170 ラムハーンの酒場で#
from a viewpoint of ロシベル
腹が立つ以上に情けなくて、同じ空間にいるのが辛かった。
私を通して誰にその話を伝えたいのか、聞くまでもないから。
(……本当にひどい人)
息子への遺書代わりになるなんて冗談じゃない。そんな望み、叶えてやるもんですか。
衝動的に飛び出たものの、このままアルティマに帰る気はなかった。
所在なく歩いていたら、小さな繁華街を見つけた。気まぐれに目の前のラウンジの入口をくぐる。
古い建物の匂いと、薄暗い間接照明に照らされた店内の一席に案内される。
科学国の高級店みたく垢抜けたところはないにしても、丁寧な接客には好感が持てた。普段ならそれなりに楽しめただろう。
(普段なら、ね……)
今はどこに来たって、なにをしたって無駄。
思考のすべてがあの人に帰っていくことを思い知るだけ。
いつだって、私に分かることは多くなかった。
アルティマとの契約内容も、研究所の顧問を続けていた理由も、なにも教えてはもらえなかった。
それでも先生の過去は私が一番知っている。
細切れの昔話から読み取れたのは、彼がこれまでに唯一、情を交わした女のこと。
死んだ彼女に立てた呪いのような誓いがあるから、あの人はまだ生きている。
(狂ってるのよ……)
きっと、確かめたかったんだわ。
無意味と知りつつも、間に合えば助けることができたのか。
なにも還らない、戻らないと知りながら。
自分に可能だったのか、不可能だったのか、理論は正しかったのか。
それは意地というより、狂気に近い執着。
それも終わりが近いのだと、言葉の端々から感じた。
そんなこと、私が許すわけがないのに。
話したがらなくても、フェルと同い年の息子がいることは以前から知っていた。
まさか広いローラシアで、出会うことになるとは思っていなかったけれど。
薄い灰茶の髪と、通った鼻筋がよく似たセオドアの姿を思い浮かべる。
彼は、先生の心残りにはならないでしょうね。
特別に思っているフェルでさえ、あの人の生きる理由にはならないのだから。
「私のことは本当にどうでもいいのね……笑っちゃう」
ぽつりともらした愚痴を聞いて、隣に座った男は酒の入ったボトルを傾けた。
「なにか嫌なことでもありました?」
薄紫のシャツを着た20代前半。顔は悪くない。うちの弟と比べたらゴミだけど。
グラスを差し出すと、細かい泡の立つ液体が注がれた。
怪しく香る、甘い匂い。
「嫌なことどころか、人生最悪の気分なのよ」
そう返すと、男は気の毒そうな顔を作った。
「ボクでよければ話を聞きますよ、少しは気が晴れるかも」
すかさず重ねられた手に視線を落とす。ささくれだった心がさらにすさんだ。
若いやさぐれた女がひとり、明るい時刻から入店なのだ。誰が見てもカモだろう。
でもね、私を誘導接待しようなんて100万年早いのよ。
腹立たしげな気持ちをそのままに、全身から魔力を放出する。
濃いピンク色の気配は、またたく間に狭い店内に満ちていった。
「――全員、そこに座りなさい」
一声発すると、店内にいた男たちはみんな飛んで来てテーブルの前に正座した。
わずかにいた女性のお客たちは、なにが起こったのか分からずに目を丸くしている。
「ねぇ、私のなにがいけないと思う?」
前に座ったひとりに向かって、尋ねる。
「なにもいけないところなどありません」
「そうかしら。でもきっとどこかがいけないのよ。だからうまくいかないんだわ」
「あなたは誰よりもお美しいです」
「そんなこと知ってるわ」
別の男が身を乗り出して言う。
「大変魅力的な方です。私なら喜んですべてを捧げます」
白々しく聞こえないのは、本心だから。
私の誘惑の魔法にかかれば、どんな男も夢が覚めるまで、等しく奴隷に成り下がる。
「……男なんて、みんなつまらないわね」
「ご気分を悪くされたのなら申し訳ありません」
熱に浮かされた、私しか映さない瞳が並んでいた。
誰も私を否定しないし、拒絶しない。
面白くない、くだらない男たち。彼らはなにも悪くないと分かっていても嫌悪がつのる。
「あなたたちは私の娯楽のために今ここで殺し合って、と言ってもそうするのよね」
「もちろんです」
「ご命令でしたらいつでも」
なんでも思うとおりになる男なんて、本当につまらない。
肺の奥からため息を吐いて、手にしたグラスを煽った。
「まっず……」
甘すぎる酒の味に吐き気がした。
捨てる仕草で床に落ちたグラスが、高い音を立てて砕け散る。
赤い液体が広がるのにあわせて、いいようのない苛立ちが広がった。
もうこの店、灰にして他に行こうかしら。
どこに行ったって、満たされることなんてないと分かっているくせに――。
「……?」
ふいに、信号を受信した。無視していた何度目かの呼び出しだ。
ため息交じりに耳に手をやって、通信機の座標をアルティマへ合わせる。
「――なぁに? 今取り込み中よ」
どうせシュルガットだろうと思ったのに、応えたのは別の人物だった。
『ベル、やっとつながったわね。呼んでも全然応えてくれないものだから』
「母さん?」
母さんが通信機で連絡してくるなんて珍しい。
なにかしら。先生を追ってきたことを怒っているわけではなさそうだけれど。
『今、ゴンドワナにいるわね?』
「いるけど……」
『ローガン先生はそこに?』
「いないわ。知らないわよ、あんな人」
『そう……ならすぐにエクノンへ向かってくれない?』
「エクノン?」
ラムハーンからそう遠くない、大きな街だと記憶している。
なぜそんなところに?
『カザンがいるわ。後でエヴァとセオも着くから、合流してほしいの』
「合流……って、どういうこと?」
兄さんがまだゴンドワナにいる。
それにエヴァがこっちへ来るなんて……そこから予測できることはひとつしかない。
「フェルに、なにかあった?」
嫌な予感が二の腕に鳥肌を立てた。
母さんは『ええ』と答えた。
『捕らえられたみたいだわ』
「……っ誰に?!」
『中央神殿の強硬派のようね』
ギリ、と食いしばった歯から音がもれた。
「あの狂信者ども……20年経っても学習がないのね! 兄さんはなにをやってるのよ?!」
『落ち着いてベル、ひとりで乗り込んではダメよ。これからカザンと合流して、事情を聞いてからフェルを迎えに行ってくれる?』
「そんな悠長なこと……!」
『連れて行かれたのは昨日の午後なの。でもフェルなら大丈夫よ。アルティマの人間だとは気付かれていないから、なるべくことを荒立てずに回収してきてほしいの』
憤りで一瞬言葉を失った。
国同士の大事にしたくないから、危害を加えられても黙っていろと?
連れて帰るだけでいいなんて、頭で理解できてもそうしたいとは到底思えなかった。
母さんにはきっと考えがあるのだろう。私たちが見えていないような深い考えが。
でも――。
「……フェルは、中央神殿にいるのね?」
『あの子を拘束できる場所があるとすれば、必然的にそこしかないわ』
それなら先生が知らないことはないだろう。
まさか、知っていて私に黙っていた?
(次は首を絞めるだけじゃ足りなさそうね……)
『ベル、カザンがエクノンのホムンワイス家に滞在しているの』
意外な説明に眉をひそめる。
「なんで兄さんが穏健派の司卿の家に?」
『事情があるのよ。なるべく早くたどり着いてくれる? 悪いけれど、繁華街道楽はあとにしてちょうだい』
「言われなくてもそうするわ……!」
通信が途切れたところで「帰るわよ!」と苛立った声を投げた。
預けておいた毛皮のコートを持って、店員が走ってくる。
袖を通しながら使い魔を呼び出し、足早に店の外へ出た。
迎えるノワールの黒い背に飛び乗り、同時に空へ舞い上がる。
エクノンへ向かう前に、行くところがあるから。
白い屋根の連なる通りに降りると、先ほど出てきた家のドアノブに手をかけた。
開かない。
カギ? それとも魔法?
「……へぇ、入れないつもり?」
ざわり、と狂暴なゆらぎが胸の奥に生まれた。
黒い感情のままに、空気中にただよう電荷を収束して魔法に変換する。
ドア一枚を破るのに十分過ぎる雷撃は、壁一面を焦がしながら大穴を開けた。
パチパチと火花の散る裂けたドアから、無言で家に侵入する。
「……ちっ」
先生の姿はどこにもなかった。
行き先を示す痕跡なんて、簡単に残す人じゃない。
近くを捜すかどうするか考えて、母さんの「すぐにエクノンへ向かって」という言葉を思い出した。
「ここのどこかに、フェルがいるのに……?」
中央神殿は広い。中心部のまわりだけでも小さな街くらいの規模がある。
ただし、あの子を確保しておけるような場所は限られているはず。中心部にある護壁の中だろう。
間違いなく、先生も居場所を知っている。
(すぐにでも迎えに行きたいのは山々だけど……)
ひとりでは無理がある。そこまで無謀ではないわ。
フェルのためにも、確実に助け出せる方法を選ばなければ。
「待ってなさい……関わった人間すべて、死んだ方がマシだと思う方法で殺してやるわ」
テトラ教に弟を攫われるのはこれで二度目。許せるはずがない。
母さんの指示でも従えないわ。
うちの家族……いえ、私にとって最大の禁忌を犯したのだから、生かしておけない。
「……どういうことなのか、納得いくまで説明してもらうわよ、先生」
その内容次第では、覚悟しておくことね。
軽く唇を噛んで、空の部屋をにらんだ。
「誰だよお前」って言わないでいてくれてありがとう!(断定)
エタってねぇんだ、これが。いや、すみません。下書きに20話くらい溜まってるのが気になって気になって……ただそれだけ。
全く余裕なくちゃんとお返事できる気がしないので、しばらく感想欄も閉じてます。誠に断腸の思いぃぃぃぃ……
本業のほうが落ち着いたら開けますので、そんときは是非来てね!(私の生命線)
というわけで、予告なくたまにいきなり投稿することにしました。どうぞ見捨てずお付き合いくださいませ。




