034 帰り道の昔語り
米と野菜を載せたリヤカーを引いて、俺はひとり農道を歩いていた。もうすぐリアムの家だ。
だらだら歩いていたらリアムが追いついてくるかと思ったが、結局合流することはなかった。
昼飯の時間はとうに過ぎている。エヴァが食べずに待っていたら悪いな、と思いつつも足取りは重かった。
前から歩いてくる人に、俺のほうが早く気づいた。先日のジャガイモを持ってきた老人だ。
呼び止めようとした瞬間、向こうも俺に気がついた。
「……あっ」
さっと方向転換されたので、リヤカーのハンドルを離してその前に走り出た。
「待ってくれよじいさん、聞きたいことがあるんだ」
「……!」
「この間、俺と一緒にいた子のこと、知ってるんだろ? そのことで……」
「し、知らん! たまたま似ているだけで、あの子が白銀の巫女のわけがない!」
最後まで言い終わらないうちに遮られた。
「よく分かんねーけど……その『白銀の巫女』ってなんなんだ? エヴァみたいに髪が白いやつのことなのか?」
老人は胸元に下げていたペンダントをギュッと握りしめた。
銀製のグレザリオだ。
「白銀の巫女は……テトラ教にとって大事な方だ。お前は……信者じゃないな?」
「うん、違う」
「それに余所者だ」
「まあ確かに、この村の人間じゃないけど……余所者だと聞いたらダメなことなのか?」
俺の顔をじろじろと見ていた老人は、小さく息を吐いた。
「……なにを知りたいんだ?」
「なんでエヴァを見て慌てたのか、白銀の巫女がなんなのか、知りたい」
逃げられないと思ったのか、老人は気乗りのしない顔でぽつぽつと話し出した。
「……わたしが子供の頃、この辺り一帯はまだ魔物が出ることが多くてな……村民が殺されることも度々あった」
俺は黙ってそれを聞いていた。
-*-*-*-*-
~老人の話~
昔から、ゴンドワナで売られる野菜の4分の1は、このピゲール村から出ていた。
魔物による村民や畑への被害が広まって、神殿が「放置しておけない」と解決に乗り出したのは、そういう食糧事情があったからだ。
ある日、ゴンドワナの神殿から若い祭司がひとりの少女を連れてやって来た。
彼女は『白銀の巫女』と呼ばれる高位の巫女で、コングール山の魔物を鎮めに神殿から派遣されてきたという。
わたしよりいくつか年上に見える巫女は、真っ白な髪に赤い目をしていた。
美しく整った、人形のように無表情な顔立ちの、無気力な少女だった。
あまりにもしゃべらないので、最初は口がきけないのではと思ったくらいだ。
こっそり近付いて「綺麗な目だね」と声をかけたら、振り向いてわたしとは話をしてくれた。
「巫女様って何が出来るの?」と尋ねたら、
「私に出来ることなんて何もないわ」と返された。
美しい少女は、それっきり黙ってしまった。
村民総出で歓迎したのち、巫女は山に入ると祭司が言った。
わたしは儀式に使う神像と供物を運ぶのを手伝って、大人たちと山に入った。
「巫女様、ここでなにをするの?」わたしが尋ねると、
「なにも。ただ、くさびになるのよ」とだけ答えた。
山の中腹にある大きな洞穴は、山の中心まで続いているらしい。この最奥部まで行く必要があると祭司は説明した。
洞穴の入口に神像を並べたわたしたちは、祭司たちを見送り、祈りながらその場で待った。
しばらくして、祭司とお付きの大人たちが帰ってきた。
しかしそこに、白銀の巫女の姿はなかった。
「すべてうまくいった。魔物は白銀の巫女様が鎮めてくださった。これから先、魔物が山から出てくることはない。村への被害はなくなるだろう」
祭司の言葉に、みんなが喜んだ。
わたしもうれしかった。これでもう、魔物に怯えながら暮らす必要はないのだと。
村に帰って祝宴が開かれた。
宴が終わりに近付いても、巫女は帰ってこなかった。
みんなが「白銀の巫女様はくさびになられたのだ」と言っていた。
大人たちはどうやって巫女様がくさびになったのかを話していた。
「祭司様が神殿から持参した魔封じの札を使うと、巫女様の足下から氷塊がこう、せり上がってきてな。あっという間にお体を持ち上げて、氷の柱の中に閉じ込めてしまった」
「あれは見事なくさびだった」
「巫女様のお力で、魔物はもう山から出られない」
その意味はよく分からなかったけれど、巫女は凍って死んでしまったのだということだけが、大人たちの話から分かった。
その後、若い祭司は魔物を鎮めた功績を称えられて、神殿が建てた教会の主になった。
それからは村の殆どが、テトラ教の信者になった。
この村が平和になったのは、白銀の巫女の犠牲があったからなのだ。
でも誰も、それを口にしない。
白銀の巫女のことは、ただの「宝」と言い換え、誰もが口にすることを避けた。
みんな、本心では人殺しの手伝いをしたことを言いたくなかったのだ。
知らなかったとはいえ、わたしも彼女を殺す手伝いをした。
長い時間が経って、忘れかけていたようなことだったのに――。
-*-*-*-*-
目の前の老人は「我々には、まだ罪の意識があるんだよ」と小さく呟いた。
「……それ、何年前の話なんだ? 今の祭司はそん時のヤツと違うのか?」
のどの奥に、得体の知れない不快感がつまっていた。
山の洞穴に、儀式のくさびとして入れられた、白銀の巫女。
それがエヴァなのか……?
「60年ほど昔の話じゃ。今の祭司様は前の祭司様の息子じゃ」
60年……嘘だろ?
「コングール山の宝って、その白銀の巫女のことなのか?」
「ああ……だが、あの洞穴も入口が分からなくなって大分経つ」
「白銀の巫女は、エヴァに……俺の連れに似ているのか?」
「もうわたしもよくは覚えていないが……記憶の限りではうりふたつだ。だから驚いて……いや、すまなかったな。そんなわけはないのに。最近、村に魔物が出たという話を何度か聞いたものだから、思い出してしまったのかもしれない」
老人はそう言うと、長いため息を吐いて「もう行くよ」と、肩をすぼめながら行ってしまった。
取り残された俺は、少なからずショックを受けていた。
60年もの長い間、人がそのままの姿で生きていられるわけがない。
魔物を山から出さないためのくさび? なんらかの魔法にかかって封印された状態だったのだろうか。
俺はそれを、解いてしまったのか。
(自分が、何をしたかも分からないくせに――)
はじめて出会ったときにエヴァが口にしたことを思い出した。
そういうことだったのか?
「だからって、謝らねえぞ、俺は……」
くさびだか封印だか知らないが、そんなものクソ食らえだ。
ひとりを犠牲にして、多くは幸せになろう的な考え方が間違っているとは言わない。
だが俺は、氷の柱からエヴァを出したことを後悔していない。
「60年だって? ふざけんな……」
話を聞いた今でも、俺は同じ事をするだろう。
いや、話を聞いた今のほうが余計に出してやりたいと思うに違いない。
(このことを、エヴァに話すべきか……)
卑怯かもしれないが、今聞いた話をぶつけてみたらどうだろう。
エヴァの悩みや迷いについて、聞き出せるかもしれない。
「いや、でも……それなら俺も話さなきゃダメだよな……」
俺は、エヴァと仲良くなりたい。
自分の心に壁を作っている彼女とは、まだ友達とは言えない気がする。
「先に、俺のこと話さなきゃな……」
お互い偽らない自分をさらけ出せたのなら、なにか変わるのかもしれない。
帰ったらエヴァとちゃんと話をしよう。
胸の宝石のことも聞いて、なにを話したくないのかお前の口から教えてくれと、もう一度頼んでみよう。
俺自身も言いたくないことがあると伝えて、嫌われてもいいから本当のことを話すんだ。
そうじゃないと、きっと仲良くはなれないから。
そう言えば、リアムもどこか様子が変だった……
別れ際に目を合わせなかった少年のことを思い出して、俺は苦い笑いを浮かべた。
「やっぱり、気味悪がられちまったかな……」
右手首の小さい傷に目を落とす。
クロカガシの毒はこの辺りに住む飛び蛇の中でもっとも強い。
生まれつき毒が効きにくく、後天的にも毒の耐性をつけられてきた俺にはなんてことないが、普通はそうじゃないだろう。
リアムにも、ちゃんと話したほうがいいのかもしれない。
だが俺がディスフォールの人間だと知ったら……人間は狩りの対象じゃないと思っているリアムに、本当は暗殺者なんだと話したら。
その反応は容易に想像出来る気がした。
生きものを殺すのは嫌いだと言っていたふたりに、できれば家業のことは話したくなかった。
知られればおしまいだという気持ちもあった。
でも、それじゃフェアじゃない。
友達って対等なものなんだろう? 俺ばかりが相手を知りたくてもダメだ。
そう思いながらも、まだ話すべきかを迷っている。
自分がこれほど臆病な人間だとは思わなかった。
手に入れた時間を、人を、失うのに身構えてしまう臆病さが俺の中にあったなんて。
苦い気持ちを抱えながらリアムの家に帰った。
納屋の裏にリヤカーを回して、米を担ぐと玄関に回る。
少し躊躇して、覚悟を決めてから木戸を引いた。
「ただいま」
土間に入って、そこにいるだろう人を捜した。
や、やっと更新できた……
と思ったら、じいさん話してる回でごめんなさい<(__)>
1章も終わりが見えてきたのですよ。あと10話くらい?(長えよ)




