050 エピソードエヴァ[3]ライラと私
「町の子じゃないの? この山に村があるなんて聞いたことないけど……」
ライラ、と名乗った少女は、腰かけた岩の上で首をかしげた。
私は立ったまま、まだドキドキする心臓をなだめることに一生懸命だった。
本当に知らない人が目の前にいる。緊張するなという方が無理だ。
「あの……山のもうちょっと上のほうにあるんだけど、ちっちゃい村だから」
「へえ……」
ザナドゥーヤの村は隠れ里。
お母様が村の場所を秘密にしているのを知っていたから、詳しいことは話さずにおこうと思った。
「ところで、なんでここに登ってたの?」
ライラが大木を指さして言った。
「この木になってる実が、美味しそうだなあと思って……」
「ナウルの実はまだ時季じゃないでしょ。もっと黒くならないと食べられないわよ」
樹上になっている紫色の実と、私の染まった手を交互に見てライラは言った。
「え? そうなの?」
「酸っぱくても食べられないことはないけど……そんなことも知らないの?」
「む、村の周りでは見たことがなくて」
「あー、この辺じゃここと、あっちのふもとに2本あるだけだからね」
私たちは少しの間、そこで話をした。
ライラは登った木から見えた、ふもとの町に住んでいると言った。町からここまで採集にきたらしいけれど、ひとりで出歩けるなんてすごい。
私は魔法の類いが使えないと話すと、ライラは「嘘でしょ?」と目を丸くした。
「せめて魔物避けの札くらい持って歩きなさいよ……死にたいの?」
「私、村から出ることないから分からなくって。魔物除けの札って……?」
「これよ」
ライラは携帯していたウエストバッグを開けた。そこから一枚の白い札を取り出すと「はい」と私の手のひらに乗せた。
「それ持ってると、ほとんどの魔物が避けていってくれるのよ」
「へえ……便利ね」
「持って行っていいわよ。あたし、もう帰るところだったし」
「え? いいの?」
「持って行ってくれないと困るわよ。エヴァが村まで無事に戻れたかどうか、このあとずっと気にしてなきゃいけないなんてごめんだわ」
それは断れない理由だ。
私は素直に受け取ることにした。
「あ、ありがとう」
「どういたしまして。じゃあ気を付けて真っ直ぐ帰ってね」
「あ、ま、待って!」
腰を上げかけたライラを手で制した。
断られるのは覚悟の上。ここで言わなければきっと後悔する。
「私、町に行きたいの! 良かったら、一緒に連れて行ってくれない?」
「え、町に?」
「うん……」
「別にいいけど……」
拍子抜けなくらい、あっさり許可が出た。
今まで誰に言っても頷いてもらえなかったことなのに。
「でも、今日はじきに日が暮れるから、家の人が心配するんじゃない?」
傾いたお日様を見上げて、ライラが言った。おしゃべりに夢中になっている間に、大分時間が経っていたようだ。
確かに夕方までに戻らなかったら、村で大騒ぎになりそう。
「あたし、明日の朝またここに来るから。その時に連れて行ってあげようか?」
「本当?!」
「お安いご用よ。でもその魔物除けの札、効力があと少ししか持たないから、ちゃんと別のを持ってこないとダメよ」
「わ、分かったわ」
「じゃあ、明日の朝、そうね……9時でいい?」
「うん!」
次の日の約束をして別れたあと、私は真っ直ぐに来た道を戻った。
幸い迷うこともなく、ライラのくれた札のおかげなのか魔物に出会うこともなく、村に戻ることが出来た。
こっそりと何食わぬ顔で家に戻ろうと道を歩いていたら。
「エヴァ」
いきなり背後から声をかけられた。
「っはい!」
必要以上に大きな声が出た。振り向いたら、怪訝そうなカルラが山菜の入ったカゴを抱えて立っていた。
「こんな森の端で遊んでいたの? もう日が暮れるよ」
「う、うん、あちこちウロウロしてたのよ。もう帰るとこだから……あっ、それ貸して。私が持つわ」
ごまかすようにカルラの手からカゴを奪い取ると、私はなるべく視線を合わさないようにして帰り道を急いだ。
その日はいつも通り夕飯を食べて、お風呂に入って寝床についた。
村の外に出たことは、どうやら誰にも気づかれていない。
通行証が使えることも分かったし、町に行くアテもできた。
あとは魔物除けだけど……護符はお母様の部屋にいっぱいあるから、あれを1枚持って行けばいいかしら。
鼻歌を歌いたい気分だった。ワクワクして、寝付けない。
(明日は早起きするわよ……!)
無理矢理目をつぶって眠りについた。
寝ている間、なにかの夢を見た気がする。
幸せな幼い日の夢で、怖いことなんてなにもなかった頃の、ただ温かさだけが残る夢――。
翌朝は、本当に早く目が覚めた。
夜に通り雨があったのか、地面が濡れていた。これは丈が長めのブーツを履いていったほうが良さそうだ。髪はジャマにならないよう、一本の三つ編みにした。幅広の帽子もついでにかぶっておく。
仕事を探しに行くのだから、清潔な印象の服じゃなきゃいけない。アイボリーの襟付きシャツに、すそをしぼった草色のキュロット、薄手のコートを羽織った。
カルラに「森の散策に行ってくる。パンを持ったからお昼ご飯はいらないわ。夕方までには戻るから」と言い残して、家を出た。
村の境界まで来て、ショルダーバッグから通行証を出して、鳥かごの外に出た。
そこからは自然に足が速くなってしまう。
昨日と同じ場所、大木の下にライラの姿を見つけて、私は大きく手を振った。
「ライラ! おはよう!」
「エヴァ、おはよう」
お日様のような笑顔のライラのもとへ、一目散に走って行った。




