167 失踪の報せ#
from a viewpoint of セオドア
ほとんど考えることもなく過ごしてきた。
魔法国で魔物というのは、日常に存在するものだということを。
前を歩く執事のアッサムを見て思う。
魔物は力の度合いによってランクがあると聞いた。
天災級を表す『スプリームルーラー』が最上。
一番数の多い下っ端が『アンダー』、その上が『アッパー』。
アッサムはさらにその上の『クラウン』級だという。
彼が人よりも魔物に近い種族だと聞いて、耳を疑ったのはつい先程のこと。
言われてみれば、赤みがかった褐色の肌は人のものとは違う。
(実際の姿はほとんど魔物で、人に化けているだけと聞いたが……)
同じく人にしか見えない初期型ヒューマノイドといい、このところ俺の常識はめまぐるしく塗り替えられている気がしてならない。
「庭園はああして庭師が毎日整えているんです」
向こうで作業をする庭師たちを指して、アッサムが言った。
絶妙な角度で刈り込まれた植え込みの職人技には、素直に感心する。
こうして使用人たちの仕事ぶりを見学しているのは、「なにか仕事をくれないか」とルシファーに言ったことがきっかけだった。
家の中には仕事がないというので、庭仕事なら手伝えるかと思ったのだが……
「せっかくお申し出いただきましたが、庭木の手入れをお願いするのはリスクが高いもので……どうかご理解ください」
それは、少しでも傷を付けると命が危ないということだな。
先日の騒動とルシファーの祖母を思い出す。
納得はできないが理解した、と思う。
「俺が仕事をしたいなどと頼んだばかりに、あなたの手間を増やしてしまったようで……かえって申し訳ない」
「いえ、とんでもないことです。労働は尊いもの。一日なにもしないでいるのに、焦燥感を覚えるお気持ちはよく分かります」
そこまで切羽詰まったものではないのだが。
大の男が人の家でただ飯を食わせてもらうのに、申し訳なさを感じたまでだ。
(労働は尊いもの、か……)
アッサムはここの使用人を取り仕切っているという。
早朝から夜中まで働いているように見えるが、一体いつ休んでいるのだろう。
「ここの使用人たちは、休暇をとらないんですか?」
尋ねると、「休暇、ですか?」と爬虫類に似た緑色の瞳が細められた。
「誰か他の人に仕事を任せて、まとまった休みをとるとか……」
「そんなことを申し上げれば、大奥様から永遠の休暇をいただいてしまいますね」
冗談ではなさそうなところが怖い。
アッサムはにこりと笑った。
「アルティマにとって価値ある働きができる使用人ほど、休暇はありません。私はそれを誇りに思っています」
「……なるほど」
使用人まで思考の方向性が特殊のようだ。
ワーカホリックというやつだろうか。どこか共感してしまう俺も大概だな。
前庭を一周して戻ろうとしたところに、荷物をかついだ庭師がやってきた。左肩に積み上げた小包の量と、バランス感覚が尋常じゃない。
庭師はアッサムを見て声をかけた。
「アッサムさん、書類関係は執務室でいいですか?」
「はい、荷物も一緒に置いておいてください。もうすぐ戻りますので」
「分かりました」
通り過ぎた庭師が右手に下げた、アタッシュケース。どこかで見たことがある。
貼られた宛名票の『ビリー・ウェーダー』の名前に目が留まった。
「あっ……」
マスター?
そうか、あのアタッシュケースは……
俺の様子に気付いたアッサムが庭師に声をかけた。
「キームン、待ってください」
「はい?」
振り向いた若い庭師に、俺は直接話しかけた。
「呼び止めてすまない、そのアタッシュケース……俺の連れのもののようなんだ」
「ああ、これはシュルガット様宛ですね。届くはずだから直接持ってくるようにと言付かってます」
「そうか、なら俺が持って行ってもかまわないだろうか」
「え? いえ、まぁまぁ重いのでそんなわけには……それに、これは自分の仕事ですから」
俺より若そうな庭師はそう言うと、首を横に振った。
手に持っているのは、間違いなくアスカのアタッシュケース。マスターに預かってもらっていた荷物だ。
「なら、俺も一緒に届けに行ってもいいだろうか?」
庭師はちらとアッサムを見た。
アッサムがうなずくと、庭師は「ええ、どうぞ」と人なつっこい笑みを浮かべた。
「ありがとう」
アッサムとはその場で別れ、庭師について屋敷に戻った。
途中、執務室とやらに寄って荷物を下ろし、シュルガットの研究室へ向かう。
アスカは今日も彼と作業しているのだろう。
庭師に続いて研究室へ入ると、真っ先に振り返ったアスカが顔をほころばせた。
「セオさん、どうしたんですか」
「荷物が届いたようだ、君宛の」
「あっ、マスターさんからですね」
庭師からアタッシュケースを受け取ると、アスカは丁寧に礼を言った。
地下で作業しているシュルガットに伝えて欲しいと、ヒューマノイドのメイドに頼むことも忘れない。
「色々必要なものが入ってるので、マスターさんが預かってくださって本当に助かりました。あとでちゃんとお礼をしないと」
「そのときは俺も一緒に行こう」
「はい」
アルティマに来てから今日で5日目になる。
アスカはもう少し準備が整ったら、半身とシステムを統合するための最終調整に入ると言った。
「なるべく早く、新しい体に変えないといけないですから……」
なにかに急かされるように、アスカは作業を進めていた。
切断された足はシュルガットの手によって直され、メンテナンスも済んでいる。普通に動くのに不便はなさそうだが、そういう問題ではないようだ。
新しい体、という単語が出たところで、俺は気になっていたことを尋ねてみた。
「新しい体に変わるというのは……今のアスカの体ではなくなる、ということなのか?」
「はい、シュルガットさんが作ってくださった最新のボディがベースになると思います」
「そうか……」
いまひとつピンとこないが、アスカがアスカであるのなら、それでいいだろう。
半身とひとつになることは彼女の望みでもあるのだし、見守ることにしよう。
そのとき、モニターの一画で緑色のランプが点滅した。
「国境外からの通信ですね。座標がゴンドワナですから、ルシファーさんたちでしょうか」
一昨日の朝に連絡があったきり、ルシファーとは連絡がとれていないらしい。
少し緊張した様子のアスカが手を伸ばしたとき、音もなく進み出た人物が代わりに受信のスイッチを押した。
いつからそこにいたのだろう。
「――カザンね? 私よ」
そう言ったのは、ルシファーの母だった。
アスカと目を合わせると、自分が対応するというようにふわりと微笑んだ。
『――母さん、が出るってことは……状況は把握済みなのか?』
カザン、と呼ばれた声が応えた。
おそらくルシファーと出かけている一番上の兄だろう。
「一部だけね。フェルは?」
『まだ分からない。はぐれてから丸一日以上経ってしまった……おそらく中央神殿が絡んでいる。少し、まずい状況だ』
「最初から説明して」
ルシファーの兄は「要点だけ話す」と説明しだした。
一昨日の昼過ぎ。テトラ教の司卿と知り合って移動中、山道で中央神殿の兵たちに襲撃された。
自分だけ崖から離脱したもののうまく飛べず、川に落ちたという。
すぐに連絡が取れなかったのは、通信機を紛失したのと、自分もかなりの距離を流されて移動に時間がかかったからだと説明した。
「フェルとあなたが、手も足も出なかったのね?」
ルシファーの母は、顔色を変えることなく尋ねる。
『ああ……おそらく神具だ、まったく動けなかった。あれはどうあがいても破れそうな気がしない』
「魔力が大きい人間ほど有効だから無理もないわ」
『現場に戻ってみたが、転がった死体の中には見つけられなかった。あいつ……翼を出したからな。捕らえられたのなら、早く見つけないと……母さんには、神具の力を破るにはどうすればいいか、聞きたい』
冷静な口調のようで、焦りが伝わってくる声だった。
ルシファーの母は淡々と返す。
「人の力では無理ね。『縛りの聖杯』の拘束力は、同じ神具の『解きの聖杖』で無効化できるけれど」
『それはどこにある?』
「祭司長の手元。中央神殿の最奥よ」
『お手上げだな……』
とにかく、攫われた弟の消息を確認するためにも、急ぎ中央神殿へ向かうとカザンは言った。
通信を終えようとしているのを察して、ルシファーの母が止める。
「待ちなさいカザン、あなたは無事なの?」
『……問題ない』
「嘘はだめよ。報告が一日以上も後になったのだから、軽症ではないでしょう? ベルがそっちに行ってるはずだから、合流できればいいのだけれど……」
『ベルが? どのあたりだ?』
「正確な場所は分からないの。ひとまず連絡を取ってみるわ。あなたの現在地は……エクノンね?」
『ああ、穏健派の長の屋敷で、伝音機を借りている』
「あなたが他人と関わるなんて。フェルの影響かしら」
『やむを得ず、というか、成り行きだ……』
歯切れの悪い感じで、ルシファーの兄は返した。
「お父様に行ってもらうのが確実だけれど、ローラシアのことがあるから今はむずかしいわね。フォリアたちを行かせましょうか?」
『やめてくれ、お守りを押し付けられるのはフェルひとりでいい』
「そう。なら父さんに……」
『それこそやめてくれ、本気で迷惑だ』
「仕方ないわね、ひとまず誰かにフォリアの回復薬を持たせましょう。神具に関しては……問題ないわ。解決策を送るから待っていて」
『解決策があるのか。分かった』
「カザン、到着までいい子に待っていられるかしら?」
『逆に聞くが、待機以外の選択肢が許されるのか?』
「いいえ、ひとりで向かってはだめよ」
『なら聞くだけ無駄だろう』
ふたりの通話を聞きながら、動悸がした。
ゴンドワナで襲撃されて、ルシファーが行方不明?
余計に心配させるだけと分かっていても、エヴァにこのことを黙っているわけにはいかない。
昨日も一日、連絡がないと不安そうだった。
一刻も早く教えてやらなければ。
通信が切れるのを待たずに、俺はその場を離れようとした。
アスカは俺の行き先が分かったらしい。小さくうなずくと見送ってくれる。
廊下に出るところで、背後から「待って」と声をかけられた。
閉まりかけた扉を押し開け、「なんでしょう」と声の主を振り返る。
「エヴァのところに行くのでしょう? 私も行くわ」
話があるから、と。
感情の読めない魔女は微笑んだ。




