023 現実なのね#
from a viewpoint of エヴァ
まどろみの中で、昔の夢を見ていた。
きらきら光る春の陽だまりの中に、よく知った顔が見える。
「エヴァ」
懐かしい黒髪の少女は、そう言って私に笑顔を向けた。
「エヴァは本当に何にも知らないのね。その木の実はこうやって殻を剥いて、潰して食べるのよ」
ライラ、私の親友。
分かってる、これは夢。もう何度も見た過去の記憶の再生。
私の育った村は少し特殊で、私は他の村や町へ行くことは許されていなかった。
だから私はいつも誰にも気付かれないように、こっそり遠くまで遊びに出た。
大人たちは私が「近くの森の中で遊んでいる」と信じていた。
山を下りて町まで行っているだなんて思わなかったろう。
そうして好奇心のままに村を出た私は、ライラと出会った。
私と違う長くて艶のある黒髪に、若草色の瞳が綺麗な女の子。
たった3ヶ月程度の間に私たちはどんどん仲良くなっていった。
ライラはなんでも出来る子だった。
私を初めての魚釣りに連れて行ってくれた。料理を教えてくれたし、針と糸を使って裁縫も教えてくれた。
楽しい時間が増える度に笑顔が増えていく。ふたりで過ごす時間は何物にも代えられない宝物。
このままずっと、彼女と友達でいられるのだと少しも疑っていなかった。
「あたし、15になって成人したらゴンドワナの神殿に行くんだ。それでいっぱい神様に奉仕して、お金を稼いで、家族を養うのよ」
いつだか話してくれた、それが彼女の夢。
出来損ないの私と違って、大きな魔法が使える彼女は村でも評判の巫女だったから。それは十分に叶うはずの夢だった。
「やだ、ライラったら。神様に奉仕するのはお金が目的なの?」
「当たり前じゃない。奉仕の精神と報酬はべつものよー」
いつも明るくて、前向きで、笑顔が素敵で。
頼りになるライラ。大好きなライラ。
それなのに、どうして――。
「エヴァ、みんな死んだわ」
そんな風に、血の飛んだ頬をゆがめて私を見るの。
「あんたが悪いんじゃない。でも、あたし、あんたを許せない」
ごめんなさい。
何度繰り返しても、謝罪は届かない。
「エヴァ、死んで……あたしも、死ぬから」
ライラ、やめて。
そんな顔で笑うのはやめて。
緋色に染まった視界に、彼女の悲鳴がこだました。
あのとき、私は死ぬべきだった。私が死ぬべきだった。
でも、死んだのは私じゃなくて彼女だった。
殺したのも、きっと私――。
(もうやめて……!)
息が詰まる……!
呼吸の止まった肺へと、無理矢理に酸素をたたき込んだ。
急速に浮上する意識に、夢の終わりを知る。
「っ……!」
目を開けたら、薄明かりの中に見知らぬ天井が見えた。
仰向けに寝ていた胸が、呼吸に合わせて上下を繰り返す。
「ここは……?」
自分が目覚めたことを理解するのに、少し時間がかかった。
だって、むせかえるような血の匂いは今も記憶の中にこびりついている。
悪夢はどこまでも私を追いかけてくるのに、それでも現実を生きているのだとようやく思い出す。
肺の奥から息を吐き出したところで、ふと、すぐそばに人の気配があることに気がついた。
首を回したら、視界に黒く長いまつげが飛び込んできた。
「……???」
よくよく見たら、自分の体の上にその人の腕が乗っている。というか、抱え込まれている。
「え、な……」
一体どういう状況なのか。
息が止まりそうなほど動揺して身じろぎした。腕の持ち主はうっすらとまぶたを開けた。
「……エヴァ? 目ぇ覚めたか? よかった……」
腕がどけられたところで、私は勢いよく上体を起こした。
なんなの? と言おうとした口だけがぱくぱくと動く。
のんびりと床から体を起こした黒髪の少年には見覚えがある。
確か、ルシファーと名乗った。そうだ、あれからこの家にやってきて……それから。どうしたんだっけ?
あくびをしながら、ルシファーはもう一度腕を伸ばしてきた。
首の後ろに回された手が、私を体ごと軽く引き寄せた。
「おはよ」
額に触れた柔らかい感触に、さらに動揺が広がった。
自分の手のひらが触れているのは、異性の固い素肌だ。
一瞬にして頭に血が上った私は悲鳴をあげて彼の腕を引きはがすと、手加減抜きでその頬に平手打ちを食らわせた。
叩かれた本人は、目をパチクリして「うぇ?」と頬を押さえる。
なんで叩かれたか分かっていない顔だ。
「な、な、な……」
立ち上がって自分の体を確認する。男もののシャツ一枚でいることにくらりとめまいがした。
「なっ何すんのよ! エッチー!!」
「え、ちょっと待て。なんか誤解」
ぎょっとしたルシファーは何かを言おうとして、私が投げた枕に顔面をふさがれた。
「ひ、ひとが寝てる間によくも……!」
「……いや待て! やっぱりすげぇ誤解してないかお前?!」
「この状況でなにをどう誤解するってのよ?!」
そばにあった置き時計を掴んで振りかぶったところで、ルシファーが「待て待て!」と慌てて手を振った。
「俺はただ! お前が夜中にメソメソしてたから大丈夫かと思ってとなりにいただけで……他意はない!」
「め……メソメソ?」
そういえば、ずっと暗くて嫌な夢ばかり見ていたような気がする。
「なんか悲しそうだったから……こうしてたんだけど」
ルシファーは手のひらで布団をポンポンと軽く叩いた。
知らぬ間に慰められていたらしい。かーっと、別の恥ずかしさでまた頭に血が上ってきた。
いや、でも、誤解じゃすまないことだってある。
「い、今いきなりき、キスしたじゃない!」
「え、おはようの挨拶だろ?」
あまりにもきょとんと返された。どうやら風習の違う国の人らしい……
でも、もうひとつあった。
「じゃあなんで脱いでるのよ?!」
「これが俺の就寝スタイルだ!」
はじめて会った時から思ってたけれど。
合わない。
この人とは、価値観とか風習とか色んなものがかみ合わない気がする。
合おうが合うまいが、どのみち私には関係ないけれど。
ずきん、と胸が痛くなった。
心の中で呟いた言葉に、自分で傷ついた。
どうせすぐに私はひとりになる。
彼がどんな人かだなんて、関係ない――。
「でもまあ、思ったより元気そうでよかった」
関係ないんだから、そんな笑顔は向けないで欲しい。
「風呂場で倒れてるのを見た時は驚いたぞ。医者呼ぶってリアムが心配してたから、今からでも必要なら呼ぶけどどうする?」
「……いらないわ」
風呂場で倒れて。
そうだ、確かお湯から上がろうとした時に……
そこまで考えてからハッとした。
「……もしかして、見た?」
「え、あー……」
ルシファーは私が押さえたシャツの胸元を見て、バツの悪そうな顔を作った。
「見た。ごめん」
その反応で悟った。見られた、この胸に埋め込まれた「咎人の石」を。
これが罪人の証だと知らなくても、彼の目には不気味に映ったことだろう。それなのに。
「こんなのがついてるのに……私のこと、気味が悪いと思わないの?」
普通は真っ先に呪いの類いだと疑うはずだ。疫病のように伝染するものかもしれない、巻き込まれたくないと距離を置くのが当たり前なのに。
見ておいてとなりで寝てたの? 石がなにか分からなかったとしても、馬鹿げてる。
「いや? ちょっと驚いたけど別に……もしそれが原因で倒れてるのなら、倒れたときに俺がどうしたらいいかは教えておいてもらえるとありがたいけどな」
思ってもいない答えが返ってきて、私は続けるつもりだった非難の言葉を飲み込んだ。
……やっぱり変な人だ。
「……ごめんなさい」
「は? なにが?」
「頬……叩いて。痛かったでしょう?」
「いや全然。俺丈夫な体してるから、ちょっとやそっとじゃ痛くもないよ」
気にすんな、と彼が言ったところで、玄関の木戸が開いた。
「あっ……よかった、起きたんだね! おはよう!」
昨日見た人なつっこそうなそばかすの少年が、うれしそうに入ってくる。
手の中のカゴには、卵と絞りたてのミルク瓶が見えた。
「気分は悪くない? まだ寝てたかったら寝ててね」
「リアム、もう家畜の世話終わったのか?」
「うん、朝ご飯にしよう。昨日のスープもまだあるし、卵焼こうか」
ルシファーが土間に降りていくと、リアムと呼ばれた少年は少し苦い顔をして「服着なよ」と指摘した。
「仮にも女の子がいるんだからさ、寝るときも着たほうがいいって」
「いや、だってこれクセで。なんか着て寝ると気持ち悪いんだよな」
ふたりの会話から、上半身裸が彼の就寝スタイルなのだということは理解した。
「なあリアム、おはようとかおやすみの挨拶って、するよな?」
「は? うん、普通にするよね。なんで?」
「異性にはどうやってする?」
「どうやって……? おはよー、とか、おやすみー……だよね?」
「言葉だけ?」
「……それ以外に何があるの?」
「あー、もしかして俺の常識ズレてるのか……? 姉さんのせいかな」
「お姉さんがいるんだ、ルシファー」
かまどに小さな炎を灯したリアムと話しながら、ルシファーは首をひねって私と目を合わせた。
「じゃあ次は驚かないように、ちゃんと予告してからにするから」
「予告してもダメだと思うわ……」
そういう問題じゃないのに、解決した顔になっているのは何故か。
この人は私と合わないんじゃなくて、一般的な常識と合わないのかもしれない。
火照った頬で、私はうめいた。




