025 彼女の不安
「……あのじいさん、知り合いか?」
老人の反応とエヴァの顔を見て、おそらくそういうことだろうと察した。
「知らないわ」
「いや、だって」
「知らないけれど、あの人は私を知っているのかもしれない」
感情のともなわない声でぽつりと言った。
エヴァは目立つからそういうこともあるかもしれない。でも「死んだはず」ってのは、どういうことなんだろう。
あの老人は何を知っている?
「お前さ、もしかして有名人なのか?」
エヴァは無言で答えた。
「あそこで凍ってた理由とか、まだ話したくないか?」
「……あなたには、関係ないことだわ」
またそれか。
「関係ないなんてこと、ないだろ」
少しむっとして反論した。
妙な出会い方をして、意見も聞かずに連れてきてしまった自覚はある。
だけどそんな風に言われるのは納得がいかなかった。
関わりたいと思っている相手に突き放されることなんてはじめてで、人間づきあいの足りない俺はどうしていいか分からないけど。
とりあえず、言いたいことを言ってやろうと思う。
「ルシファー」
エヴァが視線を地面に落として話し出す。
「私、なるべく人と関わりたくないの」
「は? ……何でだよ?」
「何でもよ。だから……もういい加減、ここを出るわ」
突然の宣言に俺は面食らった。
エヴァに帰る家や行く当てがあるとは思えない。
「出るって……どこへ?」
「どこでもいいじゃない、とにかくここを出たいの。もう元気になったし、ひとりで大丈夫」
明らかに説明を避けようとする態度だったが、俺もそれを察してはいそうですかと頷くわけにはいかなかった。
いきなり倒れるような健康状態のくせに、なに言ってやがる。
「ひとりで大丈夫のわけないだろ? さっきのじいさんのせいか? 知り合いに見つかるとまずい事情かなんかが……」
「違うわ、あの人は関係ない。話があるって言ったのは、ここを出て行くってことを言いたかったのよ」
「じゃあ、帰るところがあるのか? それなら俺が送っていって……」
「そういうの、迷惑なのよ」
俺の言葉を遮って、エヴァはぴしゃりと言った。
即座に返す言葉がなくて、黙った俺から視線をそらすと彼女は続けた。
「私、誰とも一緒にいたくないの。誰にも……関わって欲しくないの」
「……意味分かんねえ」
一段低くなった声で答える。
言葉そのものの意味に不愉快になったわけじゃない。
付き合いは浅くても人の心を読むことには多少の心得がある。
嘘を言っているか、本当か。挙動や声のトーン、目の動きで大抵は分かる。
迷惑だなんて、本心じゃないだろう。
俺が面白くないのは、何故そんな嘘をついてまでここを出るなんて……俺を遠ざけたいのかってことだ。
「だから、もういいでしょう」
「エヴァ、それじゃ分からない。ちゃんと事情なり訳なりを話せよ」
「なにも話すことなんてないわ。ルシファー、あなた勝手よ」
そこで一呼吸置くと、エヴァは続けた。
「私が『起こしてくれてありがとう』とでも言うと思ったの?」
言葉でも、人を攻撃しようとするときにはその気配がある。
エヴァは明らかに俺を傷つけるつもりで牙をむいていた。
「いい迷惑だわ……全部あなたのせいよ。私は起きたくなんてなかった。あそこでずっと眠っていればよかったのよ。あなたが起こしさえしなければ……私は死んでいられたのに」
わずかな静寂が流れた。
「……嘘だ」
視線を落としたエヴァに、俺も譲れない言葉を返した。
死んでいられたのに、なんて納得いくか。
「それは嘘だ。お前は泣いてた。だから俺は出してやりたいと思ったんだ」
「泣いてなんかいないわ!」
あげた顔は、鼻の頭が薄赤く染まっていて。
泣く寸前の顔でそんなセリフ吐いたって、なんの説得力もないのに。
「どうして起こしてしまったの? もう取り返しがつかないじゃない……!」
溜め込んでいたことを吐き出すようにエヴァは続けた。
「あなた馬鹿よ。寒そうだったから暖めてやりたいなんて理由で、死んでるに等しい人間を氷の中から取り出すだなんて、大馬鹿よ……!」
「エヴァ、俺の話も聞けよ」
「あなたの話なんて聞きたくないわ! 同情もいらない! 元々他人なんだから、これ以上関わらないで!!」
ワンピースにぎゅっと両手でしわを作って、彼女は早口でそう、まくし立てた。
「早く……早くここを出たいの。もう……あなたの顔なんて見たくないのよ!」
「エヴァ」
「私はひとりがいいのよ! もう放っておいて……!」
「エヴァ!」
俺を傷つけようと思ったのだろうが、その言葉の棘に傷つけられているのは彼女自身だった。
泣くよりもよほど辛そうな顔をしているのに気付いた瞬間、勝手に手が伸びた。
引き寄せて両腕に抱き込んだ体は、ちょっと力を入れると壊れてしまいそうなほど華奢だった。
「お前、嘘下手すぎ」
耳元で告げた言葉に、エヴァはぴくりと肩を揺らした。
「……離して」
「やだ」
思いきり拒絶されるかと思ったのに、エヴァは身を固くしたきり逃げなかった。
かと言って自分から手を伸ばしてくるでもない。
「どこまで馬鹿なの……私と一緒にいると、あなたも死ぬのよ……」
絞り出すようにもらした言葉の真意は、正直よく分からない。
でも彼女がどうしようもなく不安になっていることだけは分かった。
「よく分かんねーけど、そんな簡単に死なない、俺、強いもん」
「嘘よ」
「嘘じゃない。俺頑丈なんだ。死なないよ」
「う……ふっ、うっく」
しゃくりあげながらとうとう泣き出した彼女の頭を撫でながら、どうしたもんか、と思う。
毎晩何の夢を見ているのか、時折苦しそうにしている姿に、俺も不安を覚えてはいた。
彼女を苛んでいるものの正体はまだ分からない。
でも、エヴァが本当にしたいことは分かるような気がした。
俺たちと飯を食ってるときの顔を見れば、そんなことは分かる。
いずれにせよ、このまま行かせる気なんてなかった。
だって、エヴァの目が開いたときに思ったんだ。
俺はきっと、この子と仲良くなれるって。
「お前が何を怖がってるのかは知らないけど……」
俺が口を開くとエヴァはまた身を固くした。
「行くとこないなら、ここにいろよ」
「……無理よ……ダメなのよ……」
「ダメじゃない。俺がいいって言ってるんだ。それにお前には、今日の昼飯を作るって仕事があるだろ?」
「……何よ、それ」
エヴァが放心したような声で答えた。
「お前の作る飯、リアムのよりうまい。俺、昼は昨日食った葉っぱの炒めたのが食べたい」
「……ホウレンソウの、バターソテー?」
「そう、それ」
少し落ち着いたらしい体を離すと、涙のあとをぬぐった。
「……っ」
「もう泣くなよ」
足下に転がったイモがそのままになっているのに気付いて、拾うと袋に戻した。
そのまま家の戸口まで細い肩を押して誘導する。その手にイモの入った袋を握らせた。
「俺さ、ちょっと出かけてくるけど、土産持って帰ってくるから。ちゃんと飯作って待ってろよ?」
「ルシファー、でも私」
「返事」
「……うん」
うつむいた頭がかわいくて、思わずその髪にキスを落とした。
「っルシファー!」
「あ、ごめん。つい」
予告を忘れた。やっぱりこれは姉さんのせいだな。
妹たちのせいでもあるか。保護対象のように思える相手には反射的に出てしまう。
「じゃあこれは、行ってきますのキスです。オーケー?」
「予告すればいいって問題じゃないし、あなたの国の風習には……」
なじめない、と言いかけた頬にすかさず2回目の挨拶を落とした。
「きゃーっ!」
「スキあり」
「る、ルシファー!!」
真っ赤な顔で振り上げた手をひらりと交わして、俺は笑いながらショルダーバッグを背負い直した。
何故怒られるのかはよく分からないが、エヴァのこういう反応は楽しい。中毒になりそうだ。
「エヴァはそうやって怒ってるほうがまだいいよ」
「待ちなさい! 1回叩くわ!」
「帰ってきたらいくらでも」
ひらひらと手を振って、俺は素早く走って逃げた。
あの調子なら、きっと帰るまでいてくれるはずだ。何に不安がっているのかは早いところ教えてもらった方が良さそうだが……
今はまだ無理だろうと思えた。
(あの、胸の割れた宝石と関係があるんだろうか……)
少しだけ不安が伝染した俺は、ひとつかぶりを振って目的地へと走り出した。
次は平日のどこかで更新しまふ……(꒪ཀ꒪)




