030 ここにはいられない#
from a viewpoint of エヴァ
野菜を載せたリヤカーを引いて、ルシファーとリアムが市場へと歩いていく。
見えなくなるタイミングで後ろから小さく手を振った。
さよなら、と。
わずかな間でも、温かい時間をもらえたことには感謝の気持ちが大きい。
でもまたひとりになると思うと泣きたくなって、こんな感情を掘り起こしたふたりを少しだけ恨んだ。
「もう、行かなくちゃ……」
長い眠りから目覚めたら、この胸の「咎人の石」は正常に機能しなくなっていた。
テトラ教では罪を犯した祭司や巫女に、この魔力封じの石をつけることがある。
でも私の場合は、自分で望んで取り込んだ封印だ。
悲劇を繰り返さないために、どうしてもこれが必要だった。
はじめてここに来た日、お風呂で石の亀裂を見つけたときは動揺しすぎて、吹き出ようとする魔力を抑えきれずに気を失った。
でも今日は、感情とは関係なく魔力があふれそうになって倒れた。
これをつけた魔法医は言っていた。「石にも寿命がある」と。
現在の日付を考えるのなら、あれから60年近く経っている。
いよいよ寿命と思えば、無理もないのかもしれない。
石が壊れれば、この忌まわしい力を封じこめておくことができなくなる。
そうなれば、きっと気づかれてしまう。
気を失って、魔力の流れをよくする薬なんて処方されるのは危険だ。
この力は留めておかなくてはいけないのだから。
いずれにしても、もうここにはいられない。
早く、新しく石を付け替えてくれる魔法医を探さなくては。
家に入って、借りていた丈の長いシャツから洗濯してあった白いワンピースに着替えた。
白い服は嫌いだ。
白くしても楽しいことなんてなにもない。
自分がいかに人と違う色をしているか、思い知らされるだけ。
昔、テトラ教の人たちは私を名前ではなく『白銀の巫女』と呼んだ。
このアルビノの体は、神を信じる者たちにとって特別なものなのだと、嫌というほど思い知らされた。
実際はどこまでも都合の良い、ただの生け贄なくせに。
こんな見た目の皮一枚を、色素のない目を、神聖だと崇める彼らは愚かだ。
あの頃のコングール山は魔物があふれ、荒れていた。私はそれを鎮めるために、あの冷たい洞穴に入れられた。
この服は、魔物を山に足止めするためのくさびになったときに着ていたものだった。
少しだけあのときのことを思い出して、口の中が苦くなる。
死ねるのなら、生け贄だろうがなんだろうが良かった。
死ねないのなら、永遠に眠っていたかった。
けれど私は、息を吹き返してしまった。
なんの救いもない、この世界に。
玄関を出るときに、一度だけ振り返る。
数日過ごしただけの場所だけれど、こんなにも離れがたく感じるのはルシファーのせいだ。
氷の柱に閉じ込められて、ごくまれに意識が浮上する以外はほとんど「無」の状態で過ごしていた。そんな私を、今になって起こした人。
(暖めてやりたいな、と思ったんだ)
そう言った彼の顔を思い出す。
そんな理由で氷の中から遺体を取り出そうだなんて、普通思うだろうか。
あの人は変だ。
スキンシップが過剰だし、言動は自分勝手だし、思考が幼い。
「なにが『ここにいろ』なのよ……人の気も知らないで」
自分だって、隠していることがあるくせに。
私と一緒で、ルシファーにも言いたくないことがある。
だから、私にも身の上をしつこく聞いてこない。
たぶん、それも居心地が良かった。
私はふたりが歩いて行ったのとは反対のほうへ足を向けた。
ここであったことは忘れよう。
今はなるべく早く、人と接触しないところに行かなくては。
足を進めながら、あのふたりがこれからも幸せでいられますように、とだけ祈った。
冷たい風が白い髪を揺らして通り過ぎていく。
「本当は……私だって……」
本音を呟きそうになったのを止めるように、頭の中にある言葉が蘇ってくる。
血のつながりのない自分を育ててくれた、年老いた魔女の言葉。
(かわいそうにエヴァ)
いつまで経っても消えることのない、最期の言葉だ。
(かわいそうに。お前に深く関わる者は皆死ぬだろう)
まるで呪いのように、私の中に染みついている。
(誰もお前をひとりの人としては見ない。そういう運命さ。だから――)
噛みしめた奥歯がギリ、と鳴った。
そうだ、よく思い出せ。私は誰とも関われない。
寂しいだなんて……思うだけ辛い。
道の前方から2人の男が姿を現したのは、そのときだった。
「おお、本当に白いな。目も真っ赤だ」
「な、言った通りだろ?」
会話の内容と、うす汚い笑いに警戒心が湧き上がった。
一歩、後退する。
「どこにお出かけですか? 白いお嬢さん」
「ちょっと用があるんだよ。一緒に来てもらえないかなぁ」
ゆっくりと近付いてくる男たちに、とっさに反転して走ろうとしたところで足を止めた。
背後から近付いてきていた別の男が2人、笑いながら私を見ていた。
合計4人の男たちに挟まれて行き場を失う。彼らの目的は明らかに私だった。
「ザワード様が、なるべく傷付けないように連れてこいって言ってたぞ」
「じゃあバラバラにせずに、このまま売るってことか」
「なんでも億の値段がつくらしい」
「マジかよ?! やる気出てきたぁ……!」
間を縫って逃げようにも、狭い道の左右に逃げるところはない。
近付いてきた男のひとりが、私の手首を掴んだ。
「っ触らないで!」
「おっと。おとなしくついてくればこっちも手荒なことしなくてすむんだぞ?」
「いたっ……!」
ぐいと後ろ手にひねられて、そのまま体を押された。
「ほら、歩け。それとも抱っこしてやろうか?」
ゲラゲラと楽しげな笑いが巻き起こった。
見覚えのない若い男たちだ。会話の内容から察しはついたけれど、あえて尋ねた。
「私になんの用なの、あなたたち……」
「えら~い方のおつかいでね。なに、そんなに遠くない」
「本当に白いなあ、作り物みたいに綺麗な顔してるじゃねえか。俺、こんな人間はじめて見たぞ」
「ここまで白いアルビノ個体は希少だからな」
「だからこその『白銀の巫女』か」
ああ……ほらね。
結局こうなるんだ。いつも。
みんな砂糖にむらがるアリみたいにこの白い体を欲しがる。
そしてそれ以上に。
気付いた人間はこの力を欲しがるのよ――。
エヴァの回は暗くなりがち……何とかして欲しいのよこの子。
次回から3話ほど、リアム視点が続きますー。




