168 私にできること#
from a viewpoint of エヴァ
「知ってる? オオアシイタチはキエルゴ山だけに住んでるのよ」
小さな指が、広げた図鑑の中心を移動する。
示すイラストは、足がやたら大きな毛量のすごいイタチ……みたいだ。
「毛皮がね、すごくあったかいの」
「ここでしか見られない魔獣よ」
「見たい?」
「見たいでしょう?」
「見に行く?」
「今からでもいいわよ?」
大きな三つ編みのおさげを揺らす双子は、代わる代わる尋ねてくる。
「うーん……そうね……」
見上げてくるルシファーの妹ふたりは、とても可愛らしい。
でも忘れちゃいけない。この子たちは「容姿で油断を誘っておいて人ののどを掻き切る7歳児」なのだ。
はじめて会ったときには、そんなこと忘れていた。
だから「いいものを見せてあげる」と無邪気に誘われて、スプラッタな解剖部屋に連れて行かれたときには本気で卒倒しかけた。
最初はただ、兄に会いたいと駄々をこねるふたりがかわいそうで、一緒に遊んであげただけなのだけど。
ロシベルさんも不在なことから遊び相手として気に入られたらしく、デリアとフォリアは暇を見つけては私の部屋にやってくるようになった。
「勝手に外に出ると心配かけるから、ルシファーが帰ってきたら一緒に見に行きましょう?」
妥協案を返すと、ふたりは面白くなさそうに口を尖らせた。
「フェル兄さん、全然帰ってこない」
「ローラシアまで追いかけたのに、入れ違い」
「遊んでくれるって言ってたのに、家出したのよ」
「『イラストで学ぶたのしい解剖生理』読んでくれるって約束したのに」
それは代わりに読んであげる、とは言えなさそうな本だわ。
なんともいえない顔になった私を見て、ふたりは図鑑を広げると魔獣の説明を再開した。
こうして話を聞いてあげるだけでも満足らしいからよかったわ。
得体の知れない内蔵のつまった瓶詰めを見せられるよりは、心安らぐ時間だ。
(ライラの弟も……かわいかったな……)
ふいに思い出してしまった。
私が殺したも同然の、幼い命がたくさんあったことを。
どれだけ時間が経っても、忘れることなんてできやしない人たち。
「エヴァ? どうしたの?」
「……ううん、なんでもないわ」
笑顔を作ると、フォリアはきょとんと「治してあげる?」と聞いてきた。
「フォリア、治すの得意よ」
「デリアは壊すのが得意」
「ねえエヴァ、どこが痛い?」
「どこも痛くないから大丈夫よ、ありがとう」
柔らかい髪を撫でてあげると、フォリアはうれしそうに目を細めた。
それを見ていたデリアが、ムッとする。
「ちがうわよ、フォリア。エヴァ姉さん、て呼ぶのよ」
「姉さん?」
「そうよ、おばあさまが言ってたわ。エヴァ姉さんはフェル兄さんとケッコンするんだって」
もう慣れたけど、こんな小さな子にまで誤解されたくないわ。
訂正しなきゃ、と思いつつ、なおも勝手に話し続けるふたりの間に口を挟む余地がない。
「血痕するって、血を吐くの?」
「ばかね、ちがうわよ」
「じゃあなに?」
「それは……その……たぶん……?」
「たぶん?」
「ず、ずっとうちにいるってことよ!」
「本当?!」
フォリアはガバッと抱きついてきた。
キラキラした目で見上げられて、うっと言葉に詰まる。
「エヴァ、ずっとうちにいる?」
デリアまでしがみついてきた。
「いるわよね?」
「あ、ええと……それは、ずっとっていうか……」
もちろん期限付きなのだけど。
この盛大な誤解をどこから正せばいいのかも分からないわ。どうしたらいいの。
訪問者を告げる声が聞こえたのは、そのときだった。
廊下にいたペコーさんが、「お通ししてもよろしいですか?」と扉越しに尋ねてくる。
「いいわよ、だれ?」
「通して、だれ?」
私の代わりに双子が答える。
扉が開くと、質のいいグレーのワンピースが見えた。
「デリア、フォリア。ここにいたのね」
「「母さん」」
ふたりはセレーネさんに飛びついていくと、手をつかんで部屋の中に引っ張ってきた。
床に座り込んで図鑑を見ていたから、私が立ち上がる前にセレーネさんは同じ場所に座らされてしまった。
これは……イスに座り直したほうがいいわよね。
立ち上がろうとした私を制して、セレーネさんは「かまわないわ」と微笑んだ。
気付けば、セオもセレーネさんの後ろに立っていた。
いつもと変わらないセレーネさんと比べて、セオは固い表情だ。
これはきっと、良くない報せだ。
「セオ……なにかあったの?」
「いや、ああ……」
「私が話すわ」
言葉を濁したセオの代わりに、セレーネさんが言った。
ルシファーと同じ色の瞳を見つめ返す。
「カザンから連絡があったの。フェルが消息不明よ」
吸い込んだ息が、のどでつかえる。
消息不明って……
「テトラ教の機関に捕らえられたようね」
ずっと嫌な予感はしていた。
だから多少の覚悟はあった。
それでも、平静ではいられない。
「どうして? お兄さんと一緒だから心配いらないって……!」
セレーネさんは、波立たない声で答えた。
「制圧に神具を使ったようよ。ゴンドワナの中央神殿は、普段は持ち出すことのない厄介な道具を所有しているの」
神具……?
その言葉を聞いて、ぞわり、と腹の底から寒気が立ち上った。
「ザナドゥーヤの魔女たちも、同じ神具にやられたのだったわね」
「……え?」
唐突に出てきたザナドゥーヤの名前に、寒気はさらに広がる。
セレーネさんは思案するように口元に手をやると、続けた。
「彼女らが魔力をほとんど持たない人間に狩られたのは、神具のせいよ。魔力のある人間ほど、神具の前ではなにもできなくなる。絶対神の力を宿した唯一無二のものなの」
「じゃあ、それを使われたら、ルシファーでもどうにもできないの?」
「ええ、そうでもなければ今のあの子を捕らえるのは不可能でしょう」
折り重なるように倒れた、ザナドゥーヤの魔女たち。
空も地面も紅く染まっていたあの日の光景が蘇って、二の腕を握りしめた。
ルシファーが、みんなと同じように?
「不死の情報を探すのを手伝って、なんて……私が言わなければ……」
そんなこと――起きなかったのに。
「それは違うわ」
セレーネさんは私の肩をかるく押さえると言った。
「フェルのことも、ザナドゥーヤのことも、あなたが負うことじゃない」
すべてを分かったようなセレーネさんを見て、ぶるぶると首を振った。
お前のせいだと言われたほうがまだ理解できる。
ルシファーが攫われたのも、みんなが死んだのも、私がいなければ起こらなかったことだ。
「だって、私さえいなければ……」
「違うと言ってるでしょう」
セレーネさんは、今度はぴしゃりと言った。
「そんな風に、あなたが勝手に自分のせいにしていいことじゃないのよ」
「……勝手に?」
「そう。フェルが攫われるまでに取った行動は、すべてあの子の判断によるもの。怪我を負おうと、後悔しようと、それはあの子の行動の結果。あなたが負うことじゃないわ」
「でも――」
「ザナドゥーヤの魔女たちも同じよ。彼女らが選んだ血塗られた道も信念も、すべて彼女たちのもの。たとえあなたでも、それを奪ってはならないわ」
「奪う? 私が……?」
「そうよ。彼女たちは最期まで、自身が信じるもののために生きただけ。なにに代えても守りたかった子に恨まれることすら覚悟していたでしょうに、あなたが自分を責めることを望んだと思う?」
肩から伝わる温かさに、ざわついていた気持ちが落ち着いていく。
勝手に自分のせいにしてはいけないだなんて。
そんなこと、はじめて言われた。
まるでお母様に叱られているようで、泣きたくなる。
「エヴァ、今あなたがすべきなのは、ここで嘆くことなの?」
静かに尋ねられて、ぐっと膝の上の手を握りしめる。
そうよ、ショックを受けてる場合じゃないわ……すぐにでも、やらなきゃいけないことがあるじゃない。
「……場所、は……」
ぐっと涙をこらえて顔を上げると、真っ直ぐにセレーネさんを見た。
「ルシファーの居場所は……? どこに捕まってるか、場所が分かれば……!」
セレーネさんは「ええ」とうなずいた。
「フェルを閉じ込めておける場所は限られているわ。中央神殿の施設でしょうね」
「じゃあ、助けに行かないと……!」
すぐにでも行かないといけない。
でも戦力にならない私が行っては、足手まといになるだろう。
一緒に行くと言っても断られる予感しかなかった。
「救出には、少し問題があるの」
「なに?」
「ひとつは戦力の問題。今アルティマはゴンドワナにだけ注力していられないの。科学国の様子がおかしいから」
地上と空の主戦力であるロスベルトさん、キエルゴの雪を融かしたり広範囲の大魔法を使えるトルコさんは動かせないという。
「今はカザンの怪我を治すのが最優先ね。あの子は這ってでもフェルを助けに行くだろうから、なるべく早く」
「「父さんは?」」
デリアとフォリアが横から口を挟んでくる。
「父さんが行けばいいじゃない」
「私たちもついてくわ」
「お父さんは絶対に来るなってカザンに断られたの。ついでにあなたたちもね」
「ええー?」
「どうして? カザン兄さん、ひどい!」
「いいえ、母さんも同じ意見よ。父さんは壊していいものと悪いものの区別をつけられないし、あなたたちが行くのは危ないわ」
セレーネさんは、透明な液体が入った小瓶を取り出した。
私に見せながら「これは魔法石の結晶を液体にしたものよ」と説明する。
「フォリア」
「はーい」
「お願いね、カザンに必要なの」
フォリアはセレーネさんから小瓶を受け取ると、その手の中で魔力を光らせた。
透明だった小瓶の中身が、薄く光るレモン色に染まっていく。
久しぶりに見た回復魔法は、小瓶の中身に閉じ込められた。
「はい、どうぞ」
フォリアから小瓶を渡されて、よく分からないまま受け取った。
セレーネさんは「もうひとつの問題よ」と言った。
「中央神殿の奥には強い護壁があるわ。それを破らないと侵入できないの。それにフェルのいる場所にも強力な拘束魔法があるはず」
「そうなのね……」
「このふたつの問題を解決できるかどうかは、あなたにかかってるわ、エヴァ」
「私?」
「ええ、あなた、中央神殿へ行ける?」
少し驚いた。
戦力外の私がそんな風に言われると思ってなかったから。
「護壁も、カザンの怪我も、あなたが行けば解決するわ」
確かにそうだわ。
護壁を崩すにも、この小瓶の回復魔法を最大限優れた効果のものにするにも、アクセラレータが必要だ。ルシファーへの魔力供給だってある。
私は、足手まといや呪いじゃなくて、助けになれる……?
戸惑いを拒絶と思ったのか、セレーネさんは「嫌な思い出しかないところだから、難しいわよね」とつぶやいた。
「あなたにアクセラレータを使うことを強要する気はないのよ。行けそうにないなら別の方法を考えるから、無理しなくていいわ」
無理? ゴンドワナの中央神殿なんて、確かに二度と行きたくない。アクセラレータを使わなきゃいけないことだって怖い。
でもルシファーを助けられるのなら別だわ。迷いなんてなにもない。
「いいえ、行くわ」
言い切ると、手の中の小瓶を握りしめた。
「これをお兄さんに届ければいいのよね? ルシファーも私が探しに行く。今からどうすればいいの?」
早口で聞き返すと、セレーネさんは目元を緩めて「ありがとう」と言った。
「クロに乗っていくのが一番早いわね。最初に向かうのは……」
「待ってください――」
セレーネさんの言葉を遮って、横からセオが口を開いた。
諸事情により、更新が大変遅くなっています。すみませんだ……
特に年末年始は止まるかも……その分スキマ時間に書き溜めがんばります~。
どこかで年末割烹書けたら書くので、見つけたら遊びに来てね(TT)




