032 またひとりになるのかも#
from a viewpoint of リアム
今日はいつにも増して心臓に悪いことが多い。
そんな思いを抱えながら、ぼくとルシファーは市場にたどりついた。
ゴンドワナの都市部へ荷物を運ぶ便はまだ出ていなくて、なんとか商品を買い取ってもらえた。
今日の野菜は全部で7,650ルーグになった。
これだけまとまった収穫はもうないから、これが冬前の売り上げ最高額になるだろう。
ついでに買い物をしようと卸売市場に寄ったら、ぼくが買おうとしていた米の代金を、横からルシファーが払ってしまった。
「ルシファー、そんなことしなくていいよ」
断ってぼくが出そうとしたら、札を掴んでいた手を押し返された。
「なに言ってんだよ、俺居候なんだぞ。これくらい買わせろ」
「でも、この間獲ってきてくれたイノシシも売れて助かったし、本当に気にしないでいいよ」
「大した額じゃない。お前こそ気にすんなよ。俺がそうしたいんだ」
強引な彼は買った米を両方の肩に担ぎ上げると、さっさとリヤカーに持って行ってしまった。
5,000ルーグは、大した額だと思う。
彼の気持ちはうれしいはずなのに、ぼくの心はまた少しざわりと揺れた。
お金の重みが、違うんだ。
それだけで対等でない気がしてくるなんて、思ってもみなかった。
なにも卑屈になることなんかないのに。自分の心の狭さが嫌になる。
「他に買い物ないのか?」
「うん……今日はもうないよ」
その時、ぼくたちの横を荷を積んだ魔道車が通りすぎていった。
都心部に向けた輸送車だ。灰色の大きな車体が砂を巻き上げ走っていく。
それを見送ったルシファーが、ぽつりと言った。
「俺さ、そろそろ1回ゴンドワナに戻ろうかと思ってるんだ」
「えっ?」
「あ、いや……だから、一度家に戻ろうかなー、と思ってて……」
弁解するような口ぶりのルシファーに「ああ、やっぱり」という気持ちが生まれた。
貧家の暮らしに飽きたのかもしれない。灯りも満足にないような農家なんかに何日もいたら、帰りたくなるのも当然だろう。
「……そうだよね。家族が心配してるよ。戻ったほうがいいよ」
「うん、まあそうだな」
「ちゃんと家族がいるんだから、帰らなきゃ……」
「リアム?」
ルシファーが家族のもとに戻るのは当たり前のことなのに。
自分でも「早く帰ったほうがいいよ」って再三言ってたくせに。
見捨てられたような気分になってしまうのは、ぼくが彼に比べてなにも持っていなさすぎるからなのか。
「ごめん、ルシファー。先に帰っててくれる? ぼく、寄るところをひとつ思い出した」
そう言うと、ルシファーはぼくの体の横に視線を落とした。
知らず力が入ってしまっていた、握りしめた拳に。
「じゃあ、俺も一緒に……」
「いや、ひとりで大丈夫。エヴァも心配だし、先に戻って」
「……分かった。荷物は、持って帰っていいか?」
「うん、頼める?」
「ああ」
本当に用事はあったけれど、本音を言うと少しだけひとりで頭を冷やしたかった。
「じゃあまたあとで」
「ああ、あとでな」
それだけ言って、別れた。
ルシファーが家のことや自分のことを詳しく話してくれないのは、後腐れがないようにってことなのかもしれない。そんな風に考えてしまう自分が嫌だった。
ぼくばかり彼を必要としているような気がして、悲しかった。
出て行ったら、彼はもう帰ってこないんじゃないか。
いや、帰ってくる、だなんて変な話だ。
ルシファーには、ちゃんと帰るべき家があるんだから……ここに戻ってこないのが当たり前だ。
にがくて重い気持ちを抱えたまま、教会に向かった。
信者でないぼくは教会が苦手だ。こんな農村でもテトラ教の信仰は強くて、信者以外を排他しようとする風潮が強い。
それでも関わらないと生きていけないのは、ゴンドワナに住んでいれば仕方のないことで。
常緑樹の垣根の角を曲がって、白く丸い屋根に光るグレザリオを見上げた。ここに来るのは久しぶりだ。
「ごめんください」
聖堂の扉を押し開けて、中に声をかけた。
いつもなら巫女や下働きの男たちがいるのに、今日はがらんとしている。
少し首を傾げて建物の裏手にある居住舎へ回った。
今日ここへ来たのは、借金を返すためだ。
ライトを買うつもりで貯めていた、なけなしのお金も出してきた。この時期にまとめて返すのは大分痛い出費だけれど、仕方ない。
この間みたいなことがあったら困る。もうルシファーに迷惑はかけたくない。
そう思いながら、お金の入ったバッグをギュッと握りしめた。
小さな菜園を回って裏の庭園に出たところで、教会の主の姿を見つけた。
使用人らしき男ふたりと、頭を近づけて話している。
「ザワードさん、こんにちは」
声をかけたら3人は驚いたように振り返った。
その表情がいつもよりずっと恐ろしいものに見えて、続ける言葉をなくす。
「……ああ、なんだ、リアムかい」
わずかな沈黙のあと、ザワードさんは笑顔になった。
大きな体をこちらに向けると、ゆっくりと歩いてきてぼくを見下ろした。
「どうした? 訪ねてくるとは珍しい。私になにか用かな?」
「はい、あの……お借りしていた麦代を返しに来ました」
「麦代?」
「ええ、16,500ルーグ。少し蓄えができたので……」
「金ならもう返してもらったろう?」
「え?」
つい先日ルシファーがやって来て、全額返していったと説明された。
感謝よりも先に驚いた。代わりに払ってくれたって、どうして?
「なんだ、あの黒髪の少年から聞いていなかったのか。どうしてもというなら寄付として受け取ってもいいが、どうする?」
その言葉に後ろのふたりがおかしそうに笑った。
そんなこと、しなくて良かったのに。
ぼくは唇を噛むと視線を落とした。
素直にうれしいと思えなかった。ルシファーはきっとぼくが助かるだろうと思ってやったに違いない。居候の後ろめたさもあったのかもしれない。
そこに横柄な気持ちなんかない。分かってる。
でもそんなこと、しなくてもよかったのに――。
「ぼく、帰ります……」
それだけ言って、ザワードさんに頭を下げた。
もと来たほうへ足を向けてぼんやりと歩き出したら、正面からやって来る男たちが見えた。
その中心にいる、女の子の姿も。
「……エヴァ?」
白いワンピースを着た、白銀の髪の女の子。見間違えるわけがない。
どうして教会に?
小走りに駆け寄ると、エヴァはうつむいていた顔を上げてぼくと視線を合わせた。
「リアム……どうして?」
「ぼくは用事があって……エヴァこそ、なんでこんなところに来たの?」
お互いに驚いた顔でいると、背後から「こんなところとは失礼じゃないか?」と低く笑う声が聞こえてきた。
「このタイミングで連れてくるとは、相変わらずの能無しどもだ」
ザワードさんが不愉快そうに言った。現れた男たちがペコペコと頭を下げる。
「まあいい、早く連れて行け」
「はい」
「すんません」
短いやり取りのあと、エヴァの腕をつかんだ男がぼくのとなりを通り過ぎようとした。
状況がよく分からない。
「ちょ、ちょっと待って。どこに行くんですか?」
慌てて男の服を引っ張ると歩みを止めた。
ちっと舌打ちが降ってくる。
「このお嬢さんはな、おまえんとこみたいなボロ家じゃなくて、教会のほうがいいってよ」
「小僧は心配いらねぇ、とっとと帰んな」
別の男がぼくの肩を掴むと後ろに押した。
「エヴァ、本当なの?」
ぼくが呼ぶと、彼女はわずかだけこちらを見て、視線をそらした。
「エヴァ?」
「数日間だけだったけど……」
エヴァが淡々と口を開く。
「お世話になったわ、リアム。元気でね」
「え……」
「さよなら」
別れの言葉に、まだ理解が追いつかない。
ルシファーは、このことを知ってるんだろうか。
「エヴァ、待って……どうして」
伸ばしかけた手の前に立った男が、今度はぼくの体を思いきり突き飛ばした。
嫌というほど地面に転がって、打ち付けた腰を押さえる。
「お嬢さんはもうお前に用はねえってよ」
「っ……そんな……」
「さっさと出て行け」
男たちと一緒に建物に入っていくエヴァは、一度もこちらを振り返らなかった。
彼女も、出て行ってしまうのか。
貧家の家より、教会のほうがよほどいい暮らしができる。
着るものひとつだって用意してやれなかったから、彼女がうちを嫌になったって仕方ないだろう。
それに忘れかけてたけれど、最初からすぐに出て行くって、彼女は言ってた。
食卓を囲んでいたときのエヴァの顔を思い出すと、にわかには信じられなかったけれど……
しばらくの間そこで放心していたぼくは、やっと立ち上がるとズボンについた泥を払って歩き出した。
――帰ろう。
またぼくしかいなくなったとしても、帰る家はあそこしかない。
教会の敷地を出る寸前。
洗濯場を通り過ぎたところで悲鳴のような声が聞こえてきて、ぼくは足を止めた。
次話もリアム視点です。3話に分けたのさ。長いから。
気づくと描写がダラダラしているので、可能な限り消す方向の推敲を頑張らねば。




