174 俺が生まれた理由
クラミツハの言葉が途切れた空間に、静寂が満ちる。
俺たち兄姉は、神が現世に降りるための器として生まれただって……?
言葉を無くした俺に、無表情の神は説明を続けた。
『兄弟の中でも強靱な肉体と、人が魔力と呼ぶ力を掛け合わせることに成功したのが、其方よ』
受け入れがたい突拍子もない話に、愕然とするしかない。
この翼も、豊富な魔力も、人より秀でた特性のすべてがそう創られたからだっていうのか。
「なんで、俺たちなんだよ……?」
すべての疑問を置いて、そんな言葉がもれた。
シュルガットが魔力なしであんなに苦労したのも、ウィングが死ぬほど弱かったのも、器として失敗作だから?
そんなのってないだろ。
黒翼の神は、当然のように返した。
『頂点の魔女から生まれた命が、器として最適だった』
「……っカザンは? 妹たちもそうなのか?!」
『一番上は器を想定する前に生まれている。妹らは其方がいるゆえ、同じく器を想定していない』
「……なら、本当に、俺が……」
こいつを現世に降ろすための「器」なのか。
そのために創られて、生まれた?
納得いかない。いくわけがない、そんな理由。
目の前の神にいい知れない憤りを覚えた。
『嘆くことはない。お前はなり損ないではなく、真の器。誇りに思うといい』
その言葉を聞いて、母さんが言っていたのを思い出した。「あなたは、なり損ないじゃないから」と。
なら、母さんはこのことを知っているのか。
「誇りだって……? 人選ミスすぎて笑えねえ。俺はテトラ教の信者じゃない。崇め奉って欲しいなら、もっと信心深いやつを選べば良かっただろ」
不快を隠さずに吐き捨てる。
クラミツハは意外そうな顔で『テトラ教……?』と呟いた。
『そうか、ここまでなにも知らされていないとは』
ひとり納得したかと思えば、赤ん坊を眺める目で俺を見る。
この場所も。置かれた状況もこいつも。なにもかもが不愉快だった。
『其方のいうテトラ教だが……絶対神など存在しない。人間が神と呼ぶ存在は、我を含め6大神のみよ』
「は?」
その説明は俺の認識と異なっていた。
神と言えば絶対神。この世界を創ったテトラグラマトンのはずだ。
「なに言ってんだ? じゃあテトラグラマトンはなんなんだよ?」
大崩壊で生き残った人間全員が、その姿を脳裏に見たと言われている絶対神。
こいつがいるのなら、テトラグラマトンも存在しないわけがない。
『其方らが絶対神と呼ぶのは、我の創った天秤のことよ』
天秤。その言葉はどこかで聞いた気がする。
クラミツハは語るように続けた。
――はじめ、どこまでも続く闇があった。
そこに光が生まれた。
光の次に大地が。
そして風と水が生まれ、最後に火が生まれたのだと――。
『創世の際、我はいくつかの決まりごとを作った』
そのうちのひとつが「世界に直接関与しない」ことだと、クラミツハは言った。
『因果なくして物質界は成り立たぬ。因果に縛られぬ存在が関与すれば循環が乱れ、世界は崩壊する。ゆえに我らは傍観者でなければならない』
「因果とかよく分かんねーけど、この世界を作ったのはテトラグラマトンじゃなくて、あんたってことか?」
クラミツハは頷いた。
『我は物質界に逃げた天秤を回収しなくてはならない』
「その、天秤ってなんなんだよ?」
『世界の均衡を保つために据え置いた因果の根幹、摂理よ』
「なんだその漠然とした説明……」
クラミツハの話はなんとも分かりづらい。
そもそも俺に分からせようという気があるのかどうか疑わしいくらいだ。
『創世の頃より動かしていた摂理の力が「天秤」よ。その天秤に、先の大崩壊で意思が芽生えた』
「意思があるってことは、生き物なのか?」
『天秤は生命ではない。属性なき無形の摂理。ただ永く役目を続け、人の世を見守るうちに神格が宿った』
長く使った道具には魂が宿るってばあちゃんが言ってたが、そういうことだろうか。
無理矢理自分の知識にあてはめて、情報を補完するしかないのが煩わしい。
クラミツハはふっと息を吐いた。
『あれはまだ幼く無知。弱さゆえに人の滅びを受け入れられず、自らが神を名乗って世界に関与することを選んだ』
「じゃあ、大崩壊のときに現れたっていうテトラグラマトンは一体……」
『絶対神は、天秤の見せた幻よ』
人が見たテトラグラマトンの姿は、天秤が作りだした幻。
天秤の本来の姿は聖典に載っているようなものではないと、クラミツハは言った。
『過去の大崩壊はこの世界の自浄作用。力ない人の滅びは必然だったが……』
クラミツハが天を仰ぐと、さらりと長い黒髪が流れた。
漆黒に溶けそうな闇色が自分のものと似すぎていて、どこか息苦しくなる。
『天秤は自らが物質界最高の神になることで、できるだけ多くの人を生かそうとした。姿を現し、人心を集め、生きのびて国を作れと天啓を下した。そして、中で一番強い魔力を持った者に人ならぬ力を与えた』
「人ならぬ力?」
『死の因果から外れる法。不死の力よ』
不死の言葉で思い当たった。
「エヴァの、母親か……」
『そう、頂点の魔女。天秤は彼女に自らの意志を代行させた。今は其方の母が担っている』
頂点の魔女っていうのは、天秤の代行者なのか。
神託から未来視ができる母さんは、たしかに特殊な魔女だ。
絶対神に一番近い人間でありながら、神を敬う気持ちがないことを不思議に思ってはいたが……代行者というのなら納得もいく。
『天秤は物質界に降りたが己の役目を忘れたわけではない。すべての力、特に魔法と科学、ふたつの力が大きく傾かぬよう均衡を保とうとする』
クラミツハの説明を聞いていて、ふと思った。
母さんがそうなら、エヴァは?
エヴァも代行者なんだろうか。
『だが人に過ぎた力を与え、画策する役目を負わせるなど本末転倒。ゆえに我は天秤の力を回収し、この物質界が崩壊する前にあるべき処へ戻さねばならぬ。因果を壊さず世界に在るため、我にも器が必要なのだ』
ひとしきり説明を終えたクラミツハに、浮かんだ疑問をぶつけてみた。
「テトラグラマトンが幻想で天秤だってことは理解した。それじゃエヴァは? あいつも天秤の代行者なのか?」
『あれは……例外よ』
エヴァの名前を出すと、クラミツハはわずかに表情を曇らせた。
「例外って、どういうことだよ?」
『天秤はより強力な頂点の魔女を作ろうとして、力を与え過ぎた。第3の力は天秤の力そのもの。天秤にとっても予想外の産物』
「予想外って、なにかの間違いみたいに……」
『天秤はあれが物質界に生まれ落ちると同時に排除しようとしたが、失敗した。あれの母親も、其方の母親も然るべき時にあれを殺せなかった』
「殺せなかった……?」
それじゃ、エヴァは神に愛されているどころか、厄介者ってことなのか?
そう認識した途端に腹が立った。
まるで、生まれてこなければ良かったと言われているようで。
『天秤の力は間接的に働いてこそ因果を保つ。人の形をとるなどあってはならぬ。あれもそう理解し、永久に眠ることを自ら選んだ……其方が惹かれて近付き、目覚めさせるまでは』
ふつふつと怒りの湧いていた心が、その言葉に動きを止めた。
俺が、なんだって?
「なんだよそれ……俺はエヴァを起こさなくて良かったとは思わないからな」
『どうあれ、あれは神具ともどもあるべき処へ還すまでよ』
「あるべき処へ還す? どういう意味だ?」
『物質界からその存在をなくし、我が手中へ戻す』
「は?」
エヴァの存在をなくすって、まさか、エヴァを殺すってことじゃないだろうな?
思い当たったら、頭から冷水をかぶせられた気がした。
神が、エヴァの存在を消そうとしている?
凍り付いた俺の心の内なんて欠片も考慮しない顔で、クラミツハは続けた。
『物質界にある天秤の力すべてを回収するには、其方の協力が必要だ』
それは協力を求めているようで、少しの感情もこもらない絶対的な通告だった。
俺の答えなんて決まってるはずなのに、次に続いた言葉を飽和状態の頭で聞いていた。
『其方は、あれに魂が惹かれたのだろう?』
「…………え?」
『天秤の影響を受けて創られた其方が、大元の力に惹かれるのは当然のこと』
「……な、に?」
『惑うな。其方はあれの力を欲しているだけ。あれが消えればすべては元に戻る」
それは、聞いてはいけないことのような気がした。
なにをどう説明されても受け入れられない、とても大事なことを、覆されるような内容で――。
「なに、言ってんだ、お前……」
『だが、其方があれの使い魔になったおかげで手間が省けた。容易に刈り取れよう」
その瞬間、ローガン先生の言葉が耳奥に蘇った。
(――やはり気付いていないんだな。自分こそが彼女を殺せる存在だということを)
そうだ、俺は死の因果から外れた、エヴァの使い魔で。
エヴァを傷つけることができる、唯一の存在だから――。
「まさか、俺の身体を使って、エヴァを殺すってことか……?」
怒りなのか、動揺なのか分からない。声が震えた。
今までで一番、受け入れがたいことを告げられている。
それだけがかろうじて分かった。
『そう。ゆえに、体を明け渡してもらいたい』
「っふざけんな!!!!」
今日一番の拒絶だった。
自分が器として生まれたと聞いて、それだけでも腹立たしかったのに。
「黙って聞いてりゃ好き勝手言いやがって……自分で作っておいて過ちなんていうヤツも、勝手に人を器にしたお前も……テトラ教もなにもかも気にくわねぇ。誰がそんなっ……くだらねぇ都合に付き合うかよ!」
俺が器だから「惹かれるのは当然」だなんて。
エヴァの側にいたいと思った気持ちまで否定されたようで、到底受け入れられなかった。
『聞き分けのない子よ。ひずんでしまった摂理を元に戻すだけだというのに……それほど天秤の力が恋しいか?』
「……黙れ」
『それは錯覚よ。其方は其方を構成した力に共鳴しているだけ。己の感情と混同するのも無理はないが――』
「黙れ!!」
闇に吸い込まれていった自分の声が、ひどく遠く感じられた。
黙れ、黙れ黙れうるさい。
そう叫ばないと、立っていられなくなりそうで。
「俺は、俺の意思で……」
意思で……なんだ……?
視界が揺れる。
不確かな足元と、かすんでいくクラミツハの姿。
頭の中がぐちゃぐちゃだった。
『……ああ』
なにかに気付いたように、クラミツハはゆっくりと近付いてきた。
息を吸うのも苦しい、重圧を感じる。
『抜けたな……良い頃合いだ、試してみよう』
それは、とても不吉な声で。
「な、ん……?」
『其方が望むと望まないとに関わらず、その身体は借り受ける』
漆黒の神はそう言うと、艶やかに微笑んだ。
暗闇に落ちる直前。
白い指先が迫るのが見えた。




