036 選べるわけがないじゃない#
from a viewpoint of エヴァ
震える手が肩に触れた。
怯えの気配は、ささくれ立った神経を余計に刺激してくる。
「ねえ」
声をかけると、びくっと手が引っ込んだ。
「服くらい着れるわ。触れるのが嫌なら……自分で着替えるから」
「い、いえ! とんでもございません!」
彼女は大きく首を横に振った。
ところどころ汚れている白い巫女服。20歳くらいかしら。
私を磨くように指示されて、この小さな脱衣所にいる。
お風呂で咎人の石に気づいたときから、彼女はオドオドするようになってしまった。
祭司や巫女なら、石の意味を知っている。神殿で洗礼を受けるときにこれを見せられて、罪を犯さないよう教えられるからだ。
一度その身にとりこめば、石が壊れるか死ぬまで、はがすことはできない。
弱い人間は生命維持が危うくなるまで魔力のレベルが落ちて、死に至ることもある。
「いいのよ。この石が怖いんでしょう? 大丈夫よ。触れても呪われたりしないから」
めったに目にすることのない魔力封じの道具を前にして、恐ろしい、触れたくないと思うのは当然だわ。
「そ、そんなことは……ただ、その、白銀の巫女様があまりにお綺麗なので、私などが触れてよいものなのか、恐れ多いのです」
嘘よ。
その証拠に、この人は胸元に埋め込まれた赤い石を見ようとしない。
別にかまわないわ。うとまれても、汚いと思われても。
私にはこれが必要だから。
「無理しないでいいわ、貸して」
「あ……」
どうせ着替えさせられるのだ。自分で着た方がいい。
私は真新しい黒いワンピースに袖を通した。シンプルだったシルエットが、より一層シンプルになって、喪服みたいだ。
テトラ教の人たちに黒い服を与えられるのは、はじめてだった。
少しの違和感を覚える。
「着替えたわよ。それで? 次はなんの生け贄になるのかしら」
「え? 生け贄とは……?」
返答に困る巫女は、事情を知らないらしい。
テトラ教にとって、私の価値はそういうことだ。禊をされたということは、次になにをさせるかが決まっているのかと思ったのだけど……
「知ったところで、仕方ないわね」
「え?」
「なんでもないわ。ごめんなさい」
いっそひと思いに殺してくれればいいものを。
それが叶わないことくらい、知っている。
しん、となった室内で、小さい窓の外に目をやった。
庭園の一部が見える。
リアムは大丈夫だったかしら……ひどく転んだように見えたけれど。
突き放すような冷たい態度をとったことに、心が痛んだ。
最後にあんな別れ方をすることになってしまって、恩を仇で返したようなものだ。
でもあんなに優しい人に、本当のことなんて言えるわけないじゃない。
私を助けようとするに決まってる。
ドンドン、と脱衣所のドアがノックされた。
巫女が開けると、先ほど私をここへ連れてきた、人相の悪い男が入ってきた。
「ザワード様がお呼びだ。ついてこい」
そう言う男について、脱衣所を出た。
教会の敷地は思いのほか広い。居住用なのか、この建物も村民の家から比べてかなり贅沢な作りに見えた。
廊下を進んでたどり着いた建物の奥。
大柄な50代くらいの男が、椅子に沈んだまま私を迎えた。
「ようこそ、白銀の巫女。我がテトラ教の宝よ」
大仰に手を広げた挨拶に、無言で応える。
「私はこの教会の祭司、ザワードだ。コングール山の洞穴の入口が分からなくなってしまってから、ずっと君を捜していたんだよ」
どうやら、昔なにがあったか知っている人らしい。
そして本気で私を神聖視しているわけじゃなさそうだ、とも思った。
テトラ教には敬虔な信者も多いけれど、こういう輩がいることも承知している。
『白銀の巫女』だなんて、しょせんは信仰心をあおるためのまやかしだ。
宗教上、そういう分かりやすいブランドが必要だというだけ。
儀式の触媒に使うのなら、白かろうが黒かろうが、理屈上はどうでも良いはず。
それを理解している信者が、真っ当な神経の持ち主かどうかは別として。
「まさか生きているとは思わなかったので驚いたよ。魔物封じの儀式にそんな力があるなんて聞いてなかったからね。どうやって氷結の封印を解いたのかな? 勝手に職務を放棄されたら困るじゃないか。おかげで村にちらほら魔物が出るようになって、忙しくなってしまったよ」
「……」
「やはりあの黒い翼を持つ少年が、君を出したのか?」
「……彼は関係ないわ」
「ふふふふ、関係ないのに一緒に行動しているのはなぜかな? あの少年は宝などなかったと言っていたが、まんまと手に入れていたというわけだ。本気で宝がなにか分からなかった訳はないだろうに」
不気味な笑いに寒気がする。
ルシファーは本当になにも知らない。関係ないで通したほうがいいだろう。
「彼は部外者だし、信者じゃないわ。テトラ教にとっての宝がなにかなんて知らないでしょう。そんなことより、60年近くも人を氷の中に閉じ込めておいて、次はなにをさせるつもりなの」
「ああ、それに関しては本当にご苦労様だったね。感謝してもしたりない。それどころかこうしてまた、私のために戻ってきてくれるなんて」
「あなたのためじゃない」
「いやいや、私がうれしいのだから私のためだよ。本当に捜していたんだ」
なんだろうこの男は。
私をあの洞穴に閉じ込めた男とよく似ているけれど、もっと年上でより気味が悪かった。
「なに、次の仕事で君のお役目は終わりになるだろう。安心してくれたまえ」
「……火山の噴火口から飛び込めとか、生きたまま魔物に食われろとか、そういう話かしら?」
「まさか。そんな野蛮なことを言うわけがない。私個人のためにもう一働きしてほしいだけだよ」
「私に利益がなさ過ぎるわね。お断りよ」
「ふふふふ」
選択肢などないのだろうけれど。
はいそうですか、というつもりもなければ抵抗する気もなかった。この先どうなろうと、どうでもいい。くさびになろうが、業火に焼かれようが。
私を殺せるものなら、そうするといい。
望むところよ。
(――お前、嘘下手すぎ)
ふいに脳裏によみがえったセリフに、唇が震えた。
(それは嘘だ。お前は泣いてた。だから俺は出してやりたいと思ったんだ)
ここにはいない人の、そう言った顔が思い出される。
やめて……なんで今更思い出すの?
私に選べるわけがないじゃない。
もし白い体じゃなかったとしても、それは変わらない。
(……私は、泣かないわ)
癒えない乾きを自覚したところで、どうにもならないのなら。
少しでも早く、この苦しみを終わらせる方法を見つけるだけ。
そう、早く、終わらせるだけなのよ――。
エヴァ視点をはさみましたが、次話は物騒な主人公にマイクを戻します。
しかしこのヒロイン、ツンツンした子だなぁ……




