031 価値観の違い#
from a viewpoint of リアム
朝の騒動のおかげで、大分遅れて市場に向かうことになった。
今日収穫した荷はかなりの重量だ。見た目よりずっと力のあるルシファーが運搬を手伝ってくれるから、なんとか買い取りの時間内には辿り着けそうだけれど……
ぼくはいつもより数ケース多い、リヤカーの上の野菜を振り返った。
真冬は市場もほとんど開かなくなる。畑に残る野菜の量を考えると、今年の冬の蓄えは十分とはいえなかった。
ましてや、居候がふたりもいるとなっては……
(なんとかしなくちゃなぁ……)
目を覚ましたあとは元気だったけれど、エヴァを置いてきたのが心配なのか、となりでリヤカーを引くルシファーの表情は晴れない。
エヴァ本人は倒れる原因を分かっていそうなのに、話してくれないことも引っかかっているのかもしれない。
ぼくも今日は少し、気分がモヤモヤしていた。
原因は分かってる。
ルシファーがあっさり治療費を出したあたりからだ。
彼が持った財布の中をのぞこうと思ったわけじゃない。
1万ルーグ札が数枚見えたのは偶然だけど、子供の小遣いにしては多すぎると思った。
でもそれはぼくの感覚であって、彼からすれば治療費の2,000ルーグは決して大金じゃないんだろう。そういう環境で暮らしている子だ。
「リアム」
ふいに名前を呼ばれて、ぼくは顔を上げた。
「えっ、なに?」
「道、あっちに曲がるんじゃないのか? そっちは違うだろ?」
「あ……ああ、そうだね」
いけない、早く市場にたどり着かなきゃいけないのに。
なんのためにルシファーに手伝ってもらって重いリヤカーを引いているのか。
「ごめん、ちょっとぼーっとしてた」
ぼくは進路を変更すると、もう一度リヤカーのハンドルを握り直して歩き出した。
彼といるのはすごく楽しい。
普段は近所の農家や市場の人たちと話をするくらいで、誰かとずっと一緒にいることなんてない。
この数日間、いつもより笑うことがぐっと増えて、それ自体が楽しかった。
過ごした時間は短いけれど、彼のことは友達だと思っている。
でも、ルシファーはぼくのことをどう思ってるんだろう。
親と喧嘩してちょっと家出して、気晴らしに田舎に遊びに出て来た彼。
ここで過ごしているのだって、他に宿がないからで……本当なら、ぼくみたいな貧家の人間と関わる家柄じゃないんだと思う。
気がすんで、家が恋しくなればここにいる理由もなくなる。
ちくり、となにかが胸に刺さった。
考えるな、そんなこと……
「リアム、リアム」
「え?」
「大丈夫か? どっか具合悪いんじゃないのか? 荷物と一緒に後ろに乗れよ。引っ張るのは俺だけで十分だから」
気付けばとなりから心配そうに、ルシファーが顔をのぞき込んでいた。
今、ぼくはどんな顔をしていたんだろう。
「い、いや大丈夫。具合が悪いわけじゃ……」
パタパタと手を振って横を向いたら、リヤカーの端に下げていた水筒にぶつかって落としてしまった。
「あ、しまった」
握っていたハンドルをくぐって、沿道の端へ転がった水筒に手を伸ばす。
本当に、ぼーっとしているみたいだ……
「リアム!」
急に肩を掴まれて、ぼくはかがんだまま勢いよく尻餅をついた。
「え……な」
なに? と言おうとして、ルシファーの手が空中で掴んだものに息を飲んだ。
体長は1メートルないだろう、黒い飛び蛇の仲間だった。
「っ!」
鼻のすぐ先、裂けるほどに開いた口に恐怖が湧き上がる。
草むらにいたのに気付かなかったんだ。うかつだった。
細い体はルシファーの手の中で素早くうねると、自分を掴んでいる手に牙を突き立てた。
「ルシファー!」
牛や馬もやられることがある猛毒だ!
ぼくが青くなって叫んだ瞬間、蛇の体はにぶい音を立ててちぎれた。
彼の手に握りつぶされて分かれた体が、ぼとりぼとりと地面に落ちる。
「あっぶねえ……間に合った」
彼はほっと息をついたけれど、ぼくは寒気と焦燥感に襲われた。
「間に合ってないよ?! すぐに医者に……!」
ルシファーの手を掴んで見ると、点々とした痕にうっすら血が滲んでいた。
あの勢いで噛まれたわりに傷は浅いけれど、確実に毒をもらっている。
手に持っていた水筒の水でさっと洗い流して、彼の手を引っ張った。
「市場の近くに医者がいる! すぐにそこへ――」
「落ち着けリアム、クロカガシの毒くらい、なんてことないから」
「馬鹿言わないでよ! 猛毒だよ?! なるべく動かないでリヤカーに乗って! ぼくが運ぶから急いで……!」
昔、この毒蛇に噛まれた人を見たことがある。
あの時は確か、父さんが医者を呼びに行っている、少しの時間に青ざめた顔で意識を失い、泡を吹き始めた。
悠長に構えている時間はない。
「とにかく落ち着け。本当に大丈夫なんだ。俺、毒が効かない体質だから」
ルシファーが、至極落ち着いた声で理解不能なことを口にした。
「毒が、効かないって……?」
「柔らかいとこ噛まれちまったから少し傷になったけど、なんともないよ」
まったく慌てる素振りのないルシファーに、自分のほうがおかしいのかと疑ってしまう。
「そんなわけ……」
「あるんだ。だから慌てんなよ。平気だから」
ルシファーはそう言うと立ち上がって、ぺろりと噛まれた痕をなめた。
「行こうぜ、急ぐんだろ?」
「……ルシファー、君一体……?」
毒が効かない体質だなんて、聞いたことがない。
背中の翼もそうだし、人間とは思えない怪力もそうだ。
半信半疑で見上げるぼくに、ルシファーは困ったように笑った。
「……気味悪いか?」
どうして、そんな傷ついたような顔で聞くんだ。
「そんなこと言ってないよ!」
そんな顔されたら、これ以上なにも聞けないじゃないか。
「ただ、心配なだけだ……」
「そっか……悪い。でも本当に大丈夫だから」
そう言って彼は何事もなかったかのように荷物を引いて歩き出した。
市場に着くまでずっと注意深く見ていたけれど、確かに毒が効いてくる感じはなかった。信じられない。
変わっているとは思っていたけど……これはもう、ただ変わっているというだけでは説明がつかないレベルだ。
彼は何者なんだ……?
その答えは、なぜか聞いてはいけない気がした。
リアム回、あと2話続きます。




