038 闇の住人
カツン、カツンと冷たく響く金属の階段は、思いの外深く続いた。
外が明るいせいで、地下は洞穴のように薄暗い。
最後の一段を下りると、ほの明るいランプがひとつだけ灯る、銀色の扉の前に出た。
両開きの片方を押すと、鈍い音を立てて向こう側に開いた。
黒い床が足下からのびて、かなり奥まで続いている。広い。
がらんとした無機質な空間は、軍の施設を思い出させた。
木の箱や大型の動物を入れる金属の檻が、壁際にいくつも並んでいる。
それを一瞥してから周囲に視線を巡らした。14、16……20はいるか。
部屋の中に集まった男たちが、俺の動向を窺っていた。
「おい、こいつわざわざ降りてきやがったぞ。笑える」
ひとりが軽口をきくと、次々に声があがった。
「何しにきたんだー? お綺麗な顔の坊ちゃん、いやお嬢ちゃんかもな?」
「俺たちが可愛がってやろうか-?」
見た顔が混ざる男たちは、下卑た笑いでヤジを飛ばしてくる。
手にしているのは短剣が多い。槍や鉄の鈍器など、それぞれが武器をちらつかせていた。
子供ひとりに重装備でご苦労なことだ。
「エヴァはどこだ?」
俺の問いにさらなる笑いが巻き起こった。
「こいつ逃げられた彼女をお迎えに来たらしいぞ」
「おいチビ、しつこい男は嫌われるって知ってるか?」
いかつい長身の男が続けざまに「聞いてんのか、チビ」とあおってくる。
こいつの顔には見覚えがある。コングール山で俺を馬鹿にした男だ。
「……三度目だな」
変形を解いた右手に、冷えた魔力を練り上げた。
男の足下から吹き上がった冷気が、パキパキと音を立てながら駆け上がる。
凍てつく氷の魔法は腰までを一気に凍り付かせて、男の動きを封じた。
悲鳴をあげたそいつから、他の連中が慌てて遠ざかった。
「二度とチビって言えないようにしてやろうか」
「や、やめろっ!」
焦った顔にもう一度問いかけた。
「エヴァはどこだ?」
誰も答えなかった。
こいつらも上にいた奴ら同様、床に転がりたいらしい。
問答無用で全員始末するか、と考えたところで、奥にある壁が低い音を立てた。
ゆっくりと、扉が開く。
「……来るんじゃないかと思っていたよ、黒い翼を持つ少年――」
来訪は予想済みだと、そう告げる人物はもったいつけるように部屋の中へ歩み出てきた。
聴衆を前に説教していたときの、取り繕った表情は捨てたらしい。
黒い笑みを浮かべた祭司が、俺に向かって「ようこそ、私の仕事部屋へ」と言った。
「殺風景な仕事部屋だな。さしづめ、商品を箱詰めする作業場ってところか?」
「察しのいい子だ……そうだね、ここは大事な商品を保管しておく場所だよ。このところ品不足だったのだが、今日は極上の商品が入荷してね。私は機嫌がいい」
一足で飛び込んで殺すには距離がある。
教会の祭司なのだから戦闘の心得もあるだろう。少し様子をみるか……
「それで、半魔物の少年よ、今日はなにしに来たのかな?」
「誰が半魔物だ。エヴァを返してもらいにきたんだよ。死にたくなければ今すぐ連れてこい」
「まあそう殺気立つな……会わせてやらんとは言ってないだろう?」
祭司の後ろに開いた扉をくぐって、ふたりの男が現れた。
その男たちに両側から拘束されているのは、うつむいたまま表情を押し殺したひとりの少女。
着ていたのとは違う、黒く丈の長い服に白銀の髪が揺れた。
無事な姿を目にして、ホッとしたのと同時に怒りが湧き上がった。
この上なく不愉快だった。
こいつらの都合で長い間氷の中に閉じ込めておいて、目覚めればまたさらう。
次は、なにをさせる気なのか。
(リアムは教会が人狩りを、と言っていたな……)
極上の商品とはエヴァのことだろう。
人身売買は、テトラ教の信仰とも関係のない私利私欲の闇商売。
俺が滅するべき敵は、目の前にいる男で間違いないようだ。
顔をあげないエヴァに「大丈夫か、エヴァ」と声を投げた。
「……ルシファー?」
やっと俺に気づいたエヴァは、信じられないものを見た顔になった。
うろたえたように「なんで」と口の中で呟く。
「迎えに来たぞ」
「な、なんで来たの……?!」
冷たい倉庫のような、広すぎる部屋の中。
武器を手にした男たちを見回して、かたわらに立つ祭司の顔を見て、状況を理解したらしい。
エヴァは焦った顔で俺に視線を戻した。
「あっ……あなたどこまで馬鹿なの?! 今すぐ帰って! 私には関わらないでって言ったじゃない!!」
この状況で出てくる言葉がそれしかないことに、苦笑がもれた。
「嫌だね」
「なっ……」
「今すぐ帰るのも、関わらないのもお断りだ」
「なに言って……つ、つきまとわれるの迷惑なのよ! 顔も見たくないの! 帰って!!」
周りの男たちから笑いが巻き起こった。
フラれたな、とか、かわいそーとかいう声が聞こえてくるが無視だ。
「エヴァ、それ、言いたいことと違うだろ」
「……い、言いたいことなんて……」
「本当にこいつらといたいのか? 俺といたほうがマシだって言えばいいじゃねーか。我慢ばっかしてないで、言いたいこと言えよ。迎えに来たんだ」
エヴァは何か言おうとしたまま、下唇を噛んで目を細めた。
どっちが馬鹿だよ。この期に及んであきらめの悪い……
「俺も、言わないでおこうと思ってたこと、ちゃんと話すから、だから……お前も、教えて欲しい」
言いたくないことも、言えないと思うことも話して欲しい。
俺も、言うから。
まだ怖かった。でも――。
話さないと、伝わらない。
「俺ん家さ……家族ぐるみで……暗殺者なんだ」
ぽつりと、告げた。
「……え?」
「お前の嫌いな人殺しなんだ、俺」
「……なに言って、るの……?」
言われたことが分からない顔をしたエヴァから、視線をそらしたくなった。
理解した瞬間に、あの瞳が怯えの色に染まるのじゃないかと思うと……
覚悟が足りないのは、俺の方だ。
続ける言葉が出てこない。
エヴァがなにかを応える前に、大柄な祭司がその側に歩み寄った。
「君が暗殺者、ね……それは興味深い話だな」
「……外野は引っ込んでろ。俺はエヴァと話してんだ」
「ようするにこれは、あれだろう? 窮地にヒーローお出ましといったところだろう? 美しいね……そういうのは好きだよ。吐き気がするくらい大好きだ」
横から手を伸ばしてエヴァの頭をなでる祭司に、ざわりと黒い感情が揺れた。
「私はこの教会の主、ザワードだ。勇気ある少年よ、ひとつ聞きたい。お前は人間か? それとも別のなにかか?」
「お前の質問に答える気なんかない。さっさとエヴァを放せ。放さないなら……」
一呼吸置くと、続けた。
「皆殺しだ」
遠慮なく殺気を乗せた声に、その場の全員が黙り込んだ。
エヴァが息を飲んで俺を見ているのが分かった。
「ふふっ、愚かな……君がコングール山から帰ってきて、宝はなかったと嘘ぶいたときから薄々分かっていたよ。うまいこと手に入れたつもりだろうが、勘違いするな。白銀の巫女はもとよりテトラ教の至宝。お前のものなどではないわ」
「エヴァは俺のものでも、お前のものでもないだろ」
「白銀の巫女は神が遣わした宝だ。愚昧な非人風情が……わきまえろ」
ザワードとかいう祭司の口上に興味はなかった。
テトラ教の道理もこいつらの商売も、どうでもいい。
黙った俺に会話が通じていないと思ったのか、エヴァが続けた。
「……テトラ教は、特別な白い個体を探しているのよ」
「白い個体?」
「白いヘビ、白い鳥、対象はなんでもいいの……黒さを持たないアルビノであれば。神殿は常に儀式に使うための白い生きものを探してる。分かったら帰って。この人たちがいなくなっても、どうせ私は狙われるわ。平穏に暮らすなんてあり得ない」
「……それが、お前が俺を遠ざける理由か?」
「理由のひとつ……だわ」
ひとつってなんだ。他にもあるのか。
疑問を口にする前に、祭司が軽く手をあげた。
「付け足そう。特に人のアルビノは貴重なんだ。美しい白い肌に白い髪……私たちは彼女のような完璧な個体を『白銀の巫女』と呼んでいる」
「その話なら、村のじいさんから聞いた。だからどうした。俺には関係ない」
「そうだな、信者でない君にはどうでもいいことだった。すまない」
ザワードが言うなり、俺の足下から炎の渦が巻き起こった。
火の攻撃魔法だ。
「ルシファー!」
エヴァが叫ぶ前に、俺を飲み込もうとする炎へそれを上回る対極の氷魔法をぶつけた。
火への相殺魔法なら、嫌というほどばあちゃんにたたき込まれている。
この程度の火力、寝ていても消せる。
音を立てて蒸気があがる。
炎は体の周りで霧散した。
「俺を焼きたかったら、飛竜でも連れてこいよ」
鼻で笑うと、祭司は不気味に口端を上げた。
「予想通りだが、私より強い高度魔法を操るとは恐ろしい子どもだ……黒い翼と魔物の手を持つ美しい少年……高く売れそうじゃないか」
「売る? 俺を? 正気かよオッサン」
「もちろん正気だ。君が指一本まともに動かせないようにするのが先だがな」
ザワードの言葉に、エヴァを両側から拘束した男のひとりが腕を持ち上げた。
その手の中にあるものを見て、俺は小さく舌打ちした。
生きるって、大変なことですね。
(さ、マスク作ろう……)




