043 能力の変化
不死ってのは、空想上のものだ。
母さんも言っていた。不老長寿の妙薬でも死は免れない。
不死など存在しない。人はみな死ぬと。
俺もそう思っていた。それなのに――。
「俺が……不死?」
こくり、と頷いた白い頭をぼんやりと見ていた。
確かに俺はさっき死ぬところだった。それは間違いない。
ちょっと待て。じゃあ本当に死なない体になったのか?
それは、かなりすごいことなんじゃないか?
「ごめんなさい……」
うつむいたエヴァの謝罪を、どう解釈すればいいのか分からない。
「謝まらなくてもいいだろ? 助けてくれたんだし……不死だなんてすごいじゃねえか」
死に怯えなくてすむのなら、誰にとっても願ったりじゃないのか。
「……すごくなんて、ないわ」
答えるエヴァの表情は暗かった。
「死なせたくなかったからって、馬鹿なことしたって分かってる……」
馬鹿なこと、か。確かに人間を使い魔にするなんて、聞いたことない。
エヴァは一生を通して使役する使い魔が、俺で良かったのか?
いや、それよりなにより、化け物だの魔物だの今までに言われたことはあったが、俺って本当に半分魔獣だったのか?
……あらためて思うと、なんか凹むな。
俺がげんなりしているのを見て、エヴァは違うことを考えたらしい。
焦ったように口を開いた。
「あの、ルシファーを本当に従魔の契約で縛ろうなんて思ってないから、安心して! もともと使い魔を作る気もなかったし……あなたは今まで通り自由だから!」
「お、おう……」
それについては、不思議と嫌悪感を覚えていなかったりする。だって、俺を助けようと思っただけなんだろ?
話が唐突すぎて、すぐに「はいそうですか」とは頷けないが。
魔女の使い魔っていうと、俺にとっては家族が使役しているやつらのイメージしかない。
ばあちゃんの飛竜。
母さんの牙雷獣。
姉さんの化けガラス。
使い魔の仕事はもちろん、魔女に従うことだ。
主人を護り、命令を受けて動く従魔。
「不死の、使い魔……か」
あいつらと同じだと言われても正直ピンとこないが……まあ、命が助かったのなら細かいことはもういいんじゃないか。
命令に動くかどうかは別にしても、エヴァを護る気はあるんだから。
「私の前に不死の魔女だったお母様は、大きな魔鳥を使い魔にしていたの。不死鳥って呼ばれてた。大怪我をしても、翌日には元気で飛んでいたのを覚えてる」
「じゃあ俺も、その魔鳥と同じようになったってことなんだな」
「ごめんなさい。あなたをそんな風にしてしまって」
「だから謝るなよ。不死とか使い魔とかよく分かんねーけど、俺は別に悪いことをされたと思ってない」
「……そのうち、そう思うかもしれないわ」
夕方の風が一筋、通り過ぎていった。
エヴァからふわりと、いい匂いがした。嗅いだことのないような甘い香りだった。
……そう言えば、腹が減ったな。
「ルシファー、あともうひとつだけ、あなたに言っておかなきゃいけないことがあるの」
迷いながら、エヴァが言った。
「もうなに聞いても驚かねえけど……エヴァが俺に話したくなかったことって、不死のことなんだろ?」
「……違うわ」
これ以上、なにがあるっていうんだ。不死以上の秘密なんてないだろう。
大事な話の途中なのに、腹が減ったと気づいたら食事のことに意識が飛びそうになった。
そこでふと、大事なことを忘れているのに思い当たった。
「あっ……」
そう、とても大事なことを。
「エヴァ、帰ろう!」
「えっ?」
「リアムのところに戻らなきゃ。あいつ、怪我してるんだ……!」
俺は勢いよく立ち上がって、エヴァに手を差し出した。
「怪我してるって……リアムが?」
乗せられた手を引っ張って、横抱きに抱え上げる。
「ああ、結構な怪我してそうなんだ。飛ばすぞ、じっとしてろよ」
背に翼を広げたら、なんだかいつもと感じが違った。
違和感を確かめている時間はない。俺は地面を蹴った。
「え、ルシファー……」
「話はまた後だ。あいつ、あのままじゃ医者も呼べてないはずなんだ。急がないと」
なんだろう、体が軽い。
風を切る感覚が、なにか違う。魔女の使い魔になった影響なのか?
使い魔の強さは魔女に影響されることを思い出した。エヴァの魔力ってのは、もしかしたらばあちゃんや母さんみたいに強いのかもしれない。
「……ルシファー、あれ!」
飛び始めてまもなく、前方を指さしたエヴァが言った。
白黒の縞模様をした大きな固まりが、市場の外れにいるのが見えた。
猫型の魔物、アサンドラだ。
森や山に住んでいる魔獣で、オス1匹に対してメスが4~5匹いるコロニーを作る。
「でかいな」
成長したアサンドラはちょっとした車1台分くらいの大きさがある。あれはオスだろう。
「1匹だけじゃないわ。あっちにも……あそこにも」
見ればメスも周囲に散らばっていた。これだけ大型の魔物が農村に入っているのをはじめて見る。
何人かが武器を手に戦っているが、爪に薙ぎ払われて苦戦しているようだった。
「人が……ルシファー、助けてあげて!」
「俺が?」
この世は弱肉強食。食うか食われるかだ。
あそこにいるのは俺の友達じゃないし、自分たちのテリトリーで起こってることなら、自分たちで何とかするべきじゃ……
「早く! 殺されちゃう!!」
「あー、分かったよ……」
家で待っているリアムのことを考えると寄り道は避けたかったが、仕方ない。
俺は一番近くにいた1匹に目を留めた。魔法の届く範囲にまで、上空から接近する。
自分の中に冷たい魔力を練り上げると、目標を定めた。
「凍っちまえ」
白黒の毛皮の周りに、絶対零度の粒子が集束する。
不自然に動きを止めたアサンドラは、一瞬で氷の彫像に変化した。
思わず「あれ?」ともらした。
そんなに一気に凍らせようとした覚えはなかったんだが……
「ルシファー、あっちの大きいほうも止めて!」
「あ、ああ……」
なにかが変だ。
言うなれば、いつもの感覚でアクセルを踏むと、とんでもないスピードが出てしまうような。
そういえばさっき闇魔法を使ったときもそうだった。
うまく魔法が発動するかどうかも分からないような状況で、今までにない強い魔法が使えた。
これはやっぱり、エヴァの魔力が強いからなのか。
あれ? でもおかしいな。
あれはまだ、エヴァが従属の契約を使う前じゃなかったか?
次々と湧いてくる疑問を抱えたまま降下して、翼を消すと地面に降り立った。
近くにいた軽鎧姿の男たちが驚いて振り向く。視線を無視して近付くと、尋ねた。
「あの魔獣、全部で5匹で間違いないか?」
不審げな目を向けながら、男のひとりが答えた。
「そうだが……お前たち、今一体どこから……?」
「1匹倒したから、あと4匹だな。オッサン達、市場の護衛兵なのか?」
「我らは神殿の派遣兵だ。通報を受けて来たが……この村はいつからこんなに魔物が出るようになったんだ?」
「神殿の、派遣兵?」
「治安維持のため、ピゲール村は神殿の直接統治下に入った。だが、以前までは……」
「こっちにオスが来るぞー!!」
別の方向から叫んだ兵士のほうへ顔を向けると、男は「危ないから早く逃げなさい!」と走って行ってしまった。
「ルシファー」
「分かってる、エヴァは下がって隠れてろ」
先ほどの闇魔法といい、氷魔法といい、そこから俺が感じたことはひとつ。
急激すぎる魔力の上昇だ。
「試してみるか……」
魔獣としては中級の部類に入るアサンドラは、1対1なら負ける敵じゃない。
だが余裕の相手かと言われるとそうでもない。
俺は前方から駆けてくる白黒の塊を見ていた。
追ってくる兵士と、迎え撃つ兵士。どちらも魔獣の障害にはならない。
勢いを殺さないままの1匹が、俺の目前まで走り込んできて地面を蹴った。
頭上から襲いかかる巨体が、スローモーションに見えた。
どうしてかいつもよりも、すごくよく見える。
魔獣のどす黒い牙が迫ってくるのに、頭で考えるよりも体が反応するほうが早い。
横に軽く移動してアサンドラの着地点から脱すると。跳躍した。
瞬時に右手を変形させて、目標を定める。
太い白黒の首に、背後から横一文字の攻撃を加えた。
手応えがあった。
だが厚い毛皮と肉の先にある固い骨も、大した抵抗を感じなかった。
俺が地面に着地したのと同時に、でかい頭が胴体から離れる。
切断面から血を吹き出した巨体は、横に大きく倒れ込んだ。
思わず自分の手を見つめた。
やはりそうだ。物理的な身体能力も格段に上がっている。
到底辿り着けない高みに、階段を跳び越えて登りつめてしまったような、そんな感覚。
「全部、使い魔になった影響なのか……?」
原因はよく分からないが、カードゲームでいうところの『無敵』の気分だ。
なんでも出来そうな気がする。
兵士たちをかき分けて残る3匹をなんなく退治すると、俺はエヴァのところに戻った。
血なまぐさいところを見せてしまったことに不安がよぎったが、エヴァに俺を拒絶するような素振りはなかった。
「全部倒したぞ、行こう」
「うん」
エヴァを抱き上げて翼を広げたら、背後から呼び止める声が響いた。
「待て! お前達……何者だ?!」
神殿の派遣兵と言った兵士たちよりも、格の高そうな防具を身にまとった男がこちらへ走ってくる。
精悍な顔立ちだが、テトラ教の人間であることは間違いない。またエヴァを利用しようとする奴らに決まってる。
俺は今回のことで、テトラ教の人間がすっかり嫌いになっていた。
こいつらと話す理由はない。
無言を返して、そのまま飛び立った。
まだ下から何かを叫んでいたが、知るもんか。
エヴァの姿を見られた以上、早いところここを離れたほうがいい。
「ルシファー、あの人たちはどうしてここにいるのかしら」
「神殿の派遣兵って言ってたな。知らねーけど、どうせろくな奴らじゃねえよ。それよりリアムだ」
うん、と頷いたエヴァを抱えながら、俺は暗くなってきた空を急いだ。
長かったけど、ギリギリ4000文字以内を死守!




