018 洞穴の奥
洞穴の入口に立って中を覗いてみる。
光が届くギリギリのところに、絶対神の像らしきものが見えた。
これは、やっぱりあれか。探していた洞穴なのか。
だとすればこの中にある荷物……「宝」とやらを持って帰れば、仕事が完了ってことか?
「おお、ラッキー……」
ここに来るがてら説明されたのは、赤いテープの印がある洞穴を見つけて、その中にある「宝」を持ち帰ること。だった。
さっきの男らは「もう帰る」宣言してたし、ここで俺がその「宝」とやらを持って帰ればリアムの借金は帳消しになるんじゃないだろうか。
俺は上着のポケットを探ると、あらかじめ渡されていた魔道具のライトを取りだした。
試しに中を照らしてみると、結構な広範囲で明るく見える。リアムのところにあったランタンとは大違いだ。
絶対神の像の周りには6大神の像も置かれているのが分かった。
火・水・風・土・光・闇……
何かの儀式の後なんだろうか。不気味に意味深な場所だな。
道はひとつしかなかったので、俺は洞穴内に足を踏み入れると迷わずその奥に向かって進んでいった。
外よりもさらにひんやりとした洞穴内は狭くなったり広くなったり、登ったり下ったりしながらかなり奥まで続いている。
少し空間が広がってきたな、と思ったところで、いきなりの大空間に出た。
「おお……すげえ。図鑑で見たことあるな。何だっけこういうの……氷柱? 」
大分地下に下ってきたからか、大空間の天井は俺の部屋の吹き抜けよりもまだ高かった。
上から下まで伸びる氷の柱がいくつも並んでいる不思議な光景。
途中で途切れた氷の柱や、生き物のように地面から生えている氷塊もあって、光を向けると幻想的な輝きを見せた。
吐く息はいよいよ白くなって、辺りには耳の痛くなるような静けさが満ちている。足下の小石を踏む音が、妙に大きく響くのが落ち着かない。
俺は首を回して周囲を見渡した。
壁を隅々まで照らしてみたが、もうこの先につながる通路はないようだった。
ここが終着点、ということだろうか……
風の動きを感じてみても、間違いないようだ。
「宝なんてねえじゃんか……」
目的の「宝」とやらは、少なくともない気がする。それらしき影すらなかった。
嘘だったんだろうか、と思いながら、俺は氷柱の林をぐるっと歩いてみた。
右手に持った光で周囲を照らしながら、ひとつひとつ注意深く見て回る。
そもそもその「宝」とやらはどんな形をしているのだろう。金だろうか、宝石だろうか、それとも芸術品とか骨董品とか……
あれこれ思い浮かべながら奥に向かい、いくつめかの氷の角を回ったところで、俺は眼前に現れたものに目を疑った。
それは俺が探していた「宝」とは、到底形状の違うものだった。
「……は?」
そこにはひときわ太く、大きな氷柱がそびえていた。
その中心部分を照らしたまま、思考は少しの間停止していたように思う。
冷たい静寂が満ちる空間に、時間までもが止まったかのような錯覚を覚えた。
「……人間?」
透明な氷の中に浮いた、白装束の人影が見える。
波打った状態で固まった白金の髪が、絹糸の束のようにうねりを描いていた。
血の気のない肌。形の良い鼻と唇。
閉じた両眼には、髪と同じ色の白く長いまつげが揃っていた。
女性らしいしなやかな体つきは未成熟だ。リアムと同じくらいの年頃だろう。
「なんだよ、これ……」
無意識に、放心したような声が自分の口からもれた。
俺はこんなに綺麗な人間を見たことがなかった。
これは本当に人なんだろうか。妖精とか、天使ではなくて?
どのみち、死んでいることに変わりはなかったが……それが神秘性のようなものを加速させたのだろうか。
俺はその少女を見た瞬間に、自分が探していたものを忘れてしまった。
それなのに、探していたものを見つけたという、歓喜にも似た感情が腹の底から湧き上がってくるのを感じた。
手を伸ばしてみたくなった。
触れてみたい、と思った。
「……泣いてる?」
なんでそう思ったかは分からない。
ただ、見ていると自分まで悲しくなってくるような、そんな気がした。
ああ、そうだよな。
こんなところにひとりでいたら、寒いしさみしいよな。
せめて、出してやろう。そう思った。
力で氷柱を砕いたら、氷ごとその体も砕けてしまうかもしれない。
俺が使える魔法は闇属性のものと水属性のものだけ。炎であぶって溶かすことはできない。
だから、微細なレベルにまで氷を分解することしかできないけれど――おそらく、それで事足りる。
迷わず手を伸ばして、ひた、と氷の表面に触れた。
じわりと手のひらからにじみ出た魔力を、凍てつく氷の隅々にまで同調させて、注ぐ。
一瞬だった。
グラスを指で弾いたかのような高い音が響くと、氷柱は無数の氷の粒に姿を変えた。
キラキラとライトの光に反射する氷のかけらが、少しの間空気中を漂って降り注ぐ。
あっけないほどに消え失せた氷の柱からは、支えを失った少女の体が落ちてきた。
「……っ!」
両の手を伸ばして、受け止めた。
腕にかかった氷そのものとも思える硬さと冷たさが、確かにそれを死体だと教えているのに……
床に置いたライトから広がる光が、うっすらとその姿を照らし出す。
俺はあらためて息を飲んだ。
横抱きに抱えたのは、見たこともない美貌の少女だった。
姉さんが俺の翼をこの世で一番美しいと呼ぶ時は、こんな気持ちなんだろうか。
胸の内からあふれてくる、自分でも表現しようのない興奮が心臓の鼓動を速めていく。
「綺麗だ……」
見た目は俺と同じくらいの年の、白金の髪の少女。
その冷たい体を腕に抱えたまま、どうして生きているうちに会えなかったんだろうと、奇妙な後悔が首をもたげた。
その場に安置していっても良かったのに、俺はそうしなかった。
ライトを拾って、少女の遺体を抱えたまま、出口に戻った。
一歩ずつ地上に近付くたびに、その体が俺の体温で温められていくような気がして……
外の光を浴びた時、空にはすでに夕焼けが広がっていた。
少し開けた斜面まで行ってから、あらためて明るいその場所で少女の顔に目を落とす。
「誰なんだ、お前……」
こんな誰も通りたがらない山の、変な洞穴の奥に、一体いつからいたんだろう。
死体とは思えない程、どこも朽ちてはいない肌があまりにも白くて……よくできた人形なのではないかと勘違いしそうになる。
哀しいほど澄んだ夕暮れの光が、その白い頬に落ちていた。
俺は暗殺者だけど、死体愛好家とは相容れない。
それなのに、この少女の遺体からは手を離しがたく思える。
死んだら終わりだと、そんなこと分かっているのに――。
「……?」
唐突に、あることに気が付いた。
凍っていたはずの肌が、手の中で柔らかさを取り戻している。
体から感じる温もりが、さきほどよりも強い。
うっすらと、その頬に赤みがさして見えるほどに……
そして。
「嘘、だろ……? 息してる……?」
わずかに上下する胸に、自分でも信じがたい言葉がもれた。
確かに、死んでいたはずだ。
あの状態で、生きていられるわけがない。
それなのに……
どくん、と。
自分のものではない鼓動を感じた。
白色の透明な風が、水のように腕の中からあふれてくる錯覚を覚えた。
生命力というだけでは説明のつかない、感じたことのない魔力の気配。
止まっていた時間が、動き出す。
ぴくりと震えたまぶたが、ゆっくりと開いて。
茜色の光を受けて、よりいっそう輝いたその瞳の中に、夕日と同じ色が見えた。
「……だれ?」
小鳥が鳴くような小さな声を、俺の耳は確かに聞いた。
洞穴の奥で見つけた遺体……のはずが。
今週控え目に言ってちょっと忙しいので、次の更新は金曜日あたりになるかもしれません。




