035 誰もいない家
「エヴァ?」
土間にも、部屋にもエヴァはいなかった。
どさりとその場に米を下ろして、人の気配を探る。
いない。外だろうか。
不安が頭をもたげた。
まさか、という気持ちが俺を走らせた。
ヤギたちの小屋をのぞいて、裏の小川に回って、畑に出て目をこらした。
だが、エヴァはどこにもいなかった。
もう一度家の中に戻って、丁寧にたたまれたリアムの服が部屋の隅に置いてあるのを見つけた。それで、察した。
出て行ったんだ。
「黙って出て行くとか……ナシだろうが」
噛みしめた奥歯が、ギリと鳴った。
このままサヨナラかよ。ふざけんな――。
迷惑と言われた。関わるなとも言われた。だがそれはエヴァの本心じゃない。
だってあいつは泣いてた。
ここに来てからだって晴れた顔をしたことがない。
それだけで何とかしてやりたいと思う俺は、拒絶されて当然のうっとうしいヤツなのかもしれない。
(それでも)
放っておくなんてできない。
なにより、このまま会えなくなるのは嫌だ。
表に飛び出ると背に黒い翼を広げた。
空に舞い上がりながら、辺りに彼女の白い髪を捜した。
俺の目は遠くのものを視る力も、動体視力も人より数倍優れている。
いつ出て行ったのか、どっちへ向かったのか……
市場の方角とは別のほうに向かった気がして、そちらから捜索してみる。
あちこちに目をこらし、上空から見えにくい林は下りて道沿いに歩いた。
なんの手がかりもない中で、必死に彼女の姿を捜した。
「くそ……っ」
どっちへ行ったんだ? まるで分からない。
焦る心を抑えて家のほうへ飛んで戻ると、道の向こうに見慣れた赤茶の頭が見えた。
救いを見つけたような気持ちで、歩いてくる少年のもとに降下した。
「リアム!」
飛び降りざまに翼をたたみながら、エヴァのことを話そうと思った。
だがその姿を見て、続けるはずだった言葉は途切れた。
「リア……」
目を合わせた瞬間、糸が切れたかのようにリアムの体が横に揺らいだ。
一歩踏み込んで、横倒しになる前にすり切れた服の体を抱きとめた。
「リアム! おい、どうした?!」
「……ルシファー」
リアムの体から血の臭いがした。顔色も悪い。
泥だらけの服に、だらりとした左腕は力が入っていない。折れているように見えた。
「なにがあった?! 誰が――」
「ぼくより……エヴァが」
その一言に、ざわりとした何かが背中を撫でていった。
「エヴァが……なんだって?」
「教会に……連れてかれたんだ……彼女、売られちゃう」
「売られる?」
どういうことだ。目だけで尋ねると、リアムは悲痛な顔で首を横に振った。
「教会が人狩りをしてたんだ……エヴァが連れてこられてたのに会って……でもぼく、ちゃんと止められなかったんだ。ごめん……」
「人狩り? 教会って……あの祭司か」
「エヴァに謝らなきゃ……」
ぎゅっ、とリアムが俺の肩を掴んだ。
「ルシファー、エヴァを助けてやって……!」
少し赤くなった目が必死に見上げてくる。
「ルシファーは力があるし、強い魔法が使えるだろう? 毒蛇にも負けないし、戦えるんだよね……?」
「……ああ」
「エヴァを助けてあげて……ぼくじゃ無理なんだ」
肩を掴んだまま、ずるずるとその場に崩れ落ちそうになったリアムを「おい」ともう一度抱きとめる。
腕を背中に回して下から抱え上げた。
「とにかく手当てしようリアム、お前から血の臭いがする」
「っ……いいんだ、ぼくなら大丈夫。早く行って……教会の庭にいる巫女も……彼女も、逃がしてやって欲しい。あのままじゃ殺されちゃう」
「分かったから、人の心配より自分のこと考えろ」
家に入ると、ひとまず土間の小上がりに座らせた。
腹を押さえながら、リアムは「早く」と絞り出すような声で訴えた。
「エヴァを助けてあげて……お願いだよ、ルシファー」
「分かった。エヴァは俺が助けるから、でもお前の怪我の手当てが先だ。どこが痛む? 傷を見せろ」
「いいから行って! 手遅れになる前に……ルシファー、好きなんだろ? エヴァのこと……」
「好き?」
唐突なセリフに、本気の疑問を覚えた。
好きか嫌いかと聞かれれば答えは分かりきっているが、リアムが言っているのはそういう意味じゃないだろう。
俺は少し迷ってから、正直なところを口にした。
「よく分からないけど、俺はお前も好きだからな、リアム」
こんなに顔色の悪い友達を置いて行けと言われても、困る。
リアムは思いもよらないことを聞いたような顔をした。
そのあとで、じわりと力なく笑う。
「……はは、うれしいよ……じゃあさ、ぼくは君のこと、友達だと思ってもいいのかな……?」
「は? 当たり前だろ? お前は俺の友達第1号なんだぞ?」
「うん……そうか……ありがとう、ルシファー」
薙いだような表情に不安を覚えたのは、なぜなんだろう。
リアムは力のこもらない右手で、俺の肩を押した。
「エヴァのところに……行って。ぼくなら、大丈夫だから」
「でも」
「行って。あのままじゃ、なにされるか分からない……ぼくみたいに」
正面から視線を合わせた。
リアムの黒い瞳は、どこまでも澄んでいて綺麗だった。
「……分かった。お前をこんなにしたヤツは、俺が必ず始末してきてやるから」
「それ、なんか物騒だよ……ルシファー」
「物騒でもなんでもいい」
俺は小さい子にするように、くしゃりと赤茶の髪を撫でた。
「俺、帰ったら話したいことあるから、待ってろよリアム」
告白回でした(違う)。
お絵描きに逃げたい気分なので、らくがきするかな(仕事しろという話)。




