051 エピソードエヴァ[4]ルガースの町
待ち合わせの大木から町までは、30分ほどでたどり着いた。
思っていたより近い。こんなにすぐ来れるのなら、もっと早く出てくれば良かった。
ライラのあとについて、魔物の侵入を防ぐという分厚いレンガの壁のすき間から町の中へ入り込む。本当は、あちこちにちゃんとした門があるらしい。
足元の道が固い。黒に近い灰色で、村のような石畳でもないのに固められている。歩きやすさが雨に濡れた地面と大違いだけれど、変な感じだ。
広い道の端々に小さい家がひしめき合っていた。赤い家、黄土色の家。ほとんどの家がレンガでできている。
煙突からはいい匂いが漂っていた。この通りにある2階建て以上の建物は、下の階がお店になっているみたい。
これが町なのね。ザナドゥーヤの村と全然違う。
生まれてはじめて見るものばかりだ。
あまりキョロキョロしていると怪しまれそう。そう思いながらも周囲を見回す首が止まらない。そんな私を見て、ライラは笑った。
「エヴァったら、口が開いてるよ」
「だ、だって、あそこに見える時計があんまり大きくて」
私は家の間から向こうの空に見える、とんがり屋根に大きな時計のついた円筒形の塔を指さした。
ライラは「ああ」と言った。
「時計塔よ。高いでしょ? この町のシンボルになってるんだ」
「ここは……なんて町なの?」
「それも知らないの? ルガースだよ。都心部からは離れてるけれど、ここも一応ゴンドワナ領なんだから。あれが有名なルガースの時計塔」
「ルガース……」
「ほら、そんなことよりもうすぐ家よ」
「うち?」
手を引かれて奥まった路地を行くと、建物の合間に開けた空間があった。
ここの地面は土で、中庭のようだ。井戸もある。真ん中に小さな2階建ての家が建っていた。やはり壁はレンガ造りで、薄赤の三角屋根が可愛らしい。
「ただいま~。友だち連れてきた~」
玄関をくぐったライラの、その一言にどきりとする。
友だち……そうか、私たち、友だちになったんだ。
じわじわこみあげるうれしさを、ひとり噛みしめた。
引っ張られて入った家の中。1階のほとんどを使っていそうな部屋には、真ん中に大きなテーブルが置かれていた。
そこに座った人が「おや」と言って、読んでいた紙面から顔をあげた。
「早くから山に行くというからなにかと思えば、友だちと遊んでいたのかい? こんにちは、よく来たね」
「こんにちは……」
帽子をとって挨拶したところで、短い茶の髪の人が目を見開いたのが分かった。
私は私で、その人に目が釘付けになった。
見た目はきっとお母様と同じくらいの歳。ごつごつした手と、角張った肩。それに低い声。
あまりにも驚いたせいで挨拶以上の言葉が出なかった。
(男の人だ……)
知識では知っている。でも、実際に見るのは初めてだ。
そうだ、ここは外の世界だもの。魔女の村じゃない。男の人くらいいるに決まっている。
町の中にもきっといたのだろうけれど、人と目を合わせないようにしていたから気づかなかった。
男の人は立ち上がって私の前まで歩いてくると、左手で胸の前に下げていたペンダントを握って目を閉じた。
「全知全能の神よ。今日の良き出会いを与えてくださいましたことを、感謝いたします」
唐突に告げられたセリフは、祈りの一種だろうか。
返す言葉に困った。
「お父さん、エヴァは多分信者じゃないのよ。グレザリオを持ってないし、教会もないような小さい村に住んでるんだって」
横からライラがそう言葉を挟む。
「ああ、そうなのか? しかしテトラ教の挨拶を知らないわけはないだろう」
「……知らないわ」
ぽつりと言うと、ふたりとも驚いたように私を見つめた。
弁解したくなるような視線にさらされて、私は「ごめんなさい」と続けた。
「あの、私本当に村から出たことなくて、外のこと何も知らなくて……」
「謝る必要なんてないわよ、あたしも神様がどうとかよく分からないし、宗教なんて個人の自由でしょ」
「ライラ、またお前は罰当たりなことを……」
「あら、本当のことよ。あたしは祈ればなんとかなると思ってるお父さんたちと違うもの。ね? エヴァ」
そういうライラの胸にも、銀色で星形のペンダントが揺れていた。
宗教。神様。テトラ教という言葉は聞いたことがある。
「テトラ教のことはよく知らないけれど……でも、祈る気持ちは分かるわ。神様は本当に困ったとき、いつだって助けてくれるから」
ライラは神様や祈りの力を信じてないのだろうか。私の答えをふーん、と興味なさそうに流した。
代わりに、彼女のお父さんが笑顔で答えてくれた。
「良い心がけだね。テトラ教のことについて知りたければいくらでも教えてあげるし、洗礼を受けたければ推薦してあげよう。ゆっくりしていくといい」
「あ、ありがとう……」
別にその宗教に入りたいわけではないけれど、一応お礼を言っておいた。
外の世界には、きっと知らない文化がたくさんあるんだ。私は、もっと色んなことを知らなくちゃいけない。
「しかし……驚いたなぁ」
「何? お父さん」
「ん? いやライラ、それは驚くだろう? ……きみ、名前は?」
「エヴァよ」
珍しいもののように見つめられて、なんだか居心地が悪かった。
「お父さん、気持ちは分かるけど、見過ぎだよ。あたしもはじめて見たときはびっくりしたけど、ちゃんと人間みたいだから大丈夫」
ふざけた口調でライラが言った。ちゃんと人間、てどういう意味だろう。
ライラは私を見てびっくりしたの? 着てるものもそれほど違わないと思うのだけれど。
ああ、この白い髪のせいかしら。白髪のおばあちゃんは別として、私みたいな髪色の人は町でも珍しいのかもしれない。
ライラに引っ張られて階段を上った。2階のさらに上。屋根裏の小さな部屋に入ると、ライラは三角窓の前にあるベッドに腰かけた。
呼ばれて私もとなりに腰かけると、窓の外に見える範囲の町を説明してくれた。
3階の高さだからか、かなり向こうのほうまで見えた。
「で、あそこの大きい四角い建物が町長の住む家ね。そういえば……エヴァはなんで町に来たかったの?」
ライラが思い出したように聞いてきた。
「働くためよ」
「働く? エヴァいくつなの?」
「14よ……もうすぐ15になるわ」
15歳は魔女にとって特別。成人の年だ。
「同じじゃない! あたしも次の誕生日で15だよ!」
「本当??」
「うん、あのね、あたし、15になって成人したらゴンドワナの神殿に行くんだ」
「ゴンドワナの神殿……は、よく分からないけど、もう勤め先が決まってるなんてすごいわね」
「テトラ教の巫女になるのよ。こう見えてあたし、結構魔法強いからね」
「そうなのね」
「それでいっぱい神様に奉仕して、お金を稼いで、家族を養うのよ」
「やだ、ライラったら。神様に奉仕するのはお金が目的なの?」
「当たり前じゃない。奉仕の精神と報酬はべつものよー」
私たちは顔を見合わせてくすくす笑った。
そのあと、ライラのお母さんが温かいお茶を運んできてくれた。お父さんと同じで優しそうな人だった。
しばらく部屋で雑談を楽しんだ後、「いつでも遊びにいらっしゃい」と笑顔の夫婦に送られて、またふたりで家を出た。
「働きたいなら仕事斡旋所に行けばいいんだけれど……14歳はまだ仕事がもらえないわよ」
町で仕事をするための方法をライラに説明されて、結局15歳にならないとお金をもらって仕事をするのは難しいということが分かった。
だから誕生日が来るまでの間は、町の中を案内してもらって色々なことを覚えることにした。
町の地理。お店の名前、役所の場所。町長さんの家、教会。
覚えることはたくさんあった。
途中、公園というところで長椅子に座って、私は持ってきたパンを、ライラは買ったパンを食べた。
たくさん歩いて、あっという間の時間が流れた。
「そろそろ帰らなきゃ……」
町の中心にある大時計を見上げて、私は言った。
「そうね、途中まで送ってくよ」
自分で帰れると言ったのに、なんとなく離れがたくておしゃべりしながら歩いていたら、結局大木のところまで送られてしまった。
別れ際、私たちは次の約束をした。
3日後、またここで朝同じ時間に会おうと。
そして、夢のような時間が終わった――。
村に帰り着いてからもずっとご機嫌でいる私を、カルラは不思議なものを見る目で眺めていた。
夕飯の席でお母様からも尋ねられた。「今日は一日どこへ行っていたの?」と。
「森でヘキオロチョウの巣を見つけたのよ。卵を温めてるの。見ていると面白いわ」
森に行っている理由は、そういうことにしておいた。
ヘキオロチョウは珍しい鳥で、卵を産んでから雛が巣立つまで3ヶ月もかかる鳥だ。少し前にその巣を見つけたのは本当だった。生きものが好きな私がそう話せば、誰も怪しまなかった。
だから、3日後の約束のときもその理由で朝から家を出た。
魔物除けにはお母様の護符を一枚持ち出して。
これが本当に魔物除けになるのかどうかは分からなくて、また危ない目にあうのじゃないかとビクビクしていたのもはじめのうちだけ。
最初の日以外で魔物に出会うことはなかった。
うまくいっていた。
私は数日に1回は町に行くようになっていた。
新しいものを見るのが、知るのが楽しくて、町はだんだんと自分の居場所になっていった。
そんなこんなであっという間に2ヶ月以上が経ち、村と町の行き帰りにもすっかり慣れた頃。
村に帰ってきたダーラが、大きな怪我を負っていると報せがきた。
今回、一番のボリューム(文字量)でした。
ちょっと切るとこ見当たらなくて……




