040 後悔と死の足音
静かだった。
エヴァを抱えたまま、しばらくその場で放心していた。
それしかできなかったからだ。
死を受け入れられないなんてことが、自分の身に起きるなんて。想像すらしていなかった。
ふいに、リアムの心配そうな顔が浮かんだ。
そうだ……リアム。あいつのところに行ってやらなきゃ。
俺はエヴァの体を抱えて、立ち上がった。
銀の銃弾で打ち抜かれた左肩と、手のひらが痛むのを無視して、死体だらけの床を歩いた。
ザワードが持っていたのは、科学国のローラシアでは出くわしたことのない銃だった。
聖なる魔道具に弱い自覚はあったが、こんなに簡単にダメージを受けるとは思っていなかった。
最初から、完全に油断していたんだ。相手は弱いと、負けるわけがないと。
俺なら助けられると、おごったことがいけなかったのか。
友達を望んだことがいけなかったのか。
どこで間違ってしまったのか分からない。
しょせんこれが、俺に似合いの道なのか。
階段を登って、聖堂の中から外に出た。
夕方の光が、はじめてエヴァをあの洞穴から連れ出したときのことを思い出させた。
もう一度、あのときのように目覚めてくれないだろうか。
あの夕焼けのような瞳を、もう一度――。
「エヴァ……」
呼びかけに目が開くことはないと分かっていても、声をかけずにはいられなかった。今回のこれは、封印から目覚めたのとは違う。
死んだ人間が生き返るなんてことは、ない。
「俺さ……本当はこんな人殺しなんだ。お前や、リアムが嫌いな」
これはなんの懺悔なんだろう。もう、意味なんてないのに。
「こんな俺が……エヴァやリアムと一緒にいる資格なんてないのかもしれない。けど……」
今更、何を許してほしいと願ってるんだ、俺は。
「もし……もし、それでもいいって言ってもらえるなら……俺は、お前と一緒にいたかった」
すべてが、遅かった。
俺は馬鹿だ。
「護ってやれなくて、ごめん、エヴァ……」
温かい水が一筋、頬を伝った。
自分の目から流れたものだと認識する前に、エヴァの胸元に落ちた。
瞬間、パキン、と乾いた音が聞こえた。
「……?」
襟元を少し指先でずらしてみたら、あの赤い石が粉々に割れていて。
サラサラと溶けるように消えていくところだった。
「石が……」
エヴァが死んだから、消えたのだろうか。
その下からは、傷ひとつない肌が現れた。
「……傷になってなくて、良かったな」
およそ場違いなことを呟く自分が、馬鹿みたいだった。
苦い笑いがこみあげてくる。
「俺も、人のために泣けるのか……知らなかった」
涙の意味なんて知らない。
泣けるように出来ているとも思っていなかった。
体の奥からくる震えを鎮めたくて、エヴァの体をもう一度ギュッと抱きしめた。
あまり肉付きの良くない体が、ぴくりと震えた気がした。
思わず体を引いた。死んだあとの人間が、痙攣のような動きをすることがある。
それか、と思ったものの、別の可能性が頭をもたげた。
「……エヴァ?」
俺の心臓は、音が聞こえそうなほど早く脈打っていた。
呼びかけてから、本当に失望するまでのほんの数秒の間に。
奇跡を願わずにはいられなかった。
「……っ」
エヴァがわずかに唇を動かしたように見えた。
息を吸い込んだように見えた。
これは夢だろう。
手放しで喜ぶには死の瞬間を目の当たりにしすぎた。
それなのに。
エヴァから、今までに感じたことがないほどの魔力が湧き出てくるのを感じた。
生命活動がともなわなくては、あり得ない気配が。
「……生きて、るのか……?」
情けない声がもれた。
応えるように、うっすらと開いた茜色の瞳が、さまよった。
俺に焦点が合うと、エヴァは「ル……シファー……?」と呟いた。
あり得ない出来事だった。全神経はエヴァに集中していた。
それで、周囲にまったく無警戒だった。
「…………っ!!」
背中に衝撃が加わってから、はじめて標的になっていることに気がついた。
こんなに無防備になっていた自分が信じられない。
無様に倒れないようにひざをついて、エヴァを抱え直した。
首を回した先には、ひとりの男が立っていた。
俺が腹を蹴って、ここに転がしていった……リアムをなぶった男だった。
手にはザワードが持っていたのと同じ、魔道具の飛び道具が握られている。
そこからもう一度、こちらに向かって銀の銃弾が放たれるのが分かった。
いつもなら避けられた。
でも今はエヴァを抱えていて、俺自身ダメージがでかい。
避けるのは難しい。俺は即座に背に翼を広げた。
攻撃から覆い隠すように、自分とエヴァを黒い翼で包み込んだ。
「ぁ……っぐ!」
翼だけでは銃弾に対して満足な盾にならない。
歯を食いしばって耐えた。翼にも背にも数発喰らったのが分かった。
まずい。
「っルシファー?!」
はっきりと目を開けたエヴァを、力任せに抱き込んだ。
生きているのならなおさら、傷ひとつ、つけさせるわけにはいかない。
弾がなくなったのか、銃撃が止んだ。
脱力してエヴァをその場に下ろした。
何発喰らったのか分からないが、全身に激痛としびれが走る。いつの間にか、翼も具現化できずに消え失せていた。
「あれぇ……? 弾切れか……仕方ねえな……」
独り言のように呟くと、顔の浅黒い男は銃を地面に落とした。
代わりに、そばにあった短剣を拾い上げた。
ずるずると、足を引きずりながらこちらへやってくる。
「化け物が、まだ死んでないのか……? さっきはよぉ……よくも好き放題やってくれたよなぁ……随分とボロボロになったじゃねえか。今度は俺の番だよなぁ……?」
立ち上がろうとするまでもなく、動くのは無理だと悟った。
めまいがする。攻撃しようにも、魔法の軌道を定められない。
直接触れて、闇魔法をたたき込むしかないか。
でも、もう――。
俺はエヴァの体を押した。
「エヴァ、行け……逃げろ」
「っ嫌よ! 冗談じゃないわ! そんなに血だらけになって命令しないでよ!」
泣きそうな顔で叫んだエヴァを、信じられない気持ちで見つめた。
本当に生きてる。どうして――。
エヴァは立ち上がると、俺と男の間で両手を広げた。
「この人は、これ以上傷付けさせないわ……!」
「エヴァ……?!」
「ああ?」
揺れる視界の向こうに、男が歪んだ笑いを浮かべるのが見えた。
右手に握った短剣が大きく頭上にかかげられて――。
エヴァに向かって振り下ろされた瞬間、弾かれるように俺は立ち上がった。
最後の力を振り絞るつもりだったのに、なぜかすんなり体は動いて――エヴァを引き寄せて、向かってくる男の手首を掴んだ。
「……消えろ」
闇魔法を発動させた手のひらの向こうで、何かいつもと違う感覚がしたと思った瞬間。
男の全身が、黒に染まった。
「……え?」
一言も発することなく、男の体は崩れ去った。
着ていた服もろとも、ひとかけらの形も残さずに。ザアッと、風にあおられながら散っていく。
強すぎる闇魔法が、一瞬で男の体を灰に変えてしまった。
「……なん、だ……?」
自分のやったこととはいえ、唖然としてそれだけ呟いた。
エヴァが今のを見ていなかったらいいな、と。
抱えた腕の中を確認しようとして、視界がブレた。
あれ? と思う間もなく地面が近付いてくる。
「ルシファー!」
俺を支えようとしたのだろうが、支えきれなかった華奢な体が一緒に地面に倒れ込んだ。
半身を起こしたエヴァが、頭を抱え上げた。
「ルシファー……! あなた、死なないって言ったわよね……?!」
必死の目が、見下ろしてくる。
「頑丈だから、俺は死なないって……言ったじゃない!」
悲鳴のような訴えに、ああ、確かにそんなこと言ったな、とぼんやり思い出す。
同時に、自分の状態を冷静に見つめてみた。
体の中に、魔力の流れをせき止めるものが色々詰まっていた。
おそらくさっきの銀の銃弾だ。貫通せずに……臓器の色んなところで止まってる。
致命傷、という言葉が浮かんだ。
油断した俺が悪い……やり方も悪かった。だから、これは当然の結果なんだが。
素人相手にこんなに喰らって、ばあちゃんにも母さんにもなんて言われるか分かったもんじゃない。
耳鳴りに似た頭を揺さぶる音が、次第に意識を薄れさせていくのが分かった。
(ああ、これ……マジでダメなヤツだ)
多分、もう時間が残り少ない。
エヴァがなんで生き返ったのか分からないまま、立場逆転だ。
「エヴァ……」
茜色の瞳から涙がこぼれ落ちた。拭ってやりたかったのに、手が上がらない。
護ってやりたかった。
この先もずっと。もっと強くなって。
二度とあんな風に、目の前で殺されたりしないように、護ってやりたかった。
強くなれと言われて、その意味が分からずにここまで生きてきたが……
今、俺は自分自身の意思で強くなりたいと、はじめて思った。
次話はエヴァ視点でお届けします。




