053 エピソードエヴァ[6]従魔の契約
「エヴァ、これ読んでー」
3歳になるライラの弟が、絵本を片手にベンチによじ登ってくる。私とライラを追って、わざわざ庭まで出て来たらしい。
今は可愛くてほおずりしたくなるけれど、最初はどう対応していいか分からず困惑した。
すぐに怒るし、泣くし、扱いづらいのは変わらなくても、こうして自分より高い体温をひざに乗せているときは幸せな気持ちになる。
私にも弟がいたら、こんな感じだったんだろうか。
「最近じゃすっかり、私よりエヴァになついてるみたい」
横で口をとがらすライラに笑ってみせると、私は絵本を開いた。
そんなわけないことくらい、ライラもちゃんと分かってる。ライラの弟の一番はお母さんで、二番目はライラだ。
短い絵本を読み終わると、弟は満足して家の中に戻っていった。
「お父さんは? 出かけてるの?」
ふと気になって、今朝から姿の見えないライラの父について尋ねた。
「一昨日からゴンドワナに行ってるよ。お父さん、この町の連絡役だから。神殿の用事で定期的に報告会に行くんだ。私の就職も間近だし、やること色々あるみたい」
「ああ、そっか……誕生日、もうすぐだもんね」
「エヴァのほうが早いでしょう?」
「うん、あと5日後。ねえ、15になったら斡旋所に行ってお仕事もらえるかしら」
「もらえるはずだよ。誕生日過ぎたら行ってみようか」
「うん! 行く!」
私は間違いなく、今までの人生の中で一番満たされた時を過ごしていた。
それくらい毎日が楽しくて、ライラや町の人が好きで、このまま私も大人の仲間入りをするのだと思っていた。
その日の夕方、村に帰ると何やら人だかりの輪が出来ていた。
この村にはお母様と私以外に13人の魔女しかいないから、人だかりといっても町とは規模が違うけれど。
「まだ息があるのか」
「眠らせてあるだけだよ。殺すには惜しい希少種だったからね」
「ベアトリクス、お前使い魔を持ってないだろう? どうだい?」
話している内容が聞こえてくる。
私はみんなの後ろから顔を出して、輪の中心部分をのぞいた。
フサフサの毛並みが地面に横たわっていた。
白銀の毛皮をまとった銀狼だった。種類は分からないが魔獣の一種だろう。
大きい。頭なんて私の3個分くらいありそう。
「使い魔が特別に欲しいと思ったことはないのよ。自分の魔力を分けてやるのも面倒だし」
ベアトリクス――10番目の魔女が輪の中心から答えた。
「一流の魔女が使い魔も持たないなんて恥じゃないか。お前のためにわざわざ危険を冒して生け捕りにしてきたんだ。白銀は好きだろう?」
「……そうだね、エヴァの毛並みに似てるし」
そう言って、ベアトリクスはちらりと私を見た。
ど、どういう意味?
「決まりだね」
みんながさわさわと動いて、眠っている狼から少し距離を取った。
ベアトリクスは横たわった銀狼に近寄ると、膝をついた。
彼女は爪で、自分の左手の甲に一筋の線を引いた。赤い血玉が膨れて、一筋流れ出る。
それをペロリと舐めとって唇に乗せると、一抱えもある大きな頭を持ち上げた。
そのまま、濡れた鼻筋に口づける。
「な、なにしてるの?」
側にいたカルラのエプロンを引っ張って尋ねると、「従魔の契約さ」とだけ返ってきた。
白銀の獣から青い光が立ち上った。ベアトリクスの魔力の色だ。狼の体が青く染められて、自分以外の魔力に侵食されていくのが分かった。
「従魔の契約? これが……?」
「血の盟約だよ。血に乗せた魔力を吹き込んで、その身に刻むのさ。もうそれなしでは生きられないようにね」
カルラの使い魔であるニシキヘビが、そうだというようにその肩で首をもたげた。
「目覚めるよ、ベアトリクス」
「喰われないようにね、最初が肝心だ」
光が消えたあと、みんなが声をかける。
ベアトリクスが狼から離れると、白銀の毛並みがのそりと起き上がった。
ブルブルと体を震わせてから、周囲を一瞥する。グルル……と威嚇の声がもれた。
「わたしがお前の主だよ。匂いで分かる?」
ベアトリクスが声をかけると、狼は唸るのをやめて目を細めた。小柄なベアトリクスの身長ほどもある体高。なにかをうかがうような表情は、言葉を理解しているようだった。
「わたしを喰いたい? それとも……」
問いかけに狼はぱたりと尻尾を振った。
音も立てずに歩き出すと、ベアトリクスの目の前でぴたりと止まる。差し出された彼女の手を、少し考えてからペロリと舐めた。
「いい子だね」
ベアトリクスは大きな頭を抱えて、その目頭にキスを落とした。
白銀の獣はおとなしくされるがままになっていた。「フゥン」と小さく鳴いてうなだれる。
「うわぁ……」
彼女は今まさに、一生をともにする忠実な僕を得た。白銀の狼はたくましく、美しかった。
私には使役する使い魔はいない。だからその光景は余計にうらやましく思えた。
「いいなぁ……」
思わず本音がもれてしまう。
「いつかきっと、エヴァにも優れた使い魔が見つかるよ」
カルラがそう言ってくれたけれど、私は首を横に振った。
「ううん、私、使い魔はいらないわ」
「え? どうしてだい?」
動物は好きだ。この狼のような魔獣だったとしても、きっと可愛がると思う。
でも、魔女にとって使い魔は自分の手足として使役する道具だ。なんの力もない私に、一生付き従わなきゃいけないだなんて、ひどすぎるだろう。
「強い魔女の使い魔になるならいいだろうけれど、私なんかの使い魔になったらかわいそう。動物は好きだけれど、従魔の契約なんて無理よ。私はきっと一生、使い魔を持たないわ」
そう言うと、カルラはふふっと笑った。
「使い魔は魔女を助けて、不足を補ってくれるものだ。わたしはあんたにこそ、そういう存在が必要だと思うけどねぇ……例のヘキオロチョウは使い魔にする気はないのかい? 飛べる獣は使い勝手がいいよ。お母様のように」
「生きものを飼うのに使い勝手なんて考えたくないわ」
「何言ってるんだい。家畜を可愛がるのと同じだよ。じゃあ村の近くをたまに通る半獣たちはどうだい? 翼がなくとも手や足の使える半獣は悪くないよ。完全な獣よりは扱いづらいけどね」
「だから、私はいいって言ってるじゃない」
「そうかい? まあそのうちに気が変わるかもしれないし、そういうことにしておこうか」
「変わらないわ」
言い切った私を、カルラは愉快な目で見ていた。
変わるわけがない。出来そこないの魔女に使い魔なんておかしいもの。
だから私は使い魔はいらない。
ともに歩いてくれる存在に、憧れているだけでいいわ――。
とりあえず折り返し地点間近(嘘だろう?)。




