165 満身創痍#
from a viewpoint of カザン
あまりの寝心地の悪さに目が覚めた。
ぼんやりと見える星空。
冷たい空気。それに水音。
さまよう意識がはっきりしてくると、悪い夢を見ていたのだと分かった。
攫われた弟が、翼をもがれる夢を――。
「……っフェ……!」
跳ね起きようとしたが無駄だった。
全身を駆け巡った激痛に、ただうめいて身じろいだ。
バシャリ、と体の周りで水がはねる。
胸から下が水に浸かっているのだと、そこで理解した。
(生きている……?)
弟に崖から落とされて、激流に飲まれたことを思い出す。
どうやら気を失って流れされたあげく、倒木と岩の間に引っかかったらしい。
(なんてザマだ……)
あの瞬間、風魔法で方向を変えて水に落ちるだけで精一杯だった。
フェルが俺を離脱させなかったら今頃は……
(助けなくてはいけない子どもに、助けられてどうする……!)
焦りと自身への憤りですっかり目が覚めた。
周囲はよく見えなかったが、川幅の広い場所にいるようだ。
落ちた地点からどれだけ流され、どれだけ時間が経ったのだろう。あたりはすっかり夜闇に包まれていた。
体は冷え切り、強ばっている。常人であればこの温度だけですでに死んでいた。早く水から上がって、体温を維持しなければ。
「つっ……」
岩を掴もうとしたが、右腕が上がらない。
鎖骨か肩が折れているようだ。流れの中であちこちぶつけたせいだろう。
風魔法を使って体を浮かそうとしたところで、胸の中心がきしむのを感じた。
封じられていた魔力を解放直後に無理矢理動かしたせいか。核に負担がかかりすぎたらしい。
怪我よりもこちらのダメージのほうが深刻だ。
「……くそっ」
無事な左腕だけでなんとか体を持ち上げ、倒木の上に這い上がった。
陸地にいるのかと思ったが、そこは川の真ん中だった。
左足も動かない。見れば大腿に大きな裂傷があった。ここから失血したことで余計に体温が落ちたようだ。
まずは岸に渡らなければいけないが……
全身の状態を見るに、今泳いで渡れる気はしなかった。
耳元の通信機や持ち物を確認してみる。
案の定すべて流されていることに、舌打ちがもれた。
「コンパスもか……」
胸元に入れていた衛星ナビゲーションも3Dマップごと潰れていた。
これでは現在地が分からないどころか、アルティマと通信することすらできない。
一刻も早く、フェルのところに戻らなければいけないというのに。
もう二度と、弟を奪われてはいけなかったというのに、俺は――。
核の損傷のせいなのか、焦燥感からなのか。
ヒリヒリと胸の奥が焼けつく痛みを感じた。
「もっと早く……無理矢理にでも離脱させていれば……!」
違う、落ち着け。焦ってもなにもならない。
過ぎたことを後悔するなら、あいつを助けるために今なにが最善か考えろ。
殺されてはいない。不死になったというのが本当なら。だからまだ……終わっていない。
この浮島らしき場所にたどり着いたのは不幸中の幸いだった。ここで休んでいて魔獣に襲われる心配はないだろう。
今は凍死しない程度に核へ魔力を循環し、回復に務めるべきだ。
そう判断して、明るくなるまでそこでじっと堪え、夜明けと共に行動を開始した。
岸までは10メートルほど。なんとか跳べたものの、左足が使い物にならない。
歩行が困難な上、魔法を使えるようになるにも時間がかかるとは笑わせる。
だが、立ち止まってなどいられない。
アルティマと通信するためには、ノルディスクに戻るのが早いだろうが……強硬派の兵士たちに、攻撃される可能性がある。
ここは下流なのだから、川に沿って登っていけば元いた場所にたどり着けるはずだ。
「エクノン方面……」
時間がかかってもフェルとはぐれた場所を通り、イグナーツの領地へ向かったほうが確実と判断した。
川の流れを見失わないよう、記憶を頼りに車で通った道を登った。
動かない体を無理矢理に動かし、弟の痕跡をさらうために、現場へ――。
夜明けから歩き始めたというのに、もう日が傾き始めている。
魔獣の少ない山であるのが、せめてもの救いか。
「……近いな」
車の轍が交差する地面が凹凸を増す。さらに歩けばノルディスクの軽装甲車が見えてきた。
足早に寄って、状況を確認した。
(あの奇妙な兵士がいない……)
いくつか転がる死体の中に、俺たちを襲撃した兵士はいなかった。
イグナーツ側の兵士も見当たらない。
攫われた、もしくは回収されたか……?
ふと、人の気配を感じた。
背後の森。複数だ。
殺意はないがピリピリした緊張感が伝わってくる。
「――動くな」
見えない場所からかけられた警告に、無言で応えた。
飛び道具があるようだ。照準が自分に合っているのを感じた。
「何者だ、ここになんの用があって立ち寄った?」
気配を追って、カウントする。
8人。普段であれば30秒でこと足りる人数だが。
(難しくとも、障害になるなら排除するまで)
先手で全員切り裂きたい衝動に駆られたが、刀がない。
一旦従うふりをするか……?
「もう一度聞く。何者だ? 答えねば敵とみなす」
「敵となるかどうかはそちら次第だ」
殺意を隠すのも面倒だ。
今すぐ殺してやろうと思ったところで、新たに質問が投げられた。
「お前は、ノルディスクの兵士か?」
「……そう判断するのなら、かなりのマヌケだ」
どこをどう見たら、俺がそんなものに見えるというんだ。
軽蔑を込めて吐き捨てると、こちらからも尋ねた。
「イグナーツ側の人間をどこへやった? 生存者はいないのか?」
「なぜそれを聞く?」
「身内を捜している。おとなしく答えれば、苦しまずに死なせてやろう」
「身内だと……?」
「10秒数える間に出てこい。8人全員だ」
わずかな沈黙が答えた。
「……7……8……9……」
「待て、今出て行く」
がさりと茂みをかき分けて、声の主が姿を現した。痩躯の男だった。魔法系……神官兵か?
周囲から他の人間もガサガサと草を踏み分けて現れた。手にそれぞれ武器を構えている。
軽鎧についたグレザリオのマークを見るに、神殿の兵士だろうが……俺たちを襲撃したやつらとは格好が違う。
「……イグナーツの兵か?」
「そうだ、我らはエクノンの兵士。あなたはもしかすると……アンが言っていた客人のひとりか?」
その名前はたしか、同乗していた小さいメイドの名前だったか。
「客になった覚えはないが、ノルディスクの兵士よりは正解に近いな」
「あなたのような方と、もうひとり客人がいたと聞いている」
「弟だ。そいつを捜している」
そう言うと、現れた男は片腕を上げた。
周りで武器を構えていた男たちは、静かに警戒を解いた。
「無礼お許しを。私たちはエクノンの警備を任された、イグナーツ様の剣です」
「かまわん、敵でないならいい」
余計な労力は費やしたくない。
相手にしなくていいのなら……いや、待て。こいつらは連絡手段を持ち歩いているだろう。
やせた男に向かって、「頼みがあるんだが」と続けた。
「通信機……いや、伝音機を借りられないか」
男は申し訳なさそうに首を横に振った。
「すみません、私どもの伝音機は傍受されないよう、エクノンとのやり取りにしか使えないようになっているんです。他の地域と交信したいのでしたら、屋敷に行かねばなりません。ご案内しましょうか?」
面倒な。
これ以上関わり合いになりたくないという気持ちが真っ先にあった。
(こいつらの乗って来た車があるだろう。奪うか……?)
それでエクノンに行き、伝音機を見つけてアルティマに連絡を入れる、が正しい方法だろう。
弱ったところに差し出された手を取るなど、あってはならない。
「ひとまずの作業が終わりましたので、私どもも帰還するところでした。よろしければ車に同乗ください。すぐにご案内します」
やせた男が言った。
本当に面倒で、煩わしい。
「見たところ、怪我をされているようですから……屋敷で手当てもいたします」
「不要だ。だが今は、伝音機が必要だ……」
「では一緒に……あっ……大丈夫ですか?」
不覚にも体が揺らいだ。
男が駆け寄ってきて、他にも2名ほど体格の良い兵士が駆けてきた。
支えようと伸ばされた手を、反射的に振り払う。
「いい……かまうな」
「あなた……全身傷だらけじゃないですか……!」
「お前たちになんの影響もないものだ」
「ばかなことを……そんな足で歩いてきたんですか? 向こうに車があります。応急処置だけでもしましょう。あいにくと私は回復魔法が使えないので、早く屋敷に……」
「俺の怪我にかまうなと言っている」
「……っそういうわけにはいきません!」
やせた神官らしき男は、すっと俺の顔の前に手のひらを向けた。
そこに殺意や敵意は一切なかった。
だから反撃しようとか、抵抗しようという気が起きなかったのは甘さではない。
「失礼――」
ぼわん、と目の前で魔力のもやが揺れて、目が眩む。
睡眠導入魔法だとすぐに分かった。
(こんな初歩的な魔法で俺が落ちるとでも……)
その思いに反して体が重くなる。
それほど消耗しているのか、俺は――。
水平が分からなくなったと同時に、慣れない人の体温に支えられるのを感じた。
「客人が危険な状態だ。早くお連れしろ。屋敷で手当てする」
「はい」
「おい、車をこっちに回せ――」
まどろみの中に落ちていく意識が、眠ってはいけないと訴えていた。
早く、フェルを見つけなくては。
俺が早く、見つけなくては。
だから、こんなところで……眠っては、いけない――――。




