166 敵ではなく味方でもなく
高い位置にひとつだけある、通気口を見上げる。もれる光は月明かりだ。
ここに閉じ込められてから丸一日が経った。カザンはまだ俺を捜しに来ない。
じいちゃんたちからコンタクトがないことを考えても、俺はローガン先生の手で徹底的に隠されているようだ。
扉の向こうで施錠が外される音がした。
先生だ。
「……おや、ずいぶんと魔力が薄くなったみたいだが……無駄なあがきでもしたかな?」
重い扉を押して入ってくると、先生は持ってきた水差しを持ち上げてみせた。
「飲むかい?」と微笑まれて、思わず舌打ちがもれる。
この人は何がしたいんだろう。現状を考えれば味方でないことは明らかだが、真意が分からない。
「いらねーよ」
「ここの兵士たちはどうだ? うまく君から情報を聞き出せそうか?」
「分かりきったこと聞くな。拷問の仕方も知らない下っ端なんて、無駄だから来させるなよ」
「なぜ?」
「手が滑って殺しちゃうかもしれないだろ」
「殺してもかまわないよ?」
本気で分からない顔をされて、それ以上返すのをやめた。
不愉快だ、本当に。
「アルティマ王国の跡取りだと言ってしまえばいいじゃないか。もしかすると解放してもらえるかもしれない」
「……うるせー……それよりなんだよ、その傷」
先生の首に、爪痕みたいなものがついていた。血は固まっているし深くもなさそうだが、生々しく目立つ傷だ。
実験用の魔獣にでも引っかかれたんだろうか。
「心配してくれるのか?」
「してねーよ、気になっただけだ」
「つれないね、私はこんなにもルシフェルを大切に思っているのに」
「笑わせんな、これが大切な人間にすることか」
じゃらりと手枷を持ち上げて抗議する。
いい加減ここから出たくて今日一日暴れてみたが、なにをしても拘束は外れそうにない。
今の魔力を全解放しようとしても抑えつけられるって、どんな仕組みなんだよ。
手枷をしているだけでじわじわ魔力が消耗していくし、製作者の性格の悪さがにじみ出てるぞ。
「俺がここにいるって、じいちゃんたちに連絡は? したの?」
念のため聞いてみると、先生はさわやかに答えた。
「もちろん、していないよ」
先生はアルティマの雇われ人であると同時に、ゴンドワナの人間だ。
古くから出入りしている国立研究所側に加担しても不思議じゃない。
だから、裏切られた気になんてなってない、俺は。
それでも――。
「先生はもっと、アルティマのことを好きだと思ってたよ……」
悔しさをにじませてこぼすと、先生は言った。
「そうだな……しかし人は、好意よりも憎悪に強く惹かれるものだ」
「俺たちに恨みでもあんのか?」
「妙な質問だな。アルティマに恨みなどあるわけがない」
ということは、ゴンドワナ側にか?
じゃあどうして俺を助けないんだ?
先生の考えてることは分からなかったが、こうしてまた来たんだから、見殺しにしたいわけでもないんだろう。
「それで? 考えてみたかい?」
「……なにを?」
「アルティマの王として、暗殺国家を維持していく件についてだよ」
「断るって言ったろ。俺は普通に生きていくって決めたんだ。あ、『それは無理』とか『無駄だ』とかいうコメントはいらないからな」
「そうか、残念だな」
「大体なんで先生がアルティマの将来を気にするんだよ?」
「……人はね、IQが20違うと会話が成り立たないんだ」
「はぁ……? なんの話だ」
「私が気にしているのは君の将来だよ。普通とはなんだ? サル程度の知能しかない群れの中に入り、振り回されて生きることか? 高い能力のある人間がそんな場所にいること自体が不幸だよ。君は君を理解してくれるあの国の中で生きていくのが一番だ」
いきなり話が飛んだようで、新機軸の『無理』という説明のようだ。それが先生なりのアルティマから出るなという理由なんだろうが、知ったことか。
確かに俺は家族の誰よりも毒が効きにくかったり、戦闘や魔法の能力値が高かったりする。
だからといって、そのせいで自分を特別に優れていると思ったことはない。
「俺は別に……そんな、特別な人間じゃない」
「特別なんだよ。周りも能力の高い人ばかりだから分かっていないだけだ。君は私と同じで、低い次元では生きていけない。他人から理解など得られやしないんだ」
「別に理解されたいわけじゃないよ。それに家族以外と関わっても、振り回されるとは限らないだろ。外の世界には良いヤツだっているし――」
「振り回されるんだよ。周りが良い人間か悪い人間かなんてのは問題じゃないんだ」
先生はそこで言葉を切ると、続けた。
「神に振り回されるのも……くだらないよ」
思わず吐き出してしまった風に見えた。
わずかな沈黙の後、なにかを確かめるように俺を眺める。
眼鏡の奥の瞳がオレンジ色に光った。
「……せっかくの漆黒の魔力が、第3の力に汚染されてしまったのは……不愉快極まりないな」
俺の魔力に、エヴァの魔力が混ざったことを言っているようだ。
「姉さんみたいなこと、言うんだな」
滅多に感情を表さない先生から、あからさまな嫌悪を感じた。
先生が無能な人間を嫌っているのは知っていたが、これは人というより……
「先生は……神が嫌いなのか?」
思い当たったことを尋ねた。
嫌悪の対象は、そこに向かっている気がする。
「そう見えるかい?」
「ああ。嫌いだから、神に力を与えられたエヴァも嫌いなんだな」
「そうだね……彼女は絶対神の力を持って生まれ、不死の体をも持っている。私にとっては、これ以上ないくらい腹立たしい存在かもしれない」
「先生がエヴァを嫌いでもいいよ。でも俺の意思は俺のものだ、誰の指図も受けない。先生が俺の先生でもだ」
「ああ、そのことだけど、アルティマとの契約は終わったよ」
「……え?」
「ロスベルト様と交わした契約が終わったんだ。私はもう、君の師でも、アルティマの医師でもない」
返す言葉が見つからなくて、先生を見上げたまま黙り込んでしまった。
じゃあ先生がここにいるのは、アルティマを出たから……なのか。
契約、か。そんなもんがあったんだな。
なんとなく先生はずっと、俺の先生でいる気がしていた。家族以外で唯一、長寿薬を服用できる人だから、余計にそう思っていたのかもしれない。
ふっと、不安が生まれた。
「……これからどうすんだよ?」
アルティマの将来を俺に託すような言葉。
終わった契約。
先生がここにいるのは……なぜだ?
「どうするとは?」
「不死の研究も終わったんだろ? エヴァを捕まえて研究続けたいようにも見えないし、アルティマを出て、これからなにがしたいんだよ先生は」
「なにも。残るは後始末だけだ」
「後始末?」
「もう誰も不死に夢など見ないように……ここにある神の力はすべて消していくつもりだ。司卿の息の根も私が止めていくよ」
「司卿……って、イグナーツはここに、俺と同じ場所にいるのか?」
「さあ……どうかな。なにか勘違いしているようだが、私が殺したいのはイグナーツじゃない。ここにも来ただろう? 派手で感じの悪い高位祭司が」
少し考えて思い当たった。
「あ、白髪長髪のオールバック? 俺のワイバーンフルートを盗っていったあのクソジジイのことか?」
「ああ、それだ。なんだ、そんなものまで持って行かれてたのか。仕方のない子だ」
先生は呆れたように笑った。
「バスティンは愚かを形にしたような男だよ、悪知恵だけはよく働くんだ。生かしておいてもアルティマのためにならないだろう」
「あいつは先生の味方じゃ……仲間じゃないのか?」
「私に味方も仲間もいないよ」
見えないなにかを仰ぐ仕草で、先生は言った。
「人は産まれるときも、死ぬときもひとりだ」
ああ……そうか。
その瞬間に、分かってしまった。
先生は、全部終わらせる気なんだ。
「クロのワイバーンフルートか……あいつには扱えないだろうが、そのままにはしておけないな」
「……先生」
心臓が嫌な音を立てていた。
なにか、なにか言わなくちゃ。
「先生、俺これでも、先生のこと……家族みたいに思ってるんだぞ。リアムのことは、そりゃ、許せないけど、でも……先生は――」
「光栄だな」
遮って一言。本心だと分かる表情で。
ダメだ、このままだと、そう遠くない未来に先生が消えてしまう。
それは確信に近かった。
「信じられないだろうが、私も君をどこか息子に重ねていた。だから……もうその言葉だけで十分だ」
「十分て……」
「交渉は決裂のようだ。もう行くよ」
「おい……待てよ。また一方的に言うだけ言って行っちまうのか? ふざけんな、まだ話すことあるだろ?!」
引っ張ったところで外れないのは分かっているが、枷をガチャガチャいわせながら立ち上がった。離れていく背中に呼びかける。
「先生!」
「心配せずとも、そのうち家族が迎えに来る。連絡はしておくよ」
「そうじゃなくて……先生はどうすんだよ?! 待てって……くそっ、どうやったら外れるんだよこれは!」
開けた扉の向こうで、先生は一度だけ振り返った。
きれいな笑顔で。
「あがいてみるといい、ルシフェル。愚かな人間達の狭間で。君ならあるいは……私とは違う答えを見つけられるかもしれない」
「なに言ってんだよ、やめろよそういう台詞!」
「……良い生を送りなさい」
俺の「先生!」の声と、ガチャン、と重い扉が閉まる音が重なって響いた。
なおも扉の向こうに呼び続ける。
「ローガン先生!! 戻ってきてくれよ、まさかこれで終わりなのか? 姉さんは……姉さんのことはどうするつもりなんだよ?! 泣かせたら許さねえぞ!!」
どんなに叫んでも、扉が再び開くことはなかった。
「くそ、外れろ……!」
力いっぱい手枷を引いても、そこに縛り付けられていることを再確認するだけだった。
封じられた魔力を解放しようとしても効果はない。分かってる、そんなこと分かってるけど。
「バカ野郎、外れろよ……!!」
止めなきゃ。
これからあと、誰を何人殺すつもりか知らない。
でもあのまま行かせたら、最終的に死ぬのは先生自身なんだ。
それじゃだめだろ。それで良かったなんて……誰が思えるんだ。まだちゃんと全部、話してすらいないのに――。
「うっ……」
すれた手首から血がにじみ出る。
じゃらりと音を立てて、膝から石の上に倒れ込んだ。
「……先生ーっ!」
やり切れない気持ちで。
冷たく固い床を、握った拳で叩いた。
忙しいと余計なことがしたくなる病発症中。秋ですね。
小説を書くために、仕事を終わらせるのだ……今日中にこの企画書のファイル4冊片付けてやる……片付けてやるうぅぅー(フラグ)




