を飲んで、冷えた声を聞いていた。
血の飛んだ頬に手をそえて、ライラは笑ったように見えた。
「……お父さんがね、逃げろって言ったの。町長の家まで走れって……最悪でしょう? あたし、お父さんを置いて逃げてきたの……」
「ライラ……」
なんと声をかければいいのか、その先を知らない。
みんな死んだ。
どうして、だなんて聞けなかった。
それを為したのが誰なのか、私はもう分かっている。
じゃあどうして、ザナドゥーヤのみんなは死んだの……?
この殺戮に、なんの意味があったの?
答えなんて、聞いてどうするのだろう、今さら――。
「今のあんたの顔見たら、少しだけ分かった気がする……」
手のひらが傷つきそうなほど、拳を握りしめたライラが言った。
「ライラ、私……」
「でも、それじゃ救われないわ」
「……町長さん、お願い、離して。ライラと、話をさせて……」
町長さんは苦い顔をしたけれど、ライラを見て腕を離してくれた。
私はゆっくり歩いて、ライラの前に立った。
「私……が、いけないの」
全部、きっと。
この町に来て、さらわれた私が悪い。
お母様やみんながルガースをこんなにしたのは、どう考えても私のせいだ。
私を、利用しようとする人が現れたから――。
(エヴァ、外の世界に出てはいけないよ)
お母様の言葉を思い出す。
私は……本当に、外に出ちゃいけなかったの……?
まさかこんなことになると思ってなかった。
ライラは私を見て、ゆるく首を振った。
「分かってる……きっと……あんたが悪いんじゃない。でも、あたし、あんたを許せない」
「……ごめん、なさい……ごめん……」
謝罪なんて。
なんて意味が無いんだろう。
それでもそれ以外の言葉を持っていない。
「エヴァ」
ライラが腕を伸ばして私を抱き寄せた。
小刻みに震えるその体に、罪悪感が湧き上がる。
「ライラ……ごめんね……」
許されるわけがない。
謝り続けるしかできない私の肩に、頭を乗せたままのライラがぽつりと言った。
「エヴァ、死んで……」
ぞくりとする声だった。
「あたしも、死ぬから」
もし正面から刃を向けられても、抵抗しなかっただろう。
彼女がそう思うのは、当然だと思えた。
それでも、背中に突き立った鋭い痛みに目を見開いた。
「ラ……イラ……?」
「ごめん、だってもう、生きていられない……」
肌をさらう熱風よりも強烈な熱さが、骨の間を通ってみしりと音を立てた。
痛みよりも、心そのものを引き裂かれた傷に思考が停止する。
ライラが自分を刺したという事実が、ショックで――。
「ライラ! お前なんてことを……そいつはまだ使えるのに……!」
町長さんが叫んで駆け寄るのが分かった。
強く体が引かれてライラから引きはがされる。
カラン、と地面に落ちたナイフを目で追って、ライラは数歩後ずさった。
「エヴァ、ごめんね……一緒に死んで」
ライラ、と呼んだはずなのに、声の代わりにもれたのは温かい飛沫だった。
赤い視界の向こう。
刃渡りの長いナイフを、白い手が拾い上げた瞬間。
雷が落ちた。
空に走った閃光ととともに、ライラの体がくの字に曲がるのを見ていた。
「きゃあああああぁっ!!!」
側にいる私を傷付けることなく、雷光はライラだけを貫いた。
「っライラ……!」
遠のきそうになった意識を無理矢理振り戻して、名を呼んだ。
崩れ落ちる体に、手が伸ばせない。
後ろから町長さんに抱えられながら、地面に倒れたライラを見ていた。
嫌だ。
こんなのは嫌だ……!!
「――その子を、離しなさい」
かけられた声が誰のものなのか、涙で視界がかすんでいても分かる。
声の主に謝りたかったし、詰りたかったし、説明して欲しかった。
でもそれ以上に今は、どうしようもなく自分が許せなかった。
(ライラ……!!)
動かなくなった彼女に駆け寄ることもできないまま。
背後に倒れるザナドゥーヤの魔女たちを振り返ることもできないまま。
意識を手放した。
ご愛読ありがとうございます。
推敲甘いので、誤字あったら「おい、違うよ」って誤字報告からいただけると幸いです<(__)>




