033 これで精一杯なんだ#
from a viewpoint of リアム
振り返った視線の先。
白い巫女服の少女が地面にしゃがみ込んでいた。
あたりに散らばった布と、転がったカゴ。
顔の浅黒い男が振り下ろした金属の棒は、うつむいた少女の細い肩に叩きつけられた。
自分が殴られたような衝撃を覚えて、ぼくは息を詰まらせた。
少女は悲鳴を上げるとそのまま倒れ込んで動かなくなった。
突然の暴力を目の当たりにして、血の気が引く。
「申し訳ございません……申し訳ございません……!」
後ろにいたもうひとりの巫女が、倒れた巫女のすぐそばにひざをついて繰り返した。
顔の浅黒い男は恐ろしい形相でそれを見下ろすと、持っていた銀色の棒先を巫女の首筋に押し当てた。
「俺はな、すぐに用意しておけって言ったんだ。ザワード様になんて言う気だ? 女物の服一枚くらいすぐに用意出来るだろ?!」
「さ、裁縫の機械が壊れていて、手仕事なんです……あと半日ほどあれば仕立てられますので、どうか……」
「もういい。服なら市場にも売ってるんだ。結局俺の金から出すしかないなら、最初から買いに行ってりゃ良かったぜ」
忌々しそうに吐き捨てると、男は再び長い棒を振りかぶった。
数秒後に彼女がどうなるかは容易に想像がついた。
怖くなかったわけじゃない、ぼくになにができると言われたら、きっとなにもできない。
でも体は勝手に動いていた。
「ま、待って……! 待ってください!」
間に割り込んできたぼくを見て、男は「あ? 村はずれのガキじゃねえか」と腕を下ろした。
「なんでお前がここにいるんだ? 白い女だけって話だったはずだが……」
「? え、エヴァのことですか? ぼくは、ここには用があって来ました」
「そうか、じゃあ用が済んだらさっさと帰れよ」
ぼくを押しのけようとした手を避けたことで、男の顔色が変わった。
低い声で「おい」と呟く。
「なんか、余計なこと考えてねえだろうな?」
冷や汗が額を伝っていった。
「よ、余計なことかもしれませんけど……教会の敷地内でこんなことをしているって、ザワードさんに報告しますよ?!」
精一杯の脅しだったのに、男は少しのあと、くっと笑いをもらした。
「やってみろ。無駄だけどな」
無駄って、どういうことだろう。
まさか、教会全体でこんなことがまかり通ってるっていうのか……?
「あなたみたいに力のある人がそんなもので女性を叩いたら、し、死んじゃうじゃないですか」
食い下がるぼくに、男は興味なさそうに答えた。
「死んでもかまわねーんだ。こいつらは商品じゃねえし」
「商品……?」
「いいからそこどけ、今からでもおとなしく帰れば見逃してやる」
男はぼくの肩をどんと押した。
背後を振り返ったら、怯えた顔の巫女と目が合った。
彼女と面識はない。
でも、だからって……
「死んでもかまわないって、どういうことですか?」
このまま、立ち去れるわけがない。
「彼女は教会の巫女でしょう? 教会は彼女らを庇護する役目があるんじゃないですか?」
「質問が多いんだよ」
いきなり腹を蹴り上げられた。みしり、と音がした。
くの字にかがみ込んだぼくの脇腹を男は続けて二度蹴った。
あまりの痛さに声すら出なかった。脂汗がにじんだ額に、冷たい土がすれた。
腹を抱えたまま、ただうめく。
「っ……いや……」
背後の巫女が、悲痛な声をもらすのが聞こえた。
この男は彼女にもこれと同じことをする気なんだ。こんな、ひどいことを……
「に、逃げて……」
かろうじてそれだけ伝えると、彼女は震えながら首を横に振った。
どうして逃げないんだ、こんなことされたら本当に殺されちゃう。
「教会の持ち物に口を出すなよ、非人が」
非人はテトラ教の差別用語だ。信者でない人間を、そう呼ぶ。
ぼくだって教会が真っ当に正しいことだけをしているとは思っていない。それでも、これはひどすぎる――。
「お前も臓器だけなら売れるかもな、もう面倒だからザワード様に言ってこのまま商品に加えてもらうか……」
そのセリフに、思考が停止しかけた。
「そんな馬鹿な」と思う気持ちと「そうだったのか」と納得してしまう気持ちが、入り混じる。
臓器。商品。その言葉で分かってしまった。
それは、人狩りがやることだ。
「じゃあ……エヴァは……」
きっと、彼女も。
「エヴァを、さらってきた……の?」
男はぼくを見下ろしたまま、にやりと笑った。
「……アルビノって知ってるか? 俺たちにとって白い個体は特別なんだ。ましてやあの器量だ。あの女はとんでもない高値で売れるぜ」
予想通りの答えに、絶望にも似た気持ちが胸に広がる。悪い夢を見ているようだった。
でも、じゃあどうして、エヴァは自分から……
(ぼくが、かばうと思ったからだ)
この状態がまさにそうじゃないか。なにも出来ないぼくが抵抗したって、逆にやられるだけだ。
これを恐れたから、エヴァはあんな態度をとったんだ。
助けてとも言わずに行った彼女は、どんな顔をしていただろう?
――見ていなかった。
「……返して」
「あ?」
「エヴァを、返してよ……!」
謝らなきゃ、彼女に。
よく考えもしないで見捨てられた気持ちになった、ぼくは最悪だ。
「教会が人狩りだなんて、信じたくないけど……本当なら、許せない……!」
「許せないならなんだ? お前馬鹿なのか?」
男が横から薙ぎ払った金属の棒を、とっさに腕で受け止めた。
鈍い音がした。左の二の腕に激痛としびれが走る。
「う、うあ……!」
「折れたか? 馬鹿なガキだ」
そのとき、向こうの方から歩いてきた誰かが男を呼んだ。
「おーい、服が届いてないってザワード様がお怒りだぞー」
それを聞いた男は舌打ちして、そちらに向き直った。
「分かってるよ! 仕立てが間に合わねえっていうから、今買いに行こうと思ってたところだ!」
「今から? 何考えてんだ。早く行かないと首が飛ぶぞ」
痛みにめまいすらしたけれど、これはチャンスだ。
男たちが話している間に、ぼくはそろそろと後ろに下がった。熱を持つ腕と腹は見ないふりで、巫女の手をとった。
「あっ! てめえ!」
「走って!」
無理矢理彼女を引っ張って、走り出す。
側にあった物干し台をひっくり返して、追いかけようとした男の頭上から大判のシーツを降らせてやった。
男がひっくり返って叫んでいる間に、巫女の手を掴んだまま走った。
せめて彼女だけでも逃がしてやりたかった。
必死だった。痛みを堪えてどのくらい走っただろう。
市場の端に紛れ込んだことに気が付いた。人が多いここまでくれば、追いつかれてもあんなことは出来ないだろう。
ぼくはやっと、掴んでいた巫女の手を放した。
切れた息を整えながら、その場に座り込む。
「大、丈夫……?」
尋ねると、彼女はボロボロと涙をこぼしながら頭を下げた。
「あ、ありがとうございます……でも……」
「うん……もうひとりの子は、助けられなくてごめん……君のことも、ちゃんと逃がしてあげたいけど……ぼく、もう走れそうにないんだ……君はここからひとりで逃げて」
「でも」
「もっと安全な場所まで、連れていってあげられなくて……ごめんね。さあ、行って」
無理矢理笑顔を作ると、彼女は小さく頷いて走って行った。
……ちゃんと、逃げれるといいな。
「うっ……」
蹴られたみぞおちと脇腹、それに折れたかもしれない左腕が熱を持って痛い。
もう動きたくない……でも、ここに座っているわけにはいかない。
エヴァを助けなきゃ。
「ルシファー……」
彼ならエヴァを助け出せるだろうか。
力が強くて魔法が使えて。ひとりでイノシシを仕留めてこられるくらい、戦えるんだと思う。
ルシファーなら、なんとかしてくれるだろうか。
「……早く、知らせなきゃ……」
ふらりと立ち上がると、ぼくは家に向かって歩き出した。
┃人-。)……遅くなりました。
推敲が全然出来ていないので、変なところあったらお許しを。




