056 エピソードエヴァ[9]消えた私
児童館は町外れの林の中にある。
周囲を木に囲まれた一本道を、私はひとり町中に向かって歩いていた。
コートの襟の影から革紐をたどって、固いリングに触れると笑みがこぼれた。
誕生日のお祝いはみんなからたくさんもらったけれど、これはまた格別にうれしい。ライラの誕生日には何を贈ろう。
彼女と違ってナイフがうまく扱えない私は、こんなに器用なものは作れないけれど……
前のほうから鈍いボボボボ……という音が聞こえてきて顔をあげた。
魔道車だ。お金持ちしか持っていないってライラが言っていた。町長さんの乗っている車を見たことがあるけれど、少し形が違うみたい。
児童館に行くのかしら……なんの用事だろう。
道が狭かったので、端に寄ってやり過ごすことにした。
でも魔道車は通り過ぎる前に速度を落として、私のすぐ横で停止した。
「……?」
横開きの鉄の扉が、重たい音を立てて開いた。
見上げた先から伸びてきた大きな手が、私の肩口を掴む。抗いようのない力で引っ張られると、足が地面を離れた。
「……っ!」
悲鳴をあげる間もなく引きずり込まれて、勢いよく扉が閉まる。車はすぐに走り出した。
薄暗くて狭い車内に、外とうって変わったムッとした空気。見上げればツバのない帽子を深くかぶった、何人もの男たちがいた。
引きずり込まれたときにぶつけた左腕がずきずきと痛む。すぐにうつぶせに固いシートに押し付けられて、両肩に体重がかかった。
あまりのことに声すら出ない。
「捕らえました」
男のひとりが、手につけた金属の腕輪に向かって言った。
『ご苦労。そのままお連れするように』
腕輪から、くぐもった声が聞こえた。
「な……なんな、の……誰……?」
押さえつけられた力が強すぎて、声が震える。
「危害を加えるつもりはありません。我々は、人目につかずに回収せよとの命だけ受けております」
「回、収……」
淡々と語られる声。
めまいがする。
なに? なにが起こってるの?
「縛っておけ」
誰かが言った。
「いやっ……放して……! うっ」
口になにかを押し込まれて、息苦しさに体を反らせようとしたけれど、自由にならない。
ほんの数秒の間に手首と足首が固定されて、そこでやっと押さえられていた肩から圧迫がなくなった。
固いシートから、後ろの何もないスペースに移されて転がされる。
緊張と恐怖で速くなった、自分の鼓動が耳にまで聞こえてくる。涙がにじんだ。怖い。
頭から布のようなものをかぶせられて、なにも見えなくなった。
床から伝わる振動に、すごいスピードで走っていることだけが分かる。
どこへ連れて行かれるのか、どうして自分がこんな目にあっているのか。
全部分からないまま、息苦しさに目を閉じた。
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<from a viewpoint of ダーラ>
この村に来て8年あまりが経った。
特別に力のある魔女ではない私は、ただお母様のため、個を殺して生きることに喜びを感じる諜報係。
ザナドゥーヤに集まった魔女たちは、みんなお母様に拾われてここへ来た。
お母様。この世で唯一の、不死の魔女。
強大な護りの力を持った、頂点の魔女。
個のためには動かず、人という生きものを神の視点から眺めている彼女は、はるか昔から世界の均衡を見守ってきた。
そんな彼女がエヴァを「保護」してから15年が経つ。
大人に甘やかされて育ったからか多少わがままな部分もあるが、エヴァはいい子に育った。
あの子を見るときだけは、神の目ではなく、ひとりの母親の目になることを考えれば、お母様にとってもエヴァの存在は救いだったのだろう。
私は1週間に1度程度、この村へ戻ってくる。
お母様のところへ顔を出すといつも「外の話を聞かせて」と飛んでくるエヴァが、近頃は不在がちだ。
「ねえダーラ、このところ、エヴァがおかしいと思わない?」
持ち帰った情報を手渡すと、カルラはそんなことを尋ねてきた。
「おかしいって……どこが?」
「うまく言えないんだけど、たまにひとりで笑っているのよ。よく分からない言葉を覚えていたり、丸1日森で遊ぶ日が増えたわ」
「あの子の散策好きは今に始まったことじゃないでしょう。年頃なんだから、少しくらい変化があって当然だわ」
「それにしても、ねえ……森に行ってもなにか採ってくるわけでもないし。本人は鳥の巣を見に行ってるだけだって言うんだけど、それだけじゃない気がして。お母様は『ひとりでいたい時間が増えたんだろう。いいから放っておけ』と、そう仰るのよ」
「では放っておくといいわ。山一つ分とはいえ、ただでさえ狭い村の中よ。束縛しては息が詰まるでしょう」
カルラは納得しかねる顔でまだブツブツ言っていた。
私が変化に気づくくらいだ。幼い頃からエヴァの面倒を見ているカルラやお母様は、なおのことその変わりように疑問を持つのだろう。
だが、今のところ誰もその変化について説明する言葉を持っていなかった――。
その夜は自宅で過ごしていた。
穏やかな夜、のはずだった。
突然響いた忙しなく戸を叩く音に、私は玄関に出た。
「……エヴァが、帰ってこない?」
飛び込んできたカルラの言葉に顔をしかめた。
「もう7時近いじゃないか。森でなにかあったのかしら」
「分からないよ。いつだかエヴァに会ったところまで行ってみるから、ダーラも一緒に来てちょうだい」
二つ返事で了承すると、私たちは山道を急いだ。
他の魔女も捜してくれている。すぐに見つかるだろう。
そんな思いは10分後、崩れ去る。
「ブーツの跡だわ。大人から比べると少し小さいか……」
エヴァが鳥の巣に通い出した頃。出くわしたことがあるという場所から、さほど遠くない村の境界。明らかに外に向かって続く足跡が見てとれた。
「まさか。だってあの子が外に出られるわけが」
その予想を否定したいカルラが、青ざめた顔で呟く。
だが状況から見て、エヴァがここから外に出ていったのは間違いなかった。
エヴァは通行証を持たない。出られるわけがないと、皆が信じすぎていたんだ。
「どうやったかは分からないが、出る方法を得たのでしょう」
「あの子がひとりで?! 外には魔物がいるのに……!」
「落ち着きなさいカルラ、エヴァは今までも外に出ていたはず。なんらかの魔物除けを身につけていると考えていいわ。あの子の能力を考えれば、見習い祭司が作ったクズ札でも最強の護符になるのだから、魔物の心配はない」
「じゃあ、なんで帰ってこないんだい?!」
「それは……」
自分の予想が正しければ、魔物に遭遇するよりもまずいことになっているかもしれなかった。
あの子は自分の希少さや価値を全く理解していない。
外の世界で働きたがっていたことを思えば、このところは町に行っていた可能性が高かった。
(人と接触したのか……)
それは、あの子にとって、あってはならないことだった。
エヴァのあの姿を、能力を世に知られることは、ザナドゥーヤの魔女にとって禁忌だ。
「お母様に報告を」
カルラとともに飛んで帰ると、村にいるほとんどの魔女がお母様の元に集まっていた。
「――困ったことになったね。皆には嫌な仕事を頼まなければいけなくなった」
見てきたことを話すと、お母様はそれだけ言った。
その場の全員が「それがなんであれ厭わない」と決意のこもった目をしていた。
「エヴァを守るためなら」
「世界の均衡のために」
「お母様、エヴァはどこに」
口々に言う皆に、お母様はひとつうなずいた。
「おそらくルガースの教会が絡んでいる。さほど大きい町じゃないが、神殿との繋がりは濃い。早いところ芽を摘んだほうが良さそうだね」
「では」
「多くを生かすために……ルガースの犠牲はやむを得ないかもしれない。だがまずはエヴァを取り戻そう。ダーラ」
「はい」
「あの子のことがどこまで知られているか、町で確認を。ほんの一握りであれば犠牲は少なくて済む」
「心得ました」
「他の皆はエヴァの捜索だ。一刻も早く見つけ出しておくれ」
「「はい」」
私には私の仕事がある。
可及的速やかに、情報を把握するという仕事だ。
さっそく他の諜報係と時計塔の町に向かった私は、酒場を中心にエヴァらしき少女の話を集めた。
予想以上にエヴァのことは知れ渡っていて、白銀の髪と赤い瞳を持つ少女のことは、多くの人が知るところとなっていた。
また、その能力の一端についても……
エヴァは市場によく出入りしているようだった。町外れの児童館や、役所まで。
何も知らないだろうと思っていたあの子の行動範囲は、思いの外広かった。
とある家族と懇意にしているというところまでたどり着いて、そこが行動の中心だという情報を得たところで、もう十分だった。
「エヴァ、馬鹿なことを……」
アルビノの体を、大きな火種になるだろう能力を、誰であろうと知られてはいけないのに。
特にテトラ教の神殿とつながっている、このルガースをうろつくなんて。
あの子を知った人間を、誰であろうとお母様は生かしておかない。
苦い思いで、ルガースの町を後にした。
もう手遅れだと思いながら――。
日々頭が疲れているせいで、小説に回す思考回路が更にお粗末になってます……
眠くて文字が書けぬ……投稿ペース落ちてますが、命あってのなんとやらなのでご容赦を<(_ _)>




