019 アルビノの少女
少女の開いた瞳に、俺は釘付けになった。
血の色が透けて見えるような赤い瞳の中に、黒さは欠片も見当たらない。
赤目の人間でも、瞳孔は黒い。
でもこの少女の目は、瞳孔も光彩も、全てが淡紅色だった。
そういう生き物がいることは知っている。人間にも稀に現れることがあると……
生まれつき黒い色素を作ることができない、アルビノ、というやつだ。
「……あなたが」
血色を取り戻したピンク色の唇から、高くか細い音がもれる。
「あなたが、私を起こしたの……?」
向けられる問い。
忙しなく打つ心臓を無視して平静をつとめようとしたものの、発するべき言葉が見つからない。
こちらにも聞きたいことなら山ほどある。
何故生きている?
何故あんなところに?
何故……
「俺が、起こした……と、思う」
全部の疑問を置いてそれだけ答えると、ふっとその瞳に哀しげな色が宿った。
「そう……」
「あ、あのさ」
「今日は何年? 何月何日?」
「……えっ……2×56年、11月……13だったかな」
日付を聞いて赤い目をわずかに見開くと、少女は沈黙した。
自分の胸元に置いていた手をぐっと握りしめて何事か考え込んだあと、ぽつりと呟く。
「下ろして」
「え?」
「自分で立てるわ。下ろして」
弱々しい声質とは裏腹な、意志の強さが感じられた。
「あ、うん……」
そっと地面に立たせると、少女はしっかりと自分の足で立って俺を見上げた。
本当に生きている……こんなことがあるんだろうか。
少女は風にさらわれた白金の髪をぎゅっと押さえて、「どうして」と呟いた。
「え、何?」
「どうして起こしたの、私を。あのまま地の底に、氷の中に閉じ込めておけばよかったのに」
いきなりの恨み言に、俺は少なからず面食らった。
悪いことをしたという意識がなかったからだ。
「いや、どうしてって言われても……氷の中にいるなんて寒そうだったから、出してやりたくなって」
「……寒そう?」
「暖めてやりたいな、と思ったんだ」
驚いた顔で見つめ返す少女に、俺は思ったことをそのまま口にした。
「それにさ、あんなところにひとりでいたら、さみしいもんな?」
聞き終わった彼女は、かすかに震わせた唇をきゅっと引き結んで俺を睨んだ。
赤い瞳が潤んで、鼻の頭が赤いけど……泣きそうなのか、怒ってるのか、どっちなんだ。
「勝手なこと言わないで……自分が、何をしたかも分からないくせに」
怒ってるほうか。
「いや、うん。とりあえずお前が何に怒ってるのかは分からないな」
ぶるっと身震いして二の腕をさすり合わせたのを見て、俺は冷え込んで来た夕方の空気を思い出した。
上着を脱いで、ばさりと肩から回しかけてやる。
「……重いわ」
ちょっと戸惑った空気のあと、恨めしげな声でそう言われた。
「あー、悪い。俺の上着、特殊繊維で出来てて5キロくらいあるから」
「それに、あなたが寒いわ」
付け足すようで、それを一番に気にしてるんだろうってことは分かった。
「俺は寒さに強い体質だから、氷点下でも問題ないんだ」
「でも」
震えているくせに、でもも何もないと思う。
色々と聞きたいことはありすぎるんだが。このままここに立っているわけにはいかないだろう。
俺は少しかがみ込んで腕を伸ばすと、もう一度少女を横抱きに抱え上げた。
「きゃっ……ちょ、ちょっと……! 私、ひとりで立てるって……!」
「寒そうだから、あったまれる場所に行こう」
「え?」
「ちょっと飛ばすから、その間は寒いかも。カンベンな」
とりあえず宝らしきものは見つけられなかったことだし、もうここに用はない。リアムのところに戻った方がいいだろう。
俺は自身を飛行モードに切り替えた。
俺の背から伸びた黒い翼を、少女は目を丸くして見上げた。
「クラミツハ……?」
闇の神の名だな。
「違う違う、そんなのと一緒にするなよ。俺はれっきとした人間だ。お前こそ実は天使とか神様とか、なんか違う生きものなんじゃないのか?」
「なっ……私は人間よ……!」
「そか、安心した。俺のことは……ルシファーって呼んでくれ」
この呼び名もリアムに呼ばれてるからか、ちょっと気に入った。
もう改名してもいいかもしれない。
「お前は?」
「え?」
「名前だよ。なんて呼んだらいい?」
「……エヴァ」
「エヴァか、うん、好きな響きだ」
薄紅色に頬を染めると、うろたえたように少女は視線をそらした。
なんだその反応。可愛すぎる。
「さて、じゃあ早いとこ行くとするか」
翼に与えた浮力が周囲の小枝をざわざわと揺らす。地面を蹴って木々の間から空に飛び出したら、彼女は小さく悲鳴をあげた。
怯えたように胸元にしがみついてきた手に、笑って返す。
「お前飛べないのか? 大丈夫、落ちたりしないって」
「あ、あなたは、どうして……」
「俺にも聞きたいことはあるけど、ひとまず全部あとにして移動しようぜ」
夕焼けの落ちる空を見渡して、リアムの家の方へ進路を定めた。
「リアムが……」
そこで一旦言葉を切って、思わずほころんでしまった口元を引き締めると俺は続けた。
「友達が、俺の帰るの待ってるんだ」
ドキドキしていた。
高揚感にも似たワクワクが、胸を騒がせていた。
「友達……?」
「ああ、そこに一緒に行こう」
俺の人生は今、確かに俺が動かしている。
これから何か大きなことが始まるんだ。
腕の中の温かさに、そんな確信にも近い気持ちを抱いた――。




