052 エピソードエヴァ[5]ダーラと祈り
屋敷に運び込まれてきたダーラはひどい状態で、どこが傷なのか、何にやられたのかも分からないくらい衰弱していた。
ぐっしょり濡れた上着が、流れた血液によるものなのだと気づいたときには「大丈夫?」と問いかけることすらためらわれて。抱えられた彼女の側に走り寄ることも出来なかった。
いつもの鋭く光る瞳に影が落ちていた。ダーラはお母様を前にすると「申し訳ありません」とだけ言って、意識を手放した。
死ぬ一歩手前なのだと、肌で感じとれてしまう。
「参りました!」
飛び込んできたのは回復魔法を使う5番目の魔女、イルルだった。
私が転んで怪我をしたときも、仲間の誰かが傷ついたときも、頼もしい彼女だ。もう大丈夫と胸をなで下ろす私の前で、イルルはダーラのそばにしゃがみ込む。すぐに温かな色がその手のひらからもれ出した。
血濡れの全身を包み込む光は、いつも通りあらゆる傷を癒やしてくれそうに見えるのに、イルルの顔は曇ったままだ。
「血の損失が多すぎてショックが……お母様」
イルルに見上げられたお母様は頷くと、私の背中を押した。
「エヴァ、ダーラのそばで祈りなさい。傷が癒えるように」
私は頷くと今度こそダーラに近寄った。そうだ、私も自分にできることをしなければ。
震える指で彼女の手を取った。
「ダーラ、しっかり……すぐによくなるわ」
言葉とともに、体を覆う温かな輝きは強くなった。
(大丈夫……!)
強く回復を願った。ぎゅっと握ったダーラの手と体から、さらなる光があふれ出す。聖なる癒やしの光は、大きく膨れると周囲の全てを包み込んだ。
一瞬の後に消え失せた光に眩んだ目を開けると、イルルが安堵したように肩の力を緩めるところだった。
ダーラは、穏やかな寝息を立てていた。
――祈れば叶う。
それは私が小さい頃から体現してきたことで。
どんなに無理だと思えるようなことも、祈ればいつも何とかなった。
だから私は、神様は本当にいるのだと信じていた。
みんなが「エヴァは神様に特別愛されている」と言っていたから。
こんなとき、本当にみんなが私を宝だと思っているような錯覚に陥る。
なにか畏敬の念がこもる空気が、自分に向かっているように感じてしまう。
私にはなんの力もないのに。
すごいのは神様なのに。
「エヴァ、ダーラはもう大丈夫。このまましばらく安静に」
お母様の言葉で我に返った。
良かった……ダーラ、良かった。
私も、ただ祈るより、みんなみたいな魔法が使えるようになりたい。
誰かを護って、助けられるような強い魔法が欲しい。
いつもそう思っていた。
ライラはそんな私の憧れだった。
運動が出来て、頭が良くて、子どもとは思えないほど優れた魔法を使える魔女で。
家は決して裕福ではなかったけれど、彼女は何にも負けない強い心で生きていた。
私とは全然違う。でも、彼女をねたましく思う気持ちは一切なくて、いつも強い彼女を見ていると私まで誇らしい気分になった。
これが私の親友よ、とみんなに自慢したくなるくらい。
顔の広いライラのおかげで、私も町の人たちと仲良くなっていった。
パン屋さんは配達を手伝うとパンをくれたし、生鮮市場のおじさんたちは見たこともない食材の味見をさせてくれた。
ライラが子守を手伝っているという、児童館の子どもたちの相手をしてへとへとになったり、近所のおばあちゃんの犬の散歩をしてあげたり。
物知りで有名な時計塔の守番のおじいさんは、町のことをなんでも教えてくれたし、教会の人たちはいつも親切だった。
ルガースの町で見て、聞いたことはすべてが輝いて見えて。
季節が本格的な冬に傾き始めた頃、私はすっかりこの町が好きになっていた。
「あらやだ、また止まっちゃったみたい」
2階から階段を下りてきた私とライラは、困ったように灰色の箱を叩くライラのお母さんを見た。
「なに? また壊れたの?」
ライラがのぞき込んだのは、魔道具の連絡用伝音機。
顔ほどもある重たそうな箱は、ルガースの町の様々なお店につながっている。
「魔力切れかと思ったら本気で故障したみたいだわ。もう古いからこの頃リフレッシュかけてもダメだったのよねぇ。買い換えるにしても伝音機は高いから……」
「あたしがやってみるよ」
ライラが灰色の箱に手をついて、魔力を流す。
伝音機は沈黙を返した。
「ホントだ、だめだね。反応ないわ」
「私もお父さんも昨日から何度も試したのよ。やっぱり完全に壊れたわね……」
後ろのほうで聞いていた私は、ふたりの側にいって「大丈夫じゃない?」と声をかけた。
ザナドゥーヤの村にも少しだけある科学国の利器と違って、この町で使われている道具類は魔力が動力だ。修理も魔力を流すだけで事足りるのなら、なんとでもなる。
「お祈りすれば使えるわよ、きっと」
「なに言ってんのよエヴァ。祈ってなんとかなるようなことじゃ――」
「もう1回、今のやってみて」
「リフレッシュ? 無駄だと思うけど……」
しぶしぶ置いたライラの手の上に、私も手を重ねた。
(大丈夫、動いて。まだ働けるでしょう?)
心の中でそう呟く。ライラが魔力を流したのが分かった。
チリン、と灰色の箱から音がした。
「えっ?」
「ほら、動いたでしょう?」
「あら本当! 動いてるわ……! うわぁ、ありがとう、急ぎ連絡したいところがあったのよ。これで出かけなくてすむわ」
ライラのお母さんは大喜びで伝音機をとって、どこかに連絡を取り始めた。
ライラは腑に落ちない顔をしていた。
家を出ると、不思議そうに尋ねてくる。
「どうして直ると思ったの? エヴァが何かしたの?」
「なにもしてないわ。ただ、直りますようにってお祈りするのよ。壊れたものを直すときはそれでなんとかなるでしょう?」
「そんな話聞いたことないよ」
「そうなの? うちの村では普通のことなんだけど……」
ふらふらと散歩しながら、いつもの市場の道を行く。
生鮮売り場からは活気のある声とともに、「あーっ」と喜ばしくないものに遭遇した声が聞こえてきた。
見れば顔なじみのおじさんたちが、焙煎機と思われる大型の魔道具を取り込んで騒いでいる。
「こんにちは、なにやってるの?」
ライラが声をかけるとおじさんたちは振り向いた。私を見つけて「あっ」「エヴァちゃん! ちょうど良かった!」とさらに騒ぎ出す。
「この間のあれ、頼めねえかなあ? 新入りが操作間違えたらまた調子悪くなっちまって」
「あのあと絶好調だったんだよ」
言われて思い当たったのは、2週間くらい前のこと。
ちょうどさっきのライラのお母さんみたいに道具が壊れて困っているところを、お祈りしてあげた。
「いいわよ。じゃあお祈りしましょ」
「助かるなぁ、なんか3回に1回くらいしか動かなくなっちまって仕事にならねえんだ……あ、あとこっちのやつも動きが遅いんだよ」
どうやら頼みたかったのはひとつじゃないみたいだ。油を差したり、リフレッシュをかけたり、再起動してみたり。
「俺のとこのも」「こっちのも頼む」と次から次へと持ってこられる大小の道具に目を丸くしながら、お祈りをしていく。
動かなくなったものは動くようになり、挙動がおかしかったものは前以上に動くようになった。
みんな喜んでお礼を言ってくれたけれど、実際のところ私がなにかしたわけじゃない。
それでも「ありがとう」と言われるのはくすぐったくて、心が温かくなった。
「ねえ、エヴァ」
おじさんたちが作業に戻ると、少し遠巻きにしていたライラが不思議そうに声をかけてきた。
「一体なにしたらあんなことが出来るの? 壊れかけの魔道具だけじゃなくて、ひどい二日酔いまで治せるなんて」
どさくさに紛れて「二日酔いの症状がなくなりますようにって、これにもお祈りしてくんねえかなあ?」と差し出された栄養ドリンクの話だ。
「二日酔いを治したのは私じゃなくて、栄養ドリンクでしょ?」
「栄養ドリンク飲んだからって、すぐに治るわけないじゃない。どんな魔法を使ってるの? すごいよ」
「言ったでしょ、私、魔法は使えないって。ただお祈りしてるだけよ。すごいのは私じゃなくて神様」
苦笑いで否定したけれど、ライラは引き下がらない。
「絶対神にいくら祈ったって、願いが叶ったことなんてないわ」
「うーん……テトラ教の神様のことは分からないけれど……」
「昔から全知全能の神と言えばテトラグラマトンでしょ。エヴァの食事のときの祈りもほとんど同じだから、エヴァの村の神様ってのも、絶対同じやつだって」
「そうなのかなぁ」
実のところ、私だって神様の姿を見たことがあるわけじゃない。
お母様たちに名前を尋ねたこともないし、私にとって神様はただの「神様」だ。
祈れば届くと信じているけれど、霧のような存在。
「エヴァはすごいね」
ライラはそう言ってくれたけれど、なんだか騙しているみたいで罪悪感を覚えた。
すごいのは、私の力なんかじゃない。
私には、なんの力もないのよ――。
これ、いつまで続くのかな? (゜∀゜ )<まだ結構続きます!




