058 エピソードエヴァ[11]奪われた日常
from a viewpoint of ライラ
待ち合わせの時間になっても、エヴァは現れなかった。
1時間くらいそこで待っただろうか。あたしは首を傾げた。
約束を破るような子じゃない。なにか用事があって村に戻ったのかしら。
今日のエヴァはどこか変だった。
「今度会ったときに聞くかな……」
おなかも空いたし、ひとまず帰ろう。
あたしはあきらめて家に戻った。
それからもなんとなく待っていたけれど、エヴァは結局現れなかった。
その夜はいつもよりも星が綺麗だった。
あたしはもうすぐゴンドワナの神殿に行く。巫女としていっぱい働けば、家にお金をいれられる。あたしが行けなかった上の学校に弟は行かせてやれるだろう。
少し先の未来に期待を抱きながら、外を眺めていたときだった。
庭に見えた人影に首をひねった。
「……お父さん?」
もうすぐ9時になるのに。こんな時間からどこへ行くのだろう。
さては酒場かしら。お母さんに内緒で?
弟を寝室で寝かしつけているお母さんには告げずに、あとを追ってやろうと家を抜け出した。
お父さんは早足で迷いなく歩いて行く。あたしは少し後ろを気付かれないようについていく。
酒場の方向じゃない。着いたのは教会だった。
……こんな夜にお仕事のわけないよね?
お父さんは教会には入らず、教会の裏手に止まっていた魔道車に近付くと、二言三言運転席の人となにか言葉を交わした。そして後ろの座席に乗り込んだ。
車はゆっくり走り出すと、行ってしまった。
あの方向は町長さんの家だろうか。
ルガースでは見たことのない大型の魔道車だったから、もしかしたら神殿から来たのかもしれない。
「教会でなにか集まりでもあったのかしら……」
とりあえず、父は仕事のようだ。
酒場に遊びに行くわけではないと分かったならいいだろう。足を家に向けようとしたところで、ふと気づいた。
教会の前に、黒い長い服を着た女の人がふたり、立っていた。
ついさっきまでいなかったはずだ。どこから現れたんだろう。
にゃー、という猫の鳴き声にわずかだけ首を回す。
もう一度視線を戻したときには、そこに誰の姿もなかった。
(……?)
何故だか不気味な感じがした。
もう夜も遅い。早く帰ろう。自分に言い聞かせて帰り道を急いだ。
家にたどり着いたら、玄関が半分開いている。
「あれ……?」
ちゃんと閉めていったはずなのに。
うちなんかに泥棒が入るわけもないけれど……
キィ、と手をかけて玄関扉を開くと、なにか焦げ臭い気がした。顔をしかめて火元周りを見回ったけれど、特に何もないようだ。
「変ね……」
薄暗い家の中を見回した。
どうしてだろう。
その瞬間に、なんとも気持ち悪い寒気が広がった。
何かがいつもと違う。何が違うかは分からない。
でも、確かに何かが違う。
それはきっと勘のようなもの――。
「なに……?」
あたしは階段を早足で駆け上がった。
肌にぴたりと貼り付いた、原因不明の寒気が怖かった。
自分の部屋に行く前に、お母さんと弟が寝ている部屋をのぞいた。
お母さんも弟も寝ていた。
でも、寝ている場所がおかしかった。
「……お母さん?」
控え目にかけた声に、答えは返らない。
ふらりと部屋に入ると、ベッドの下――床で寝ているお母さんに近付いた。
「おかあさ……」
肩に手をやると、ぬるりと温かい感触があった。
声を失ったまま、ベッドの上にいる弟に視線を移す。
弟は目を閉じてよく眠っていた。その首元には黒い影が落ちていて。
影からは濃い鉄の臭いがした。
ぼんやりと、自分の手のひらを見つめた。
月明かりに照らされた赤い手を見たら、視界がぐにゃりと歪んだ。
もう確認するまでもなく、ベッドと床を染め上げる影は大量の血液だった。
なにが起こったのか分からなかった。分かりたくもなかった。
こんなことがあるわけない。
こんな――ふたりが、首を切られて死んでいるなんて――。
「や……やあああああああぁぁぁっ!!」
激情はのどからせりあがると、狂いそうな声になった。
さっきまで一緒だった。夕飯を食べて、お風呂に入って、おやすみを言って寝たはずだった。
お父さんを追って私が家を出た、ほんの30分程度の間に……なにが。
「……なん、で……?!」
なにがあったの? どうしてこんなことが?!
全身の震えが止まらなかった。
違う。
これは夢だ、現実のわけがない。
座り込んだまま後ずさった。背中に開けたままの扉が当たる。
ドアノブを掴んで立ち上がると「お父さん」と呼んだ。
家の中にお父さんはいない。
お父さんはどこに行ったんだっけ?
そうだ、さっき車に乗って行ってしまったんだった。
追わなきゃ。
真っ白な頭で、それだけ思った。
あふれてくる涙すら、まるで他人のもののようだ。
あまりのことに心がなにかを考えることを拒否していた。
階段を下りて玄関を開けると、走った。
お父さん……お父さんを捜さなきゃ。
カンカン……カンカン……
どこかで火事を知らせる鐘の音が鳴り響いている。
角を曲がって、風とともに襲いかかってきた熱量に足を止めた。
火の海、ってきっとこういうことを言うんだ。
広がった赤色を見て、ぼんやりと思った。
市場が、燃えている。端から端まで生きもののように炎がうねっていた。
たくさんの人が道にあふれていた。
泣き叫ぶ人、怒っている人、絶望に打ちひしがれる人……。
その真ん中に、白銀の毛並みが見えた。
一瞬エヴァを思い出したけれど、シルエットはまるで違う。
白銀の狼……大きな魔獣だった。
魔物が町の中に入り込んでいる。この火事は、この魔物が――?
周囲の人を手当たり次第噛み殺していく白銀の狼は、悪魔そのものに見えた。
怒りと恐怖が似すぎていて、ただ気持ちが悪い。
一瞬で変わってしまった世界を見ていたくなくて、あたしはそこからも逃げた。
「お父さん……お父さん……!」
魔道車が向かった方角。町長さんの家にたどり着くと辺りは嘘のように静かだった。
お屋敷の前に、先ほど見たのと同じ魔道車が止まっている。
やっぱりここにいた……!
門から飛び込んで呼び鈴を鳴らし、出て来た使用人のおじさんにお父さんを呼んで欲しいと頼んだ。
少しして、お父さんが屋敷の奥から姿を現した。
「ライラ? どうしてここに……!」
「お父さん……!」
飛びつくなり大声で泣き出した私を、お父さんは困惑してなだめた。
「落ち着きなさい。ひとりで来たのか? 何があった?」
「おか、お母さんたち、が……」
ためた毒を吐き出すように、私は先ほど見たことを話して聞かせた。
お父さんは蒼白の表情で「馬鹿な、まさかそんな……」と頭を抱えた。
「――だから言ったろう、あの娘に手を出すのは危険だと」
お父さんの背後から現れた人が言った。
ひどく顔色の悪い町長さんだった。
「あれほどの娘だ。人目に付かずどこかにかくまわれていたんだ……だとすればそれはおそらく、この近くのどこかにある、頂点の魔女の栖に違いない。私はその可能性を最初に伝えたじゃないか! それを、神殿に報告などするから……」
頂点の魔女。その話は聞いたことがあった。
ルガースの近くのどこかに住み着いた、恐ろしい魔女がいると。
「しかし……祭司殿らに知られてしまった状況では、もう仕方なかった!」
「仕方ない? 町のあちこちが攻撃を受けている。これで仕方なかっただと? お前の家族はあの娘に関わったから殺されたんだぞ?」
「そんな……妻と息子が何をしたと言うんです……?! 罪があるとすれば私だ、家族じゃない!」
「頂点の魔女と呼ばれる存在に人の情けなどない。自分のものを盗られたと、報復に走ると思っていた」
目の前で繰り広げられる、お父さんと町長さんの会話が遠くに聞こえる。
あの娘。
報復。
何で、お母さんたちが殺されたって……?
「お父さん、なんの話……?」
「ライラ、よく聞きなさい」
お父さんがぐっと私の両肩を掴んだ。
「お母さんたちは、おそらく……エヴァの身内にやられた」
伝えられた内容を理解しようとして、なんで? とだけ思った。
つながらない。つながるわけがない。
お父さんはエヴァの不思議な力が普通でないことや、あの白い体がどれだけ特殊なのかについても話してくれた。
けれど、うまく飲み込めない。
「あれも普通の魔女じゃない。エヴァはきっと何かを隠していて……目的は分からないが、私たちは利用されたんだろう」
「利用……? エヴァが? 嘘よ……そんなわけ」
「いつも勉強や働くばかりのお前が、友だちだと連れてきたからうれしくて……私も黙っていたんだ。あんな能力があるのなら、最初から神殿に報告していれば良かった。そうすれば……こんなことにはならなかったのかもしれない」
悲痛に歪んだお父さんの顔は、嘘を言ってるようには見えない。
「とにかく、エヴァは捕らえた。早朝に神殿へ運ぶことになっている」
「と、捕らえた……? エヴァを?」
「そうだ、あの子は危険だ。神殿に任せるほかない」
本当に、そうなんだろうか。
町長さんやお父さんの言うとおり、エヴァは何かを企んでいて私を利用した……?
(嘘だ)
そんなの信じない……!
「違うよ、エヴァじゃない! エヴァのせいなんかじゃ……絶対ない!」
「それなら自分で聞きなさい。私はこれから教会へ行く。お前も来て、直接聞くといい……」
エヴァは教会にいるという。
私は涙をぬぐってしっかりとうなずいた。
絶対に嘘だ。エヴァのせいでお母さんたちが死んだなんて、そんなの信じない。
そう、思っていたのに。
教会についたあたしたちを待っていたのは、どうしようもない現実だった。
「ひどい……みんな死んでいる」
お父さんの言葉に、立ち尽くしたまま、うなずくこともできなかった。
教会の敷地内にはいたるところに人が倒れていた。
中にはよく知った顔もあって、変わり果てた姿にお母さんと弟の影が重なる。
「エヴァは逃げたみたいだ……これで分かったろう、ライラ……」
この光景を目の当たりにして、嘘だとは言えなかった。
信じられなかった。信じたくなかったのに。
ルガースの町が悲鳴と炎に包まれているのは、目をそらしようのない事実――。
「これ……本当にエヴァのせいなの……? あたしたち、みんな殺されるの……?」
「いや」
お父さんは険しい顔でひとつ、首を振った。
「町長が前々から頼み込んでいた、魔女封じの神具が神殿から届いている。あれがあれば、あるいは――」
「魔女封じの、神具……」
「相手はルガースを滅ぼそうとする悪しき魔女だ。こちらも手段など選ばず戦わなくては。町長は神具を使って、町を襲っている魔女たちを押さえられると言っていた。私たちも戻ろう」
そう言って、お父さんは元来た道を戻りはじめた。
あたしも後を追った。
涙はもう、流れてこなかった。




