057 エピソードエヴァ[10]崩壊
お待たせしてすみません。
今回はちと長いです。
エヴァ、と誰かに呼ばれたような気がして、ハッと目が覚めた。
もちろん側には誰もいない。私はひとりだ。
車から出されて、もうかなりの時間が経った。
転がされた床は固くて、冷たくて。身じろぎするたびに、触れる冷たさに体が凍えた。
頭にかけられた布のせいで周囲のことが何も分からない。
ただ悪意があってこうされているということだけが、分かりきっている。
たまに気が遠のいては恐ろしさに目を覚まして。それをくり返しながら時間ばかりが過ぎていった。
誰かが部屋に入ってくる気配がした。緊張にさっと身が強ばる。
唐突に頭の布がはぎとられて、口の中に押し込まれていた詰めものが引き抜かれた。
息苦しさから解放されて、大きく息を吸い込む。天井の明かりがまぶしい。
目を細めて側にいる人を見上げた。
女の人がひとり、私を見下ろしていた。
「大丈夫? 乱暴なことをしてごめんなさいね……枷を外してもいいって、許可をもらったから……」
この人……知ってる。何度か顔を合わせたことがある、教会の巫女だ。
見知った顔とかけられた言葉に安堵して、力が抜けた。
「……ここは、どこ? どうして私……!」
「しっ、大きな声は出さないで。あなた、これから神殿に行くのよ」
巫女は人指し指を口元にあてて言った。
「神殿……? ここはルガースじゃないの?」
「まだルガースの教会よ。ゴンドワナの神殿には明日の朝、人が揃いしだい出発することになるわ」
意味が分からなかった。
何故私がそんなとこに行かなくちゃいけないんだろう。どうして無理矢理連れてこられた場所に、この人がいるんだろう。
「夕食を持ってきたの。おなか空いたでしょう?」
手足の拘束を解きながら、巫女は言った。
「……今、何時なの?」
「6時よ、もう夜になるわ」
一気に血の気が引いた。
村ではカルラたちが異変に気づいただろう。
「こ、ここから出して! 家に返して……!」
肩を掴んで訴えた。
巫女は首を横に振った。
「ごめんなさい、それはできないの」
「そんな、どうして……」
「あなたがいけないのよ、そんな完璧な見た目をしているから……」
「完……なに……?」
「アルビノはテトラ教にとって特別なの。神具と同等に尊い存在だから、隠しておきたいのですって」
何の話か分からなかった。
テトラ教の特別なんて知らない。アルビノ? なんだろうそれは。
「あなた、本当に何も知らなかったの? 姿を隠しもせずに歩き回って……今まで普通に過ごしていられたことがおかしいくらいだわ」
哀れむような目で巫女は続けた。
「祭司様たちのひとりが、先日あなたを見つけたのよ。それで神殿に報告が行って、迎えが来たの。もうどこにも逃げられない」
「迎えって……私はどこにも行かないわ。家に帰りたい、家に帰して」
「それは無理よ。あなたのことはもうみんなが知ってる。今さら帰るなんてできないの。ライラはあなたの友だちでしょう? あの子のためにもおとなしく従ったほうがいいわ」
「ライラ……?」
「あの子のお父さんが、あなたに関する報告義務をずっと怠ってきたのよ。自分の手で回収から護送までするってことで、処分が保留になったらしいけれど……彼を役から降ろしてライラの神殿入りも認めないって、かなりもめてるのよ」
なにか信じられない言葉を聞いた気がして、瞬きもせずに巫女の顔を見返した。
じゃあ、今朝ライラのお父さんの様子がおかしかったのは……?
自分の手で回収から護送って……まさか……。
「じゃあ、私をここに連れてきたのって……」
尋ねる言葉はそこで途切れた。
そんなこと、信じたくない。
「……ご家族にお別れを言わせてあげられなくて悪いけれど、あきらめて。神殿の決定は絶対なの。さ、とにかく少し食べて。トイレはあっちよ。水が飲みたいときはそこの水場を使って。私はまたあとで来るから」
「ま、待って。私、本当に帰らなきゃいけないのよ……きっとお母様やみんなが心配してるわ」
「ごめんなさい、私にはどうにもできないわ」
それだけ言うと、巫女は私の手を振り払って部屋を出て行ってしまった。
すぐに外から鍵がかけられる音がして、あたりが静まりかえる。
壁に掛かった時計は6時を過ぎていた。
ライラと約束した時間もとうに過ぎている。
彼女に悪いことをしてしまった。現れなかった私のことを、ずっと待っていただろうか。
「私がおとなしくしないと、ライラの神殿入りがなくなる……?」
今聞いた話の半分も理解出来ない状態で、置かれた現実に思いを巡らせる。
「分からないよ……」
私、どうしたらいいの? なんでこんなことに?
食欲なんて湧くわけがない。湯気をあげる食事には手をつけなかった。
窓から逃げられないかと考えたけれど、倉庫のようなここには、曇ったはめ殺しの窓しかない。
なすすべもなく、近くにあったソファーに沈み込んで膝を抱えた。
――時計の針は無情にもどんどん進んで、夜の9時を回った頃だった。
部屋の扉の向こうで、なにかガタガタッと音がした。
続いてかすかに聞こえた、人の悲鳴のようなもの。
恐ろしくなって、膝を抱きしめると縮こまった。
心細さに泣きたくなる。気がおかしくなりそうだ。こんなところにもう少しもいたくない。
部屋のすぐ外で人のうめき声がした。なにかが床に倒れる音が聞こえてくる。
誰かがここに来る。
そう思った瞬間、扉が開いた。
「……あ」
そこに立っていたのは、先ほどの巫女ではなく、私をここに連れてきた男たちでもなかった。
5番目の魔女と、6番目の魔女。
ザナドゥーヤの魔女たちだった。
「イルル! ファン!」
ふたりの名を呼んで、弾かれたように走り寄ると飛びついた。
「エヴァ、良かった……!」
「無事だったわね、怪我はない?」
抱きしめられて、安堵から声をあげて泣いた。
助かった、みんなのところへ帰れる。
さらわれた原因も何も分からないまま、それだけ思った。
「かわいそうに、怖い思いをしたのね。もう大丈夫、行きましょう」
どうして村から出たのかとか、今までなにをしてたのかとか、何も責められなかった。
ただ優しく肩を抱かれて部屋を出た。
廊下の光景が目に飛び込んできた瞬間、息を飲んだ。
床には、何人もの人が転がっていた。
先ほどの巫女も壁際に倒れている。首が妙な方を向いていて、半分開いた目には光がなかった。
「ひっ……!」
死んでる……?
生気が、魔力が感じ取れない。思わず足を止めた。
「エヴァ、見なくていいわ」
前に出たファンに視界を遮られて、背中を押されるままに廊下を歩いた。
……考えないほうがいい。考えちゃダメだ。
心臓がばくばく音を立てて、額には嫌な汗がにじみ出てきた。
「あ、あの人たち……死んじゃったの……?」
外に出るとき、やっとそれだけ尋ねた。
まさか彼女たちが殺したのだろうか――いや、そんなわけは……。
「エヴァは知らなくていい。さあ、帰りましょう」
ふたりとも、否定しなかった。それで余計にその先が聞けなかった。
教会の前の広場には、お母様の使い魔がいた。
不死鳥、と呼ばれる薄紅色の大きな魔鳥。
「乗りなさい、エヴァ」
その背中に押し上げられて、私はふたりを振り返った。
「でも、イルルたちは……」
「私たちはまだやることがあるの。エヴァは先に帰るのよ」
「でも」
「行きなさい」
その声で、お母様の使い魔は薄紅色の大翼を広げた。命を受けているのだろう。
飛び立ったと思ったら、一瞬ののちには空の上にいた。
吹き付ける夜風に髪をあおられながら、町の灯りを見下ろす。
ルガース……どこまでも私に優しかったはずのこの町が、どうして……
無意識にライラの家のほうを見た。
明るい。
確かにあれはライラの家があるあたりだ。
その明るさに、なぜだか寒気を覚えた。
違う。街灯の光じゃない。家の明かりでもない。
――燃えてるんだ。
たどり着いた答えに、愕然とする。
「……どうして……?!」
火事だ。見れば市場も、役所にも火の手が上がっていた。
通り過ぎる美しい時計塔だけが、いつものようにそびえている。
その側を飛んだ影には見覚えがあった。
ウェーブがかった夜色の長い髪が、月明かりに翻る。
「お母様……?」
なんでここに。そう思った直後。
闇夜にひときわ輝いた天からの雷が、時計塔に落ちた。
轟音が耳を裂き、広がる魔力の波紋がまたたく間に周囲を飲み込んでいく。
崩れ落ちる時計塔は、悪夢そのものに見えた。
肌をさらっていった魔力の持ち主を、私は知っている。
「どうして……お母様?!」
かすれた声で、遠ざかるルガースの町に叫んだ。
そんなわけない。こんなこと、あるわけない……!
不死鳥は私を乗せて、風の疾さでザナドゥーヤの村に帰り着いた。
バサリと大きな羽音を立てて降り立ったのは、自宅の屋敷の前。
「カルラ!」
家の中に飛び込んで、年老いた魔女の姿を捜す。
「お母様?!」
屋敷中を走り回って、誰もいないと分かると外に転がり出た。
冷や汗が止まらない。のどになにかつかえたように、息が苦しい。
「ダーラ! ベアトリクス! バルバラ! グレース!! 誰か……誰か返事をして!!」
村を駆け回った。一軒一軒家をのぞいて、それでも人影を見つけることはできない。
誰もいない。本当にひとりも、誰もいない。
みんな、どこへ行ったの――。
その答えは分かっていた。
そうだ、私はもう分かっている。認めたくないだけだ。
みんなは、ルガースの町にいる。
「なんのために……?」
理由は分からない。
でもおそらく、みんなは町を襲ってる。
原因は、きっと私だ――。
「止めなきゃ……!」
身につけていたはずのバッグはなかった。通行証はない。私は村を出られない。
村の境界まで走って行って、見えない壁に手をついた。
「通して! ここを通して!」
力任せに中空を叩いた。
「こんな……こんな壁……!」
消えろと、その瞬間確かに強く祈った。
「こんな護りなんて、なくなってしまえばいい……!」
ふっと目の前にあったはずの見えない壁が消えて、私は勢いよく地面に手をついた。
「……っ?」
振り返ると、境界があったはずの場所を越えていた。
後ろには、何もなかった。
耳に痛いほどの静寂だけが、辺りに満ちている。
「……護りが消えたの……?」
通行証がなくても通れた理由が分からない。
今、その原因を考えてる時間もなかった。
私は立ち上がると、町への道を全速力で駆け下りていった。
いつもご愛読感謝です。回顧編、あと5話くらいかな……?
更新遅くてもいいよ、という方はついてきてくださるとうれしいです<(_ _)>




