164 ローガン過去の告白 後編#
from a viewpoint of ローガン
後ろ髪を引かれる思いでゴンドワナへ帰った私は、ラオフレス病についてあらゆることを調べた。
結論からいえば、有効な治療法はなかった。
同じ病の患者に核移植も試みたが、失敗に終わった。
(打つ手がない――)
そんなときに思い出したのが例の研究だった。
ずっと手つかずだった「不老不死」の研究。
(治らない病なら、死なない体にしてしまえばいいのではないか――?)
名案だと思った。
そこから、すべてを投げ打ってその研究に没頭した。
研究を支持してくれる強硬派の側についたのは、自然な流れだったろう。神の領域に抵触する行為だと、反発する穏健派からの支援は期待出来なかったからだ。
国の最重要事項となった不死の研究によって、ゴンドワナの派閥争いはそれまでよりも激化することになった。
誰もが私を不老不死に取り憑かれた狂人のように扱い、死に誘う死神だとうわさした。
何年か経った頃。
風の便りでミレニアが結婚したことを知った。子どもも産まれているらしい。
(なんの約束もしなかった)
彼女が自分と関係のない人生を歩んでいるのは当然だ。
そう理解はしていても、心は沈んだ。
誰がミレニアの隣にいようと、私は私にしかできないことをやり遂げるつもりだった。
私こそが彼女にとって一番価値のある存在だったと、証明するために。
自身の存在意義のために、彼女を生かしてみせる。
愛ではない。それは執念だった。
不死の研究は難航を極めた。
便宜上は個人研究のため、大々的に国費を使うわけにもいかず、途中どうしても金銭面で苦しくなった。
(スポンサーが必要だ……)
アルティマ王国が「家庭教師」を探していると聞き、立候補したのはそんな時。
週に2度、暗殺一家の家庭教師を務めるだけで、満足な報酬を得ることができた。
私はより一層、研究に注力した。
ずっとローラシアに行くことを避けていた。
彼女を捨てるような形で去った私に、帰る資格はない。そう思っていた。
研究所の所長として直接出向かなければならなくなり、その地を踏んだのは10年ぶりのこと。
ミレニアに会いに行く気はなかった。遠くから顔を見ることさえ、自分に許さなかった。
その代わり、ずっと昔にふたりで過ごした、あの町外れの家に寄った。
月と星明かりだけが道を照らす、静かな夜だった。
向かった懐かしい場所に、親子がいたのは偶然だ。
天体望遠鏡を持って夢中で星を見上げる、子どもと父親だった。
暗闇でも子どもの姿が目についた。
灰色に血の赤が混ざったような、珍しい、だが見慣れた髪色をしている。
見慣れすぎた、私以外が持つことのない色だった。
(……嘘だ……)
一目見て、分かった。
(私の子ども……なのか?)
確証なんてなくとも、魂がそうだと言っていた。
年の頃は10歳前後。間違いなかった。
ミレニアは、私との子どもを産んでいたのだ。
話しかける気などなかったのに、もっと近くで見ようと寄っていく足を止めることができなかった。
父親が気づいて、不審な目を向けてきた。
「……なにか?」
「……こんばんは。天体観測ですか……いいですね」
動揺を悟られないよう、平坦な挨拶でごまかした。
すぐにこの場を離れようと、そのときまでは思っていた。
「こんばんは!」
笑顔で挨拶を返してくれた子は、なんの疑いもない目で私を見ていた。
ああ、色以外はミレニアによく似ている。
「……今日は、星がよく見えるね」
「うん」
実の親子がはじめて交わす会話としては、滑稽すぎた。
「こう空気が澄んでいると、大人も子どもも夜空を見上げたくなりますね……」
一瞬離れがたくなって、話題を振ってしまった。
父親はわずかにうなずいた。
「ええ……」
「このあたりは人通りもなくて静かですから、天体観測には最適です」
「……そうですね」
いかにも人の良さそうな男だったが、勘は悪くないらしい。
私の向ける視線がひどく冷えていることに気付いたようだ。
そっとポケットに手を入れるのを、視界の端に見ていた。護身用のナイフか銃だろう。こんな町外れの寂しい場所に来る以上、身を守る方法のひとつやふたつ、用意してくるはずだ。
「それは出さない方がいいですよ、無駄ですから」
忠告すると、男は顔色を変えた。
「……あなたは誰ですか? 私になんの用が?」
「月が、明るいですね」
世間話ののどかさで話しかける私と、どこかおかしい義父。
子どもは不思議そうに私たちの様子をうかがっていた。
「用がないのなら、もうよろしいですか? 息子と、星を見たいので――」
「息子、ですか……」
その瞬間に男は気付いた。
私の髪と、息子と呼ぶ子の髪色が、酷似していることに。
「用は……そうですね、ひとつだけ、教えていただけませんか。あなたは、ミレニアのためになにができますか?」
「……な、に?」
「彼女を手に入れ、その息子も側に置き、その見返りにあなたは、彼女になにをしてあげられますか?」
金だろうか、居心地のよい家だろうか。
そんなものは誰だって与えてやれる。
私が手に入れられなかったものをすべて手に入れて、幸せに暮らしている男の存在が気にくわなかった。
近付く気はなかった。殺したくなると分かっていたから。
視界に入れなければ、なにもせずにいられたはず。
「なにも……できないくせに」
だが、出会ってしまった。
「……父さん?」
控え目に呼んだ声が、彼女によく似た目が、男を見上げた。
慕っているのだとそれだけで分かる、純粋な仕草。
勝手に手が伸びた。殺意を帯びた指が、男の襟元を掴む。
「うっ……!」
「なぜ……彼女を生かすために、なんの努力もしない男が隣にいる?」
彼女だけでなく。
この男は私の息子まで手に入れた。
そんな権利が、どこに――。
ドン、と横から押された。
「やめろ! 父さんに何するんだ!」
「セオ……!」
私の腕を掴んだ息子を見下ろす。なんとも言えない感情が胸を占めた。
分かっている、これは愚行だ。
軽く払うと、セオと呼ばれた子は地面に転がった。
そう、ミレニアの息子の名は、たしかセオドアだった。
「セオ……逃げなさい! くそっ!」
男はポケットから予想通り小さいナイフを取り出した。
人を刺すどころか、まともに握ったことすらないのだろう。
向けられた手首を返すと、男が握ったままのその手で、短い刃を脇腹に突き刺した。
「うあぁっ……!!」
「出さないほうがいいと、警告しましたよ」
刃先を伝って、ぬるりと温かい血が流れる。
殺してしまおう。今、この場で。
憎しみと誘惑に駆られて、それ以外の選択肢が浮かばなかった。
「知っていますか? 体から20%の血液がなくなるだけで、人は簡単に死ねるんです」
ブラッド・ルーラー。
人体に巡る血液を、自在に操れる力。
誰であろうと殺すことはたやすい。
「……彼女の人生に、あなたは不要です」
違う、それは建前だ。ただ目の前の男が憎かった。
私が手にできなかったものを、ただそこにいたというだけですべて手に入れたこの男が。
――そうして私は、息子の目の前で、彼の育ての父親を殺した。
「あ……あ、父さ……」
倒れた体にすがりつく息子の頭を、血のついた手で撫でた。
「それを、父親と呼ばなくていい」
「……っ!」
私を見上げた目は恐怖と憎悪に染まっていた。
どんな感情であれ、その瞳の中に私が映っている。
それは喜ばしいことだろう――。
「悔しければ、もっと強くなるといい。その血混ざりの髪色……お前にもきっと、私と同じ力があるのだろう」
「……っ触るなっ!」
「勇気のある子だ。そんなところもミレニアに似たな……うれしいよ」
置いた手の下で、身じろいだ頭が力を失って倒れた。
小さな体はそのまま男の上に重なり、動かなくなった。
少しだけ、記憶を操作した。
今の会話はこの子の記憶に残らない。
突然現れた強盗に、父親が殺されたように書き換えた。
「……」
なぜそんなことをしたのか、未だに分からない。
私はセオドアの記憶の中から、自分の姿だけは書き換えないようにした。
憎まれてもいいから、記憶のどこかに自分という存在を残したかったのか。
もう、会うことはないだろうから――。
「さようなら、セオ」
それから少し経って。
ミレニアが死んだことを知った。
間に合わなかった。
予定されていた未来だった。
変えられなかった。
あのときほど、神と自分を呪ったことはなかった。
不死を追う理由はなくなったはずなのに。
私はもう、どこにも引き返せないところまできていた――。
-*-*-*-*-
「……もういいわ」
話も終わりかけた頃、ロシベルが言った。
「こんなの、耐えられない」
強ばった手が、どん、と私の胸を押した。
はっきり拒絶を表すと、ロシベルは勢いよく立ち上がった。
私を見下ろす黒い瞳の中に、自分にはない熱が見えた。彼女はいつでもそうだ。
ミレニアにこんな激しさはなかった。
ぼんやりと思う。
「……なぜ?」
見上げた先の顔は、今にも泣き出しそうにも、これ以上ないくらい怒っているようにも見えた。
「私を、遺書代わりにしないで――」
なにを問うわけでもなく、ロシベルは声を絞り出した。
そうだ、私は彼女を利用している。
これはどこかに吐き出したかった真実を、彼女の中に記録する作業。
「ベルは聡明な子だな」
「そんなのうれしくないわ。先生なんて、大嫌いよ……」
私はこの子の激しさに、なにを返してやれるだろう。
いいや、なにもない。返してやれるものも、与えてやれるものもなにひとつ。
ロシベルは私にとって、後悔にも、希望にもならない。
それを私に与えられる人は、もうこの世にいないただひとり。
「私を見ない先生なんて、大嫌い。先生の過去なんて、誰にも教えてやらないわ」
ロシベルも、それを分かっている。
「誰かに教えて欲しかったから、話したわけではないよ?」
「嘘つき――」
そう言い残すと、ロシベルは身を翻して家を出て行った。
強く閉められた玄関が、軋みをあげる。
笑いもこぼれなかった。
「これでいい……」
側に置けば彼女自身をも焦がしてしまう熱を。
私が捨てるのではなく、捨てられなければいけなかった。
それに触れるのが心地悪いわけでもなかったから。
「残る仕事は、あとひとつ」
私には、こんな終わり方が、きっとちょうどいい。
脇キャラサブストーリーにお付き合い、ありがとうございました!
さ、次は誰の番かな……




